#10 アートになった私
巽孝之 いよいよ8月に突入したと思ったら、いきなり炎天下の大阪日帰りですからね、ああキツかった。とはいうものの、万博記念会場東口の国立国際美術館にて、あのファット・フェミニズム写真家ローリー・トビー・エディソンの展覧会が始まり、小谷真理さんご自身のポートレートが芸術作品として陳列されているとあらば、これは行くしかない。
小谷真理 とにかくまったく初めて行くところなんで、早朝に大阪大学の菊池誠博士‥‥ ていうかマコちゃんに電話したほどです。美術館のウェブサイトには茨木方面 からの 交通が書いてあるんですが、やっぱり御堂筋線で千里中央からモノレールに乗り換え るのがいちばん便利だってわかった。あそこって、東口からちょっと歩くんだけど、 例の万博の象徴のカオナシ‥‥じゃなかった太陽の塔の背中を左手に眺める感じの場 所なのね。
それにしてもローリーとは、かれこれ12年前に知り合ったんですが、当時は、何といっても太った女性のヌード写真を撮ってる人でしょう、かなり変態的な印象で受け取られるんじゃないかと思って、彼女の写真集がほんとうに出版されたり日本で大歓迎されたりするとは、予想もしませんでした。東京では東京都写真美術館の笠原美智子さん、それから今回は国立国際美術館の加須屋明子さんが強力にプロモートして下さいまして。
巽 今回の展覧会配布用パンフレットに詳細な書誌目録がついてるんですが、それを 見ても、時系列的には小谷さんがローリーを初めて日本のメディアに紹介したことになるんですね。<翻訳の世界>の1992年11月号。そのために、フロリダのオーランドー での会議では、ローリーと彼女の畏友である編集者でモデルもつとめたデビー・ノト キンのインタビューまで取っている。
あのころといえば、わたしたちも、今度水声社から出る『サイボーグ・フェミニズ ム増補版』の初版(1991年)がトレヴィルから出たばかりで、新しいフェミニズム芸 術表現のかたちに対しては人一倍鋭敏になっていたし、ほんとうにラディカルな企画 はファンジンだろうがインディーズだろうが出すつもりでいた。そのあたりが、まだ 出版社も見つかっていなかったローリーたちの気分とシンクロしたというか。だから、トレヴィルから身体論アンソロジーの企画『身体の未来』(1998年)を監修しないか という話が来た時には、一も二もなく、デビーの筆になるファット・フェミニズム宣 言を寄稿してもらったほどです。三年前にトレヴィルがつぶれちゃった時には、これでそうしたアヴァンギャルド路線もとうとう消えちゃうのかと思いましたよ。
小谷 とくにローリーの場合、ファット・フェミニズムもラディカルならば、こんど手がけているメール・ヌードも、たんに性差にとどまらず、人種や高齢といった諸問 題も乗り越えてしまうような、じつに多彩かつ本質的な批評精神を孕んでいるのはた しかなんで、それがこんな公式の美術館に堂々登場するとは、まさに隔世の観がありますねえ。
そうそう、この展覧会では拙著『おこげノススメ』(青土社、1999年)の表紙になったジョナサン・シーガルのヴァイオリン姿はもちろん、SFファンにはいささかショッ キングかもしれませんが、あの(!)黒人ゲイ・ニューウェーヴSF作家サミュエル・チップ・ディレイニーのヌードまで見ることができます。
巽 うーん奇遇ですね。わたしが1986年の秋学期に、コーネル大学人文科学研究所での彼の講義に出席していなかったら、そもそもダナ・ハラウェイの名前を知ることもなければ、彼によるハラウェイ批判を含む『サイボーグ・フェミニズム』を編集出版 することもなかったでしょう。その増補版出版とローリーの展覧会開催がシンクロしちゃったわけで。
ただ、こういうふうに紹介してくると、太った女性たちのヌードと多人種におよぶ 男性ヌードがぎっしり並んでいる中に、いったい小谷さんはどんなカッコで登場して いるのか、いってしまえばこんどは何のコスプレなのか(笑)、興味を持つかたがた も多いとは思いますよ。かつて、日本SF大賞受賞記念に<SPA!>1994年12月14日号の 巻頭グラビア・ページ「ニュースな女たち」でモデルをつとめられた時には、篠山紀 信氏の要望もあって、サイボーグ・ファッションだったわけですけれども。
小谷 こんどは綾波レイ。うそうそ(笑)。フツーの姿を演出してみました。着衣で すよ、着衣のオバサン。
ローリーはいま、ファット・フェミニズムとメール・ヌードに続けて、日本の女たちっていう新シリーズを撮り始めていて、これには女性記者の山中登志子さんもモデルで入ってるんですけど、いまのところ、日本の女たちに関してはすべて着衣の予定みたい。
巽 それは一種のオリエンタリズムになるんじゃないかってことをローリーに尋ね てみたんですよ、小谷さんの一枚は、明らかにチャイナ・ドレス風に見えるしね。彼女はしかし、あくまで前衛写真家として、ありとあらゆるステレオタイプを批判する 意識をはっきり持っている。仮に、アメリカ人が脱衣で日本人が着衣というコントラストが見えそうでも、しかしそこにはたとえば、川口一穂さんのような60代後半を迎えた日本人男性のヌードをほんの一点まぎれこませることで、じつはステレオタイプが生まれがちな土壌自体に亀裂を入れているのだ、と。
小谷 おもしろかったのは、記者会見のオープニングで、国立国際美術館の男性館長 御自身は「メッセージ色の強い作品」と評価してたことですね。そのあと、女性ライターのかたから「男性にとってはもちろん、女性の一部にとってもショッキングなの ではないか」という意見も出ていましたが、ローリーの意識には、アメリカ人女性は メール・ヌードに「自分の家のダンナみたい」という印象を抱いて大歓迎してくれて いる、という確信がある。それはたぶん、日本人女性観客の受け止め方とは多少ズレ るかもしれない。この展覧会をのあと、そのあたりの文化的差異がほんとうにあるのかないのか、はっきりしてくるんじゃないでしょうか。
巽 ちょうど夏休みということで、ローリーは何と子どもたちのためのワークショッ プ、というのもやるんですよね。案外、そのあたりから彼女の新たな支持者が出てくるかもしれません。
小谷 ところで、パニカメ通信は新世紀明けに一回やっただけで、半年ぐらいサボっちゃったわけですが、一応、ウメときましょうか(笑)。この間、いったい何をやっ てたか。
巽 小谷さんの今世紀初頭は、ジョアナ・ラスの『テクスチュアル・ハラスメント』(インスクリプト)編訳と長篇解説の執筆でツブれたわけですね。ゼミOG本田真己君や深瀬有希子君にもいろいろ助けてもらって、ようやく2月に出版。書評のほうでも 上野千鶴子さんはじめ松本侑子さんや竹村和子さん、越川芳明さんなど、そうそうた る顔ぶれによる絶賛が続いています。それが終わったと思ったら、こんどは『サイボー グ・フェミニズム増補版』の長文解説。でも、これはラストでソーカル事件にふれる ばかりか、『テクスチュアル・ハラスメント』にも論理的に結びつけてしまって、なかなかのケッサクじゃないですか。
小谷 うーん、またまたケンカ売ってるみたいに思われるかもしんない(笑)。でも、いろんな論争見てくると、悪意を投げつけようとする気持ちばっかり先走って、目の前にある事実を意図的に歪曲したり、無意識に誤認したりする人って意外と多いからねえ、誰とは申しませんが(笑)。こりゃ一言いっとかなきゃいかん!
教授のほうも、『アメリカン・ソドム』(研究社)が一段落したと思ったら、何と 『「2001年宇宙の旅」講義』(平凡社新書)は1月に企画会議に通って、2月中に脱稿してるでしょ。
巽 あれはわれながら速攻だったですね。もともと平凡社新書編集長の坂下裕明さんからは、何か一冊ということで頼まれてはいたものの、なかなか決まらなかった。た だ、以前からわたしはなぜか『2001年宇宙の旅』について書くことが多くて、ここ十 年間にその系統で発表した文章だけまとめても、いずれは一冊にできるだろうな、と 漠然と思ってました。とはいえ、この映画に関しては、わたしの先人とでも呼ぶべき 人たちはいっぱいいますから、年末というか世紀末まで、ただひたすら待ったんです ね。誰かが類似の企画をやるんじゃないか、だとしたらわたしなどの出る幕はないか もしれないと思って。ところが、新世紀が明けるころになっても、出版界のどこから も、『2001年』だけで一冊出す、という声は聞こえてこない。だったら、『2001年』ファンとして、のみならず、かつてキネ旬ムックの映画監督読本『スタンリー・キュー ブリック』(1999年)を監修した人間としては、少々無謀でも、自ら書かざるをえま せん。そこでいても立ってもいられなくなり、ちょうど世紀の変わり目に、坂下さんに連絡したら、すぐにも引き受けて下さって、たちまち企画が進展したんです。前回のCPAマンスリーの段階では、香港会議が終わったばかりでまだ確定じゃなかったか ら、明記しませんでしたけど。
小谷 それで、三月の春休みには、教授がキャサリン・ヘイルズから招聘されて UCLA 講演やるっていうので、サンディエゴからロサンジェルスまでクルマで踏破しました よね。
巽 そう、あれは初めての本格的なロード体験だったな。ほんとうはラリイ・マキャフリイもロサンジェルスで合流するはずだったんですが。
小谷 例によって、わけわかんない人ですから(笑)。今回もねー、ロサンジェルスで『葉の家』書いた新人作家のマーク・ダニエレブスキー(パニカメ5号参照、未入手のかたはトップページより通販へ!)をウェスト・ハリウッドのバーで紹介するからっていうんで予定してたら、とつぜん電話がかかって、行けなくなったとか言い出 す始末。
巽 今回、われらふたりも途中まで登らされたボリーゴ・スプリングスのインディアン・ヘッド登頂をきわめたかったんですね、彼は。
小谷 でも、初対面の作家と待ち合わせの時間も場所も決めながら、当の紹介者本人が山登りにかまけて現れないなんて。(ぶちぶち)。
巽 その代わり、むしろわれわれがキャサリン・ヘイルズ夫妻をマークに紹介したり して、何だか変な気分(笑)。でも、さすがキャサリンはすでにしっかり『葉の家』 を熟読していたんで、ずいぶん盛り上がった。
小谷 今年の暮れには、嶋田洋一さん訳がソニー・マガジンズから出るんですよね。 マークも来日するそうだし、楽しみですねぇ。
巽 そういえば、ここんとこ、映画はどうですか。わたし自身も『セシル・B』やら 『すべての美しい馬』やらのプロモーションに関わったし、小谷さんも『ベーゼ・モア』の女性監督ヴィルジニ・デパントと対談したりもしたわけだけど、それら以外で おすすめは?
小谷 小林エリカちゃんのアニメ『爆弾娘の憂鬱』は、いま非常勤行ってる白百合女 子大の学生たちに見せたらバカウケだったんだよね。「かわいー」とか叫んでた。
巽 彼女は初めての小説『ネバーソープランド』(河出書房新社)もよかったし拙著 『メタフィクションの謀略』の文庫版『メタフィクションの思想』(ちくま学芸文庫) にもたいへんにアヴァン・ポップな表紙を描いてもらって。
小谷 あとはねえ、そうそう、教授が文庫解説書いた『ヘビトンボの季節に自殺した 五人姉妹』のソフィア・コッポラによる映画化『ヴァージン・スーサイズ』はそうと うよかったですね。
巽 ジェフリー・ユージェニデス原作の精神を忠実にふまえながらも、ソフィア・コッ ポラならではの絶妙な改変も加えてたところがよかった。原作にはない10CCの『アイ ム・ノット・イン・ラヴ』を入れてみたり。あれって、ひとつの70年代DJ小説ですか ら。
小谷 それで、主演のキルステン・ダンストがこんどはガラッと変わって、ペイトン・ リード監督のスポ根映画『チアーズ!』に出たじゃない、さっそく見に行きましたよ。 あの娘、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のころから成長したよねえ。
巽 『チアーズ!』は舞台がサンディエゴってとこにも親近感をおぼえたけど。ああ、 ここも知ってる、あそこも知ってるって感じで。
小谷 いやあいいですよ、キルステン・ダンストは。目がいいの。もうすごっくいい の。ああいう冷たい虚無的な目つきができる女優ってあんまりいないもん。熟女になっ たら、すごいよー、きっと。娼婦っぽい少女をやらせたらピカ一、っていう点じゃあ、 むかしでいえばジョディ・フォスターかなあ。そのうち社会運動とかやりだしたりし て。あ、もうやってるか(笑)。わたし的には、今シーズンは『A.I.』がいまいちだっ たから。
巽 いくらキューブリックから指名されても、スピルバーグじゃまったく資質がちが いますからね。そういえば、ウディ・アレンの新作『おいしい生活』の方が、キュー ブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』の完全なパロディになってて、大笑い したんだけど。
小谷 あとは、若島正さんが訳したウラジミール・ナボコフ原作(『ディフェンス』) の『愛のエチュード』がよかったなあ。監督がオランダ人女性マルレーン・ゴリスだっ たせいかも。これだって、天才チェス・プレイヤーを主人公にしたイディオ・サヴァ ン系スポ根映画といえばいえるんだけど、ラストがいいんだよね。けっきょく勝つの は女!ってことなのね。
巽 最近、佐藤亜紀の第一長篇『バルタザールの遍歴』が文春文庫で再刊されたんで 読み直してたら、セバスチャン・ナイトという作家があたかも実在していたみたいに 語られてるんですね。ナボコフもすごいけど、こういう虚構内虚構を平然と自然化す る佐藤亜紀も、改めてすごいと思いました。
8/2/2001