#9 時差ボケ新世紀

cpamonthly2001-01-15

小谷真理 みなさま、あけましておめでとうございます。さて教授、ずいぶん間があいてしまったんですが、第21回日本SF大賞受賞のほうもおめでとうございます。そのせいか、ここ数ヶ月 怒濤の忙しさだったみたいで。

巽孝之 そうですね、受賞もさることながら、出版ラッシュが重なったこともあって、すいぶんご無沙汰になってしまいました。昨年2000年は、5月に受賞作の『日本SF論争史』 (勁草書房)と『メタファーはなぜ殺される』(松柏社)の出版が相次いだうえに、9 月 末には『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書)もお目見えしたので、一年 中プロモーション期間みたいな感じでしたね。10月末には飛び込み企画で、アイ・ヴィ ー・シー製作、紀伊國屋書店配給になるヴィデオ全集『20世紀の巨人』全十一巻総合監 修のため全巻に解説を付けたり、12月には既報のとおり、作家の佐藤亜紀さんをゲストに迎えて藝文学会の年末恒例シンポジウム「文学?の20世紀」をやったり。

小谷 ではその他の話題で、前回とつなぐ意味でも、この十月頃から、なにか記憶に残っていますか?

 それはずいぶんないい方ですね、記憶もなにも、ちゃんと日記付けてたの?

小谷 ここにスケジュール帳が・・・。いやもう半分以上ボケているので、昨日何喰ったのかも思い出せないのよ。

 アルミが脳にたまっているんじゃない?

小谷 いや、この間、あのアルミのしゃもじは取り替えたぜ。えーと、ではたそがれの国の十月ですが。

 わたしは来る日も来る日も学会だったような気がする。とくに前半は10月13日から 1 5日まで、日本アメリカ文学会全国大会が同志社大学で開催されたし、後半は、10月27 日から29日まで、愛知学院大学山口慶友会双方からの依頼が相次いだため講演旅行に なったし。でも、山口ではちょっと遠出して、庵野秀明監督の新作『式日』の舞台になった宇部市を訪れることができたので、銀幕ではじつに不可思議だった光景のナゾが解 けました。映画だと、一見して宇部市の人たちは町の随所に張りめぐらされた歩道橋ネットワークを駆使してるみたいな感じがしたんですが、いざそこへ行こうとして町の人 に尋ねてみても、誰も知らないんですよ。さんざん探し回ったあげくわかったのは、あれってじつは銀天街アーケード上の非常用通路で、ふだんは許可なく入っちゃいけない ところだったということですね。そのあと入った芸術喫茶「じゃがいも」もなかなか印 象的でしたが。
そのほかでは、10月16日に観た劇団・遊●機械/全自動シアターの『メランコリー・ベイビー』(於・青山円形劇場)が、ボックス・アーティストのムットーニ自身を主題にしつつ、何と本人をも出演させてしまうという、凝りに凝ったメタシアターの傑作でした。あまりに感動したんで、高泉淳子による同題の脚本(工作舎)を東京新聞の年末ベスト3に入れてしまったほど。

小谷 あれって、ほんとに教授好みの舞台だったよねえ。筒井道隆がよかったな。
わたしの場合、10月はやっぱり、クィア批評のイヴ・コゾフスキー・セジウィックが来日していたことでしょうか。10月7日には、お茶大での講演会へも行って。そういえば、10月21日には高山宏さんの物議を醸した『奇想天外英文学講義』(講談社メチエ )の出版を祝う会が新宿の「火の子」であって、またまた教授は、山田登世子さんと東京フラヌールだったとか?

 あなたもあの場にいたでしょ。

小谷 二次会の場所がわからず、お洒落な山田先生と、新宿をさまよった晩のことはわすれられませんわ〜。

 数年前にも、二次会へ赴くご一行とはぐれちゃって、山田先生とハイアットで飲んでから帰宅したことがあるんです。以来、山田先生はわたしを見ると方向音痴扱いする 。

小谷 私的には、『天使禁猟区』の連載がついに終了し、それ以外のことは考えられず、ついにヴィジュアル系ロックバンド漁りまで繰り広げてしまったのでございます。教授、ザフィケル様が死んだところまで読んだんですよね。

 あの作者は日本SFをけっこう読んでいるんじゃないかな。

小谷 野阿梓『兇天使』とか神林長平『猶予の月』とかね。  
  では十一月ですが、一番の思い出は、SF新人賞ですね。受賞作ふたつとも、すんごい面白い力作だったですよ。というか最終選考に残った作品全部力作で本当にすごか ったですね。なんか底力というか新世紀というか、パワーを感じましたね。これは三月 に発売予定の<sf>で、教授のSF大賞とともに選考過程と選評が公表されます。  
この月は非常にお出かけが多かった。11月25日にはファット・フェミニズムの写 真家 ローリー・エディスンの展覧会が京都精華大学でありまして、シンポジウムへ。少女マンガ評論のマット・ソーン氏や麻姑仙女さん、嶋田美子さん、田崎英明さん、荻原弘子さんとも合流して、ローリー、それからデビー・ノトキンと話し合いました。京都精華大学の展覧会は、肥満女性の写真と、普通の男のヌード写真と両方が展示され、改めて 身体について考えさせられました。

 12月4日には、ジェフ・ベックのコンサートにも行ったし。ジョン・レノン暗殺20 周 年の間際に"A Day in the Life"のジェフ・ベック版アレンジを聴くというのは、なか なかに感動的だったなあ。彼が弾くと、あれがじつは最初から彼のためにプレゼントされ た曲なんじゃないかというような気がしてくるから不思議なんです。

小谷 12月21日に行った黒百合姉妹もよかったですね。JuriさんとLisaさんの姉妹ペア なんですが、教会音楽にエンヤをまぜあわせたようで、すごく神秘主義的な感じ。「古くは、クリスマスとは、冬至から春へと変わることを祝う会でした」とか「皆さん、23 日には空を見ましょう」とかいった荘厳なスピーチがあったり。会場だった吉祥寺のMA N DRA2では、姉妹の音と映像を保存しようとするメカ青年たちが活躍していたのが印象的 でした。女性の聴衆はみんなピンクハウスでめいっぱい着飾って来て、とにかく異色な音と異様な雰囲気のライブがめいっぱい展開されて、非常に満足度が高い。

 うーんあれは最初は、荘厳というより、何という陰鬱な人たちかと思ったんですが 、じつはあの地の底からうめくような雰囲気が最大の売りなんですね。楽屋へ行ったら 、案外ギャグっぽいおふたりかも。

小谷 で、恒例の12月23 日の忘年会兼クリスマス・パーティ。今回は東京アナログ化 計画でお馴染みのフカサワカズヒロ君のお手製ローストチキンを食べるという、楽しい企 画がありました。それにしても、宴会会場に、料理のレシピと材料をもってあらわれるというセンスには、びっくり。発想の転換ですか。料理しながらの宴会って、アウトドアみたく臨場感あって、けっこうよい。

 暮れにはワシントンD.C.で開催されたMLA(近現代語学文学協会)に出かけて(12/25-30)。

小谷 命の危険を感じるほど寒かったあ。

 クリスマス後のバーゲンセールは文字通りの投げ売りで、宙を飛び交う暖かそうなダウンをはっしと受け止めました。

小谷 西川の羽毛布団のようなダウンですね、おかげで命拾いしましたよ、もう。で、教授、MLAはいかがでしたか?

 前に行ったのは、1997年暮れのトロントでしょ。久々だったから、とにかく聴かな きゃならないパネルや会わなきゃならない人々が多すぎて。内容だけだったら、マーク ・トウェインのパネルやチャールズ・ブロックデン・ブラウンのパネルが収穫。特に後者には友人のメルヴィル学者サミュエル・オッターも出演、全員が『アーサー・マーヴィン』と黄熱病言説の問題に絞っていて、これはもう、今度出す『アメリカン・ソドム 』(研究社、2001年3 月刊行予定)の註釈に入れなければ、と思わせるぐらいのカブリ方でしたねえ。ともジョナサン・カラー司会の文学理論のパネルを聴いたのも、五年ぶりかな。
ビジネス面では、UCLA名誉教授のマーサ・バンタおよびデューク大学出版局編集部長 レナルズ・スミスと、ぶじ打ち合わせがすんでホッとしてます。あとから来たメールによると、ジャパノロジー系ではメアリ・ナイトンやマーク・ドリスコルも来ていたようですね、すれちがっちゃったようで残念。

小谷 わしのほうは、ソーカル事件に一石を投じたマージョリー・ガーバーの「モラル とスタイル」というパネルが拾いモノでしたね。異装研究で目のさめるようだったカー バーは、現在ハーバード大学文化研究所所長。本当にかっこよかったし、司会もよかっ た。
彼女のお題は'"Fashionable"、ソーカル&ブリクモンの『知の欺瞞』Fashionable NonsenceのFashionableにひっかけて、アメリカにとってファッショナブルなもの、それは フランスなのだというところから説き起こしてモラルとスタイルの意味を再考していく というもので、徹底的に考えぬかれた、ものすごいペーパーだったなあ。マージョリー は、三番目のスピーカーだったんですが、最初のスピーカーがアンファッショナブルな る傾向をアメリカにおけるユダヤ性と絡めて話した後だっただけに、パネル構成全体が あらかじめ高度に政治的に演出されたものだと思い当たりました。これをかっこいいマ ージョリーがファッショナブルに論じるということで、二重にエキサイティングでした ね。他だと、ジュディス・ハルバーシュタムの出ていたレズビアンアイデンティティ についてのパネルがおもしろかったかな。

 今回は、大串尚代君がワシントン初めてだったから、ちょっぴり観光もしたでしょ 。ナショナル・ギャラリーとかリンカーンが暗殺されたフォード劇場とか、その地下の リンカーン博物館とか。暗殺現場そのものは、日中公開されていなかったんで、わざわざ、上演中の『クロスマス・キャロル』のチケットを買って、就職活動中のマイケル・ キージングも誘ってみんなで一緒に観たり、とかね。

小谷 ちょうど、暗殺現場のボックス席の真向かいの席が取れたんですね。おかげで、 劇のさなか、白いモノでも見えるんじゃないかとなんか落ち着かなかったなぁ。ほんと 出そうなんだもん、あそこは。まじ、キモチワルイ。霊感少女ならきっと卒倒するよ。 でも、撃たれて即死なのかと思ったら、劇場の前の家にかつぎこまれたリンカーンは、 翌朝まで生きていたんですって。

 そのあたりは、現在<ユリイカ>連載中の「<南北>の創生」の今後に期待してい ただくことにして。

小谷 取材成果満載なんでしょ。しっかし、血の付いた枕まで展示するかね。あの血痕 から遺伝子を抽出できたら、クローンとして復活もできるんだろうか……

 願わくば、欠損遺伝子を補完するためにアマガエルのは使わないで欲しい。

小谷 教授、それってバカSF!?

 ということはもちろん、<次至残史>には書きませんでしたが。

小谷 そのあとはワシントンからかけもどって、新世紀は東京で迎え、大晦日は紅白観 て元旦になった直後、おもむろに<残使支始仔支>年越し喫茶へお出かけ。2日からは、打って変わって、亜熱帯の香港へ。

 これは"Hong Kong 2001:Technology, Identity, &Futurity,East and West, In t h e Emerging Global Village"と銘打たれたもので、カリフォルニア大学リバーサイド校が開催している年次会議が、2001年を記念して香港中文大学とタイアップして行った特 別企画なんですね。

小谷 教授がゲスト・オブ・オナーだったのに便乗して、一緒に行くのに近いからと言 うことで、ワールドコンみたいにツァーを組んだのでした。ガタコンの嶋田喜美子さん と元・早川書房の細井恵津子さん、それに作家の大下さなえさんと批評家の東浩紀さん のご夫妻もお誘いして。カンファレンス自体は四日から七日まで、朝九時から夕方六時 まで、一人30分の発表という形式。集まったのが全部で四十人くらいなので、サボる とバレちゃう。いやー、もうこれは全部聴くしかなくって。でも充実してましたね。East Meets Westとグローバリゼーションがテーマのせいか、文字どおり五大陸からSF関係者が集結。科学と文学の間を探究している批評家N・キャサリン・ヘイルズのニール・ スティーヴンソン論を筆頭に、香港中文大学ウォン教授のばりばりサイボーグ論。それに クリストファー・ボルトン安部公房論、シャーリーン・オーボウのアニメ論などもす ごかったけど。拾いモノだなと思ったのは、中国SF史関係の発表で、戦後ロシアSFの影 響が強かったのに90年代に入って英米SFの影響が強くなった(特にサイバーパンク系)と いう点がかなりはっきり示されたこと。日本のSF輸入史と比較しても興味深いと思った 。で、以前『ターミナル・アインデンティティ』をデュークから出して著名なサイバー パンク系批評家スコット・ブカートマンが、インフルエンザで欠席したため、教授がトリの基調講演をしたのでした。これは 『2001年宇宙の旅』論ですが、リライト版ですね。

 2001 年のカンファレンスなので、てっきりみんな2001 年論を用意しているかと思 ったら、だれもやらなくて。これは1992年1月に浜野保樹さんが企画したHAL9000の誕 生日を祝うシンポジウムの時に思いついた2001年論を、九年経ってずばり2001年を迎えた いま、わたしなりにポストサイバーパンク以後の視点から徹底的に考え直したペーパーです。その間、折にふれて何度も書き直してはきたんですが、今回のヴァージョンは基本的に、ショシャナ・フェルマンのスピーチアクト理論から60年代対抗文化を考え直し、ジョナサン・スペンスの記憶の宮殿理論からモノリス的電脳空間を読み直したところ が新しいかもしれません。

小谷 記憶の宮殿ネタって、サイバーパンク系ではかなり一般化したものだけれど、こ ういう使い道があっとは。フランセス・イエイツも草場の影で爆笑していることでしょう。彼女、かっこいいんだよねー。魔術論とサイバー論って、けっこうがっちり繋がるし。これって、会議全体の総括論文集に入るんですよね。

 主宰者のひとりであるカリフォルニア大学リバーサイド校のギャリー・ウェストファールは、学術雑誌の特集号にするかもしれない、とも言ってました。わたし自身は 一応、日本語版も一冊の本になるよう、目下、鋭意加筆改稿中です。『2001年』論は、これまでどの著書にも入れていないので。みなさん、どうぞお楽しみに。

1/15/2001