#31 ハーマン・メルヴィルを語りたおす!

ハーマン・ メルヴィルを語りたおす!


CONTENTS
0. はじめに
1. 第 10回国際ハーマン・メルヴィル会議について
2. 日本におけるメルヴィル研究
3. ジョン万次郎とハーマン・メルヴィル
4. 日系アメリカ人作家カレン・テイ・ヤマシタについて
5. クレイジーメルヴィル、あるいはメルヴィル学者のクレイジー
6. 光文社古典新訳文庫『書記バートルビー / 漂流船』について
7. 日系作家 ヒサエ・ヤマモトの「ベニート・セレーノ論」
8. 小谷真理氏による「書記バートルビー」論
9. 小谷真理氏による「漂流船」論

0. はじめに

本座談会は Panic Americana 最新号(20号記念号)掲載のさい紙幅の関係で大幅に(ほぼ二分の一以下にまで)切り詰められたメルヴィル座談会 “Crazy Melville, Melvillian Craze”テープ起こし草稿を復元し、加筆改稿したものである。改めて当日の雰囲気を味わっていただければ幸いである。

1. 第 10回国際ハーマン・メルヴィル会議について

編集部(以下、編):この度、国際ハーマン・メルヴィル会議がアジアで初めて慶應義塾大学で行われました。まず第 10回を迎えた国際ハーマン・メルヴィル会議の日本開催の経緯をお伺いしたいと思います。

巽孝之(以下、巽):結構昔からこの話はあったんですよね。 2010年の秋に日本アメリカ文学会全国大会が立正大学で開かれた時、北米メルヴィル学会の重鎮でメルヴィルヘンリー・ジェイムズ双方の大家であるカンザス大学教授エリザベス・シュルツ先生が来日されて、牧野先生やわたしに非公式に打診された。「将来は日本で国際メルヴィル会議をやりたいんだが」と。わたしはシュルツ先生には 10年前、ニュー・ベッドフォードの国際メルヴィル会議でお会いしたのが初めてなんですが、この方に言われると弱いんですね。うちの祖母にそっくりだったりするので。

牧野有通(以下、有):そうですね。でもやはり巽さんと 2011年の春にローマで第 8回国際メルヴィル会議に行ったときに具体化してきたと思いますね。

:実は牧野先生は明治大学の現役教授だったころからメルヴィル研究センター(メル研)を立ち上げて、長く軽井沢でやっていたプライベートな研究会を行なって来られた。われわれは、別名「牧野有通と愉快な仲間たち」と渾名していたわけですが、しかしそのままでは正式な学会として外部資金なども獲得できませんので、これを機会に正式に日本メルヴィル学会を設立することになったんですね。公にしないと国際会議は開けませんから。

:プライベートな研究会は約 30年間やってきた経緯があります。あと慶應義塾大学が全面的に協力してくれました。それからカリフォルニア大学バークレー校のサミュエル・オッター。巽さんのコーネル大学大学院でのクラスメイト。彼の協力が大きかったですね。こちら側としては、Melville and the Wall of the Modern Age (2010) という本を出していて、それで日本メルヴィル学会を立ち上げ時の中心メンバーとなる人達がだいたい固まってくれた。それに巽さんが入ったので、日本側としては引き受ける条件がほぼできた。そしてローマでシュルツさん、サム、ジョン・ブライアント、ロバート・ウォーレスといった人達と最初の打合せをしたんですね。

:国際メルヴィル会議は隔年でアメリカ国内ないしは海外で開く習慣なので、それから 2年後の 2013年のワシントンD.C. における第 9回国際メルヴィル会議で日本開催に向けての最終的な打合せをジョージ・ワシントン大学の近くのピッツァリアで設けている。

:そこでワシントンでの国際コンフェレンスがあったときに巽さんと私がインビテイションみたいな調子で最後のアドレスをやったんですよ。あの段階で既にすごく好意的な反応でしたね。是非日本にやって来てもらって、楽しい国際会議にしたいと思っておりますと言って私と巽さん一緒に立ってですね、その時に幹部になられる舌津さんと斎木さんと、佐久間さんと下河辺さんと、上原さん、この人達を紹介したんですよ。この人達は今回も中心メンバーになりました。まあ、これが経緯ですね。

:今回、開会式にも使った東館ホールでの最終日、閉会式のときはなんと満場のスタンディングオベーションになっちゃって。

:舌津さんなんか「思い残すことはもうない」と言ってたと聞きましたが。

小谷真理(以下、小):えぇー!

:あれはちょっとやりすぎだったんじゃないかって思うんだけど。ただあの時はね、ありがとうございましたって日本語で言って、“Thank you very much” をくっつけて、終わったらなんだかはっきりしないなと思ったから、私も立ち上がったんですよ。立ち上がって一礼したの。そしたらみんな一斉にバァーってね、立ち上がったんですよ。びっくりしたねぇ、そんな予定じゃなかったからね。

:ちょうどジョン・ブライアントの新しいメルヴィル伝をめぐる特別講演が終わったあとだったんで、演台にはわれわれふたりのほかにジョンも、その司会のサムも座ってたんですね。牧野会長が立ち上がったんで、われわれ三人も立ち上がった。そうしたら会場も反応した。驚きましたよ、今までそんなことなかったですから。

:すごく感動的だったというか。辻祥子さんなんかはビデオ撮っていたんだけど、ほとんど感動して「涙が出そうになった」って言ってましたよ。だから実際のところ、巽さんとこれまでに何度も国際会議に一緒に行ってるけれど、これだけうまくいったのは少ないよね。

:あっちでやるとクールに終わっちゃう。

:クールだし、ローマなんかのときは、もう無愛想に終わってねぇ。

:ローマだとエクスカージョンも失敗だったって話で。観光都市でエクスカージョン失敗してどうするよ(笑)。我々は鎌倉へのエクスカージョンも楽しくてねぇ。

:大仏の中に入ったんですって?「鯨の腹の中みたいだ」ってみんな騒いだんでしょ。

久里浜のペリー博物館も。

:巽さんの紹介した居酒屋ね、あれはまたえらく成功したね。

:あの立ち飲み屋ね。私の中学高校の同級生・柳雅康君がやってる神田の小川町「イチゴー」は飲み物もおつまみもなんでも 150円だから「イチゴー」。なんかね、ありあわせのビールのプラスチック・ケースかなんかで椅子が作ってあったりとか、店内のレイアウトがすっごくテキトーなの。ところが、それがバカ受けだった。ああいうところアメリカ人は見たことがないわけですよ。

:ディープ・ジャパンね。あそこ、永遠の学園祭感覚だもんね。

:科学博物館の前では大きなザトウクジラみたいなのがいて、クジラの前でみんなで写真を撮ったね 。

2. 日本におけるメルヴィル研究

編:他のアジアの国々の反応はいかがでしたか?

:本当はもっと中国とか韓国が来ると思いましたけどねぇ。

牧野理英(以下、理):ウィン・ケリー先生が「中国や韓国、あるいは東南アジアのタイとかからの先生はいらっしゃらないんですか」っておっしゃったときにどう答えていいのかわからなくて。「そういえばいないですね」って答えるしかなかったことを覚えています。私のイメージでいうと韓国はメルヴィル研究が盛んな気がしたんですが…。

:私は国際会議に何度も出ているけれど、日本人は国際会議の度に人数が増えていくわけよ。出席するだけじゃなくて、発表もたくさんやる。前回のワシントD.C.のときにはやっぱり 10人近く発表やってたよね。今回は 20人前後は発表してるわけね。私の知る限りだと中国から先生が 1人、韓国から 1人来て、それぞれ発表してたんだけど、1人ずつだったようだね。それを考えてみても、日本の方がやっぱりメルヴィル研究においてはドミナントというかね。

:日本はメルヴィル大国なんですよ。だって『白鯨』Moby-Dick (1851) の翻訳が 1ダース以上あるなんて、中国とか韓国ではありえないでしょう

:何か理由はあるんですかね。

:日本は『白鯨』で何度も言及されてるしね。「二重にカンヌキのかかった国・日本」ですから。もちろん主催者としては中国韓国を意識しなかったわけじゃなくて、実際には中国系のメルヴィル研究者でアメリカで活躍しているのはイエール大学のワイチー・ディモックとかカリフォルニア大学サンタバーバラ校のユンテ・ホアンとか、いるわけですよ。だけどその人たちはもう大御所なので、呼ぼうとしたらゲストスピーカー級。基調講演者はもう池澤夏樹さんに坂手洋二さん、エリザベス・シュルツ先生、カレン・テイ・ヤマシタと 4名決まっちゃってたから、ちょっと呼べなかった。もしそういう人たちが実際に中国で教えてたりとかしたら来たんじゃないかと思うんですけど。だからああいう中国系でいわゆる成功したアメリカ文学者っていうのは、結果的にアメリカの大学に勤めちゃうんですよね。

編:日本の研究者は国際的な会議で発表するような学者になっても、あくまで拠点は日本に置くことが多いのですか?

:いないわけじゃないんだけどね。アメリカで活躍している日本人のメルヴィル学者。だけど日本の場合は日本に足を置いた大学教員として会議に出て行って発表するというケースがかなり一般的になっている。これ自体は悪いことじゃないよね。

:そうですね。まったく同時に、わたしのところにはアメリカの大学院生や学者研究者が奨学金を取って在籍させてほしいと、しきりに依頼してくる。毎年数名は受け入れています。著名な日本学者スーザン・ネイピアやマーク・ドリスコル、ウィリアム・ガードナー、みんな慶應義塾大学で在外研究して、図書館にもぐって調査し、論文を書いたり本を書いたりして成果を挙げている。前掲サムの教え子であるバークレーの大学院生だったジョシュア・ペティットに至っては「メルヴィル『白鯨』の日本における翻訳史」が博士論文のテーマだったから、アメリカから日本に来なきゃならない必然性が充分あるんです。特にメルヴィルの場合は日米交渉史の架け橋だったわけだし、時代はいまやポストコロニアリズムどころか惑星思考とか環太平洋的想像力とかのスケールで考えなきゃならないわけですから、日本からアメリカに留学するという一方通行だけじゃなくて、アメリカから日本にたくさん留学してくる時代になったわけなので、そうした場合に、日本国内にわたしのみならず、複数の受け皿がないと困るわけです。

3. ジョン万次郎とハーマン・メルヴィル

:牧野先生は国際メルヴィル会議は第 1回から出ていらっしゃるんですよね。今回が第 10回だから、機械的に計算すると、20年やってることになる。ただ、サムによると、まだ 1990年前後のあたりに一度参加してるって言うんですよ。だから、当初は隔年じゃなかったのかもしれない。わたしが最初に参加した時は 2005年のニュー・ベッドフォードだったから第 5回で、その時には隔年形式が確立してたみたいですけど。

:そういえば国際会議のもっとも初期の段階で発表したことありましたけど、その時ジョン万次郎 (1827-98) とメルヴィル (1819-91)がすれ違ったという話をしたのね。そしたらみんなそんなことあったのかと驚いたみたいね。二人は実際に面識があったわけじゃないんだけど、捕鯨船同士ですれ違った。おそらくガムはやったんじゃないかな。メルヴィルはその船に日本人の漂流民が乗ってるなんて全然気づかなかったはずなのね。それで二人は、アメリカでもフェアヘイグンとニュー・ベッドフォード、目と鼻の先で滞在してた時期がある。またハワイでも数ヶ月遅れですれ違ってた。偶然中の偶然。それから中浜万次郎慶應大学との関わりもあって、福沢諭吉 (1835-1901) に英語教えている。あれは、日本人がなんでそんな興味があるのかっていうきっかけとしては非常に意味があった。

4. 日系アメリカ人作家カレン・テイ・ヤマシタについて

編:では大盛況だったメルヴィル学会での発表者についての話を伺いたいと思います。カレン・テイ・ヤマシタの発表はいかがでしたでしょうか?

:個人的な感想としては、ヤマシタ先生の基調講演が素晴らしかったので泣きそうになってしまいました。基調講演にも書いてありますが、お母様の健康状態が危ないところだったのをいらしたようなんです。それであのメルヴィル学会終わった直後に亡くなられてる。学会中は何回か電話してたり、心配そうな顔とかをされていて、どうしようと思ったんですけど、ちょうどあの時にあたっていたら講演をとりやめて帰っちゃったと思うので。そういった意味で私にはとても感動的でした。あとプロ意識をすごく感じました(※基調講演「わが名はイシマル」とそれに続く今福龍太、管啓次郎をまじえたパネル・ディスカッションの全貌は『三田文学』2016年冬季号に掲載)。

:絶対に聴衆を楽しませるんですよね、彼女は。

:そう、エンターテイナー。パフォーマー、アーティストとしての彼女を見た感じがしましたよね。今回のパワーポイントは結構学際的なものだったのですけれど、前回の日本でのアジア系アメリカ文学研究会の国際学会のときは、彼女のミュージシャンやダンサー的な要素も感じました。

編:カレン・テイ・ヤマシタの経歴はどういうものなんですか?

:彼女は大学で人類学を専攻して、データ収集やインタビューなどをやっていたようです。そのあと奨学金を得てブラジルに行って、日系移民の研究をしていたんです。でもそこで旦那様に会って結婚されて、その後は 10年くらいそこで滞在していたのです。そのあとアメリカへ帰ってサンタクルーズクリエイティヴ・ライティングの先生になったということです。

:ブラジルの前は、日本に留学してたんでしょ。早稲田に行ったんだけど日本での留学生活がそんなに良くなかったらしいね。

:そうです。ヤマシタ先生は、1975年に “The Bath” っていう短編小説を書かれたのですけれど、それは日本に帰ってくる自分の話とも考えられます。半自伝的なところがあって。それを読むと、日本に対して批判的な部分を持ってたんではないかという印象を受けます。自分のルーツをたどるために行ったところが、結果的にあまり良くなかったというような。

:ルーツは長野と岐阜だからね。

:ヤマシタ先生は長野に行ったときにたまたま 1972年の浅間山荘事件をリアルタイムで見ていたらしくて。後で映画にもなったんですが、あのすさまじいリンチ事件ですね。自分の滞在していた場所のすぐ近くが浅間山荘だったらしいんです。で、機動隊の鉄球が入っていくのを見てたりしていたのではないかと思われます。そういうシーンが “The Bath” に描かれているので。これを見たときに、「日本って一体なんなんだろう…」みたいな感想はあったと思います。ある意味大変面白い体験をされて、それからブラジルに行ったって感じですかね。

:非常に面白いよね。私がカレン・テイ・ヤマシタの隠れた傑作だと思っている第四長編 『サークル Kサイクルズ』Circle K Cycles (2001) という作品があるんですけど、この小説の舞台が名古屋近辺、自動車工場がたくさんあるところ。で、ブラジルから移民がそこに日本に夢見て来るっていうわけですよ。

:静岡の浜松や群馬にも彼女は触れています。自動車工場の町で外国人労働者が多く滞在している所ですね。

:日本人にはアメリカン・ドリームがあったわけですが、ブラジル人にはジャパニーズ・ドリームがあるんですよ、だから昔は日本人がアメリカン・ドリームを夢見て北米へ渡ったけど、今はブラジル人がジャパニーズ・ドリームを夢見て日本へ来るんだよね。そこでヤクザまがいの事件に巻き込まれて、惨憺たる結末になって、体も結構ギタギタにされちゃうっていう顛末を、カレンはCircle K Cycles でブラックユーモアを込めて語っている。ブラジルから日本に行けばなんとかなるだろうっていう移民をカレン・テイ・ヤマシタは皮肉っぽく見ているんだよね。日本に夢を求めたけれども、結局得たものは悪夢でしかなかったっていう、すごいもうブラックな傑作なんですよ。ただあれは訳すと問題だろうね。

:そういった意味でBrazil-Maru (1992) も問題視はされるでしょう。実在する農場をベースに描いているんですが、その農場に実際に働いている方がまだいらっしゃるので、あの人達が彼女の作品を読んだらどのように思うのか気になります。やはりいろんな意味でちょっと難しいのですけれど、それでも訳すべきだと私は思います。

:日本は翻訳大国だ、なんで訳されないんだろうと思う人もいると思う。訳せないものは英語が難しいんだろうな、とか。でもカレン・テイ・ヤマシタの英語そのものは決してそんなに難しくはない。けれど多分訳すと一部の人々に、突き刺さるような差別をしてるかのような、そういう面があるので、政治的に危険なんですよ。

:誤解され得る書き方もしてるタイプだと思うな。でも今回はすごくサービス精神旺盛だったね。驚くほど自分の家系の一部分まで、まあ全面的に展開したわけじゃないけれども強制収容所の話なんかもかなり語っているし。全体としてもディスプレイとか使ってすごく解りやすくやってくれたと思うよ。メルヴィルにも関わらせようとして必死だったしね。うん、ご苦労さんだよね。

編:牧野理英先生がカレン・テイ・ヤマシタ作品と出会ったのはいつ頃なのでしょうか?

:24, 5歳ぐらいの時ですね。私がちょうどアメリカの大学院に行こうと考えていたときに、佐藤ゲイル先生の授業を取って、その時に授業のシラバスにカレン・テイ・ヤマシタって書いてあったんです。今まで読んだことがなかったのですが、ヤマシタの作品は面白かった。問題にされている作品ではあるのですが、Brazil-Maru が私としては一番好きでした。

編:それ以前は何の研究をされていたんですか?

:それ以前はナサニエル・ホーソーン (1804-64) で全然違うことをやっていました。私は “Young Goodman Brown” (1835) が大好きで。ああゆう独特な世界観というか、本当にカーニヴァルのような、ハロウィン的な世界というのが好きで。それで現代作家にいろんな人間のいるコミュニティーの中で、ごちゃごちゃになっているものってないかなって思ったときに、日系作家ヤマシタというのがそういうことを書いている。確かにヤマシタとホーソーンは全然違いますけれど、その時は似てる部分を感じたんです。それと今私の研究のベースはアジア系作家ということになりますが、日系作家から見るメルヴィルなんていうのはかなり面白いと思う。今後メルヴィル研究の展望のひとつとして日系作家の視点というのは重要で、まだあまり研究されていないし、やりがいのあることだと思うんです。

:後で出てくるのかもしれないけれど、「ベニート・セレーノ」のあたりでね、ヒサエ・ヤマモト (1921-2011) という作家の話が関わるかもしれない。それを見てもメルヴィルと日系作家とはいくらか関わるところがある。

5. クレイジーメルヴィル、あるいはメルヴィル学者のクレイジー

編:牧野有通先生は紀伊国屋トークイベントで高校時代に田中西二郎訳の『白鯨』を読んだのがメルヴィルとの出会いで、その後大学生のとき大橋健三郎先生の授業で非常に引き込まれたとおっしゃっていました。牧野有通先生が、メルヴィル研究をやっていくと決意されたのはいつ頃ですか?

:決意というかな、田中西二郎自身もクレイジーな人間のひとりで。メルヴィルをやる人間ていうのはどこか変わっている。

:有名な冒頭 “Call me Ishmael” のたった三語が「まかりいでたのはイシュメールと申す風来坊だ」(新潮文庫)って。

:政治的に見ると、田中西二郎はかなり左翼の人でしょ。山西英一とか橋本福夫さんのような反体制的な人が最初メルヴィルに関わってきて、その影響が阿部知二 (1903-1973) にないわけじゃない。彼がベトナム反戦など反体制的な政治的な活動をだいぶやったのを知っていると思いますけど、ほとんど社会党などと一緒になってやっていたようなところはあるんだよね。

:今年公開された細田守監督の『バケモノの子』で使われる『白鯨』テキストは阿部知二訳なんですよ。そういえば、阿部知二研究会というのがありますね。文学者として研究対象なんですね。

編:『冬の宿』(1936) を読みましたが、日本の自然主義の流れをくんだ普通の小説だというふうに感じました。

:でも、あれもよく読むとメルヴィルの反体制的な影響が出ていると思いますね。あの霧島嘉門のような破天荒な人間が、軍国主義の時代に生きていて、語り手のある大学生がそのなかでどう対応していいかわからなくなって、しかも卒業論文で迷って、あんな「下宿」に転がり込んだ。それで「冬の宿」なんだ。だから軍国主義ということを意識していなければ、今君が言ったとおり自然主義の流れのリアリズムで読めてしまうけれど、小説の終わりのほうになるにしたがってメルヴィルが顔を出してくるんだ。最後の方であの鬱屈した青年は一種のイシュメールになっている。そして最後は霧島嘉門と性病をうつされてしまった奥さんとが完全に転落していく。その状況はピークオッド号に喩えられる。さっき巽さんが言っていた阿部知二研究会で私も発表したことがあって。阿部知二研究会のほうはメルヴィルに詳しい人があんまりいなかったので感銘を受けていました。

:研究会は関西でしたっけ?

:姫路。姫路文学館というのがあって、阿部知二研究会はそこを基盤にしている。阿部知二卒業論文は詩人としてのエドガー・アラン・ポーなんですよ。それを書いている時期の大学生が『冬の宿』に出てくる大学生なの。

編:『冬の宿』は阿部知二の青春を投影したものなんですね。

:そう。阿部知二も自伝的な要素を作品の中に入れててね。他には左翼系哲学者の三木清を描いた『捕囚』(1973) という作品がある。この作品は阿部知二がエイハブの状況を置き換えて、三木清を描いている。彼は戦争が終わって解放されるべきなのに、一ヶ月引き延ばされたために獄死してしまう。といってもまた微妙な話で、近衛文麿のブレーンでもあったんだから、非常に微妙な人だよね。だからその意味ではね、私はさっきの話にちょっと戻るけれどもメルヴィル研究を決意したというほどのことはなかったんですがね。大橋先生の授業でちょうどあの頃に、メルヴィルと出会えたからね。特に『ピエール』っていうのはまぁそれ自体が反体制的でクレイジーな作品だけれど、まぁその意味では『白鯨』なんかはまだましな方ですよ。『ピエール』なんかに捉まったら、寺田建比古とか坂下昇とか八木敏雄とか私みたいに変な人物になる。

編:メルヴィルは研究者をクレイジーにしていくのですね。巽先生はクレイジーですか?

:クレイジーかもしれないけれど、質は違います。巽さんはすごく知的な方でいらっしゃる。クレイジーといっても、寺田建比古、坂下昇、八木敏雄とかはパラノイア強迫症的でね。寺田建比古の場合はグノーシス主義にのめりこんでゆく。坂下さんはメルヴィル全集を全部翻訳して出すんだけれど、ほとんど狂熱的とさえいえる。

:エイハブを「アハブ」って表記してますしね。

メルヴィルにのめり込んでいくと、自分がどうなっていくか分からないくらい、相手の力というようなものを浴びてしまうわけ。その結果、八木さんみたいに『白鯨』を丸ごととらえる方法はこれだなんてやっても、モザイクやって自分だけが捉えてるのかもしれない。どうも私なんかは、あれで丸ごと捉えていないんじゃないかと密かに思うんだけれども、それ言ったら怒りだすだろうけどね。

メルヴィルやると、何とかこの作家を丸ごと捉えなきゃいけないっていうパラノイアに捕えられちゃう。

:それでずっとそういうのを抑えて八木先生と一緒に楽しくやりましょうと思っていたら、突然ぽっくり死んだりね、ちょっとわからない。まあ、クレイジーって言ったって悪い意味っていうよりね、今言った狂熱っていうか、メルヴィルが自分の全身をぶつけていくような作家になってしまう。もう浴びてしまうとね。だからね、君も、メルヴィルを浴びてごらん。間違いなくクレイジーになるよ。

6. 光文社古典新訳文庫『書記バートルビー/漂流船』について


(※牧野有通先生翻訳『書記バートルビー / 漂流船』(光文社古典新訳文庫) 刊行記念トークショウ
紀伊國屋書店新宿本店 2015/9/29)

編:光文社古典新訳文庫『書記バートルビー/漂流船』(2015) の方に移りたいと思います。「書記バートルビー」に関しまして、牧野先生は紀伊国屋トークイベントで「笑い」の感覚あるいは「コメディ」ということを重視して訳したということをおっしゃられていました。メルヴィルにおける「笑い」や「コメディ」はどういった意味なのかお聞かせください。

バートルビーの「コメディ」の部分を強調して訳した翻訳というのは意外と少ない。柴田さんがモンキービジネスで出してたのは「コメディ」的なところを抑えてる。それで今度の訳は、ですます調で書いて、ちょっと柔らかな丁寧語で書いてるんだけど、とくにターキーあたりをコメディアンに仕立てあげようというのはかなり強くあってね。そうでもなければ次第に暗くなっていって本当に暗くなっちゃう作品だからね。

編:他の部分で既訳と差別化をはかったところはありますか?

:晴天の霹靂の部分ですね。読んでみてどうですかね?私はね、ちょっとヤバいことをやってるんですよ。原文にあたってもらうとわかるけれどね、書いてないことも書いてあるんですよ。

:え、まじですか?!

:献本の返礼をこれでもう 30人くらいに貰ったけれど、誰も指摘してこなかった。

牧野有通訳 光文社古典新訳文庫 『書記バートルビー / 漂流船』 p71

「その男は自宅の開かれた温かい窓辺で死んだのですが、そのまま午後の間中、夢見心地で窓にもたれかかったままでいて、誰かがやって来て、おいどうしたそんなに黒くなって、と触ったとき、彼はガサッと崩れ落ちたという話でした。」

柴田元幸『アメリカン・マスターピース 古典篇』
「書写人バートルビーウォール街の物語」(スイッチ・パブリッシング)p119

「暖かい自宅の、開いた窓辺で男は絶命し、そのまま心和む午後の情景に身を乗り出したまま立ちつづけ、やがて誰かがその体に触れるとバッタリ倒れたという。」

:最後の “Ah, Bartleby! Ah, Humanity!” の “humanity” を「人間の生」とする訳も新機軸ですよね?「配達不能郵便」(デッド・レター)の問題と絡めて、死と生をくっきり対比させようとする戦略でしょうか。

:ここも意味も強めたつもりなんですがね。

バートルビーの決め台詞 “I would prefer not to” について正直よくわからないので すが、牧野先生、ご説明いただけますか。

:“would” は非常に強い意思になりますよね。同時に、間接的な表現でもある。そして次の言葉 “prefer” は、選択の意思が入ってくる。私はこちらを選びますという “prefer” があるから、訳しづらい。「わたくしは、しない方が良いと思います」のなかの、「方が」という言葉を入れなくてはならなかった。それで日本語らしくない奇妙な否定文になってしまっているんですよ。それとジョナサン・エドワーズ (1703-58) の「自由意志論」。バートルビーは自由意志論者であるという前提に立てば、“prefer” をああいう風に訳さざるを得なかった。

:つまり、「俺はやらない」と強く言っているというわけですね。この話は、病気の人を相手にするのは大変だという話ですよね。

:「やりません」ではなくて、「やりたくないんですけれど」という現代の会社員の人の気持ちをすごく表しているのでは?

:上司に向かって俺はやらないっていうのは、命令不服従だから、ありえないでしょ。普通だったら即解雇でしょ。丁寧な言い方をされるので、上の人も何を言われているのかが分からなくて、どういうつもりでお前はそれを言っているの?みたいな、誠意を示さなければいけないのではないかという思いやりを誘発してしまったのかなって。

:もし “I would not” だけだったら、丁寧語で終わってしまう。“prefer” が一つ入ったために、受動性が入るとともに、絶対やりませんという意味が入る。

:相手の良心に訴えるような言い方なんですよね。

:最初に言われた時は、上司である弁護士でさえも、何が言いたいのかよく分からなかったと思う。だけど、つくづく聞いていると、絶対にやらないのだなということがじわじわと分かってくる。そういう仕組みになってる。

編:では「漂流船」の方の話に移りたいと思います。編集者によってタイトルの変更を要求されたということですが。

:敏腕編集者ですね、何しろ原題は「ベニート・セレーノ」 (“Benito Cereno”)で、これまでにもそれをそのままカタカナ表記でタイトルにしてきた既訳のほうが多いわけですから。

:あの件だけど、編集者が奇妙なプレッシャーをかけてきて。あのひとが帯に「あなたも、アメリカ最大の文豪が仕掛ける罠にまんまとハマる」って書いたんだけれど、これ、どういう意味だかわかった?あの編集の二人ともね、まんまと罠にはまったんだって。だから、私の解説読んでね、あ、そうだったのかという。

:編集部はあの解説にはすごく感動してましたよ。素晴らしい解説を書いてくださったって。

:今まであんまり指摘されてないことで、ベニート・セレーノの友人のアランダが白骨化して船首像になるでしょ?殺されてから 4日だよ。4日で白骨化するわけないでしょ?だから肉を削いで仕立て上げたんですよ、それを今までの「ベニート・セレーノ」の議論で指摘したケースってほとんどないんだよね。それを指摘してやって、そのあとベニート・セレーノにバボウが髭剃りやるでしょ。あそこでちらっと頬を切って血が流れる。そうするとベニート・セレーノはすごくパニック状態に陥るわけ。どうしてかって言ったら、剃刀で仕立て上げられて白骨化したアランダの白骨化した死体を意識させられたからなんだよね。

編:そうですね、ああなってしまうんじゃないかって。

:だから肉を削ぎ、皮膚を剥がし、骨まで露出する、というあの思い出が脳裏にバーンと出てくる。今までのメルヴィル論で指摘されたことはあんまりないから光文社の編集者は全く予想してなかったと。これを解説で説明して書きすぎたかなと思ったんだけれどもね。それと後半の宣誓供述書はあまり注目されないわけですよ。なんだこの法律文書はっていう感じで終わっちゃう。あれを今回ちょっと強調したかった。それで、見過ごされてしまっていた部分からもう一回読み直すと、どのくらい深いかたちで奴隷制度、あるいは奴隷主を憎悪していたかってことが分かるようにメルヴィルが書いていたことがわかると思う。そういう今まであまり気づかれなかった部分を強調したかったという、私の意思が入っている。編集者はそれを読んだらしいんだ。そしたら、こんな帯になった。驚いたけどね。

7. 日系作家 ヒサエ・ヤマモトの「ベニート・セレーノ論」

編:「ベニート・セレーノ」に関してヒサエ・ヤマモトの論があるということですが、それに関してお聞かせいただきたいです。

:マシュー・エリオットという研究者が既に論文にしていますが、ヒサエ・ヤマモトは強制収容所から出た後、ロサンゼルス・トリビューンという出版社で新聞を書いていたんですね。そこで働いているとき書いたと思われる短編が、スタンフォード大学のイボール・ウィンターズの目に留まり、ヤマモトは彼から「推薦状を書くからスタンフォードに来ないか」という手紙を貰っています。それに対してヤマモトは、後で、カトリック・ワーカーというボランティアの療養所で働きたいという理由でスタンフォードに行くのを断っているんです。そして 1953年から 55年までここで働くことになり、そこで将来の夫となる男性と巡り合うことになるのですが、私はヒサエ・ヤマモトのこういうところがとても好きです。自分の考え方が認められないエリート大学の英文学科に行くよりも、ボランティアをして世のためになろうという。
 ウィンターズとの衝突に関してですが、彼女の短編に “A Fire in Fontana” という小説があって、ここで、メルヴィルの「ベニート・セレーノ」に関して、「バボウは悪の権化ではない。バボウはどう見ても人間的で、ある意味尊厳を持っているキャラクターではないか」と言ったら、ウィンターズに、それは間違っている、その読み方は稚拙であると手紙で叱られているんです。ウィンターズは、あれは完全な悪の化身であって人ではない、当時はそういう見方をされていたから仕方ないのだよということを言っているんですね。しかしそれには賛同しなくて、恐らくそのように解釈する集団からは孤立したと思われます。有名大学の先生がこういう風に読みなさいって言ったときに、そうだと思ってしまうのが普通の人間の反応ではないでしょうか?そうではないと見るその感性が、収容所体験者ではないとできないのではないかと私は思うんです。ヤマモトは 19歳から 23歳位までの第二次世界大戦の間、ポストンというアリゾナの収容所に入れられていました。とても頭がよく、大変な知性のある女性なのに、そんなところに入れられて、何もせずただ呆然と待っていた。異常な精神状態にされたと思うんです。それで収容所から出てきて、メルヴィルを読んだ時に、「ベニート・セレーノ」を、他の人が絶対バボウは完全な悪魔だって読んでいるのに、そうじゃなく読める感性ができていたのではないかと私は思うんです。だから、こういう人たちの文学の感性というのは、アメリカにいながらも、非常にトランスナショナル、脱国家的であったのだと思います。

:ジュディス・フェッタリーの過激なフェミニスト批評『抵抗する読者』(1978) とかが出るはるか前なんだから、感動的ですね。白人の男性の読みがあくまで中心で、それこそが規範とされていたころですよ。

:そうなるとアフリカン・アメリカンの作家は当時どういう風に読んでいたのかなということになりますね。

:そこはメルヴィルの面白いところですね。バボウというのは結局奴隷船にムリヤリ乗せられたんだから、アフリカ系黒人から見ると、奴隷だから、むしろ被害者の側ですね。捕われていたのはバボウとその仲間達のはずですから。そこへ千載一遇のチャンスが到来した。ベニート・セレーノを物心ともにがんじがらめにしておけば、自分たちが逆に助かるかもしれないんだから。それを邪魔しにきたのがアマサ・デラーノ。黒人の側も必死だったはずですよ。例えば、『白鯨』という小説はモビー・ディックに片足を食いちぎられたエイハブ船長が、復讐に燃える話だっていうふうに要約しがちだけれど、『白鯨』の後半を熟読すると、実際は本当に復讐に燃えているのはモビー・ディックの方なんだよね。モビー・ディックに銛を最初に打ちつけたのはエイハブであるわけですよ。だから、それに対してモビー・ディックが逆襲して片足を食いちぎったというのが本当の因果関係で、それを逆恨みしている訳ですよ。エイハブは逆ギレ男ですよ。「漂流船」にもそれと似た構図がある。最初に手を出したのは白人の方に決まってるんだから。それに対して、黒人の側とか鯨の側が必然的に抵抗しただけの話なんです。その抵抗さえ封じる白人の近代文明の限界を察知したヒサエ・ヤマモトは、今にしてみれば当然の反応を示したにすぎません。

:1980年代のキャロライン・カーチャーが出てくる前にヒサエ・ヤマモトがそういうところまで行っていたというのがすごく新鮮ですが、巽さんが言った視点の逆転の話は、私も今回の解説で非常に意識的に書きました。巽さんが言っている通り、白鯨の側からの逆襲という見方は、実はジョイスアドラーもやっていて、インディアンというのは完全な悪であるという従来の読みを彼女のコンフィデンスマン論はひっくり返した訳ね。それを私は非常によく理解できているから、そのことを日本に紹介する意味も含めて、英語で論文書いたことがあるの。そしたら、アメリカでは私をこんな風に理解する人は少ないのに、日本人の牧野とかいうやつが、いやに分かりやすく書いたというんで、アドラーは私を自宅に泊めてくれたんですよ。 だからね、やっぱり 1980年の、ひっくり返して見直すという動きは、いわゆるジョイスアドラーが最も強かったんだけど、同時にロギン先生とか、キャロライン・カーチャー、H・ブルース・フランクリン、ブルック・トーマスとか、一群の人たちがドッと出てきてね。やはりあそこが一回ひっくり返した画期的事件かなと思いますね。

:今回面白かったのは、私はつい最近エドガー・アラン・ポーの『アーサー・ゴードン・ピムの物語』(1837) を集英社文庫の世界文学シリーズ<ポケット・マスターピース>に入れるために新訳を終えたので (2016年 5月刊行予定)、メルヴィル作品ともさまざまなアナロジーを改めて感じたことなんです。前に新潮社文庫のポー短編集ミステリ編で「モルグ街の殺人」も訳したのですが、あれの元になっているのって、実際に猿が床屋のカミソリを危なっかしくもてあそんでいるというエピソードですね。そこからポーは 1841年にオランウータンが殺人の真犯人と発覚する「モルグ街の殺人」を書き、メルヴィル1855年に「ベニート・セレーノ」を書く。

8. 小谷真理氏による「書記バートルビー」論

バートルビーに何が必要なのか考えたんですよ。何があそこにあればあのシチュエーションは解決されるのかって。バートルビーは病的ですよね。現代だったら絶対に病気。鬱病とか、引きこもりとかと同じようなカテゴリーで、環境に適応できない人。だからバートルビーに一番必要なのは、世話をしてくれる人なんですよね。

:本当に病気だと思います?あるいは、ものすごい精神力を持ち合わせながらもなにか病人のフリをしちゃうような人だったのでは?

:うーん。わたしはあまり頭がまわってない病人じゃないかなーと思ったんですが。

:病人とみるのは一番理解しやすいし、あの弁護士も “mental disorder” と言っているのでほとんど精神病であると理解せざるを得ないのですが。ただ、自分の自由意志を行使しようとすると、ああいった人格ができないわけでもない。途中に文章の中で、精神の病であると弁護士が言うんだけど、弁護士の側ではそうみたけれど、本人は違うかもしれない。本人は、なかなか挑戦的に言っている。「あなたはどうしてご自身の力で、その理由が分からないのですか」って言い返すでしょ。そう言われたら、主人公の方がおかしいのではないかって逆になっちゃう。

メルヴィルってそういった逆転がずいぶんありますよね。『白鯨』の逆転の話に戻りますが、エイハブが昔刺した銛が白鯨の背中に残っているわけ。最初にやったのはエイハブの方で、彼の片脚を食いちぎったのも白鯨側の正当防衛で、それに白鯨が全身に悪意を秘めて復讐しているわけなんだから、なんでそれに逆ギレするんだと。

:いわゆる動物としての鯨が復讐してくるだけだったら、解釈が止まっちゃうんですよね。そうでなくて、ピューリタン的な何かが疑問をもたれた瞬間に逆襲してくる。それはちょっと考えた方が良い。

バートルビーも何かに復讐しているんですか?

:一番最後の「配達不能郵便物局」への言及は、噛んで含めるように「これはただの噂にすぎないが」みたいに言ってますよね。だから本当かどうかはわからない。つまり、そこに何らかの根拠があるかどうかはわからない。

:本当の狂人は、現実と狂気の世界はシームレスにつながっているそうなので、そういう人を相手にすると、現実の人の方が引きずられて困惑するんじゃないかな。

:ポーの「タール博士とフェザー教授の療法」(1845) っていう短篇が、実は、構造はものすごく「漂流船」に似てるんです。結局病院の患者たちがクーデターを起して、医者や看護婦を地下に閉じ込めて、患者達が病院を乗っ取っちゃうわけだから。それもやはりメルヴィルは読んでたと思いますよ。

:あと、「書記バートルビー」を読んでて、ドストエフスキーの『二重人格』(1846) を思い出した。時期も近いんですよね。近代化されていく中で、人格が適応できない変な現象があちこちで起こっている感じがあって、ロシアではああいう人がいた。書き方が似ているんですよ。官僚的、お役人的見方で、ネチネチ観察しながら書いていくんですよ。メルヴィルも、「書記バートルビー」を、結構ネチネチ書きますよね。人間を観察して書いていくというやり方と効果が似ている感じがあります。

:やはり 19世紀の半ばというのは、ちょうど近代とそれ以前との境目に当たっていて、色々なプレッシャーがあったと思う。それの一番大きな要因としては、お金と戦争がすぐ後ろから追いかけてくるっていう状況があったのではないかと。だから近代になってきて、それ以前の構造と分断されてしまった人が狂気として扱われることが多いわけですよ。トーマス・マンの『魔の山』(1924) みたいな。

:つまり観察者の方が、法の番人とか、役人とかの見方で、制度側から人々を見ているんですよ。

:合理化して見る。そうでありながら、自分たちが、狂信してしまっているということに気づかないんですよ。

9. 小谷真理氏による「漂流船」論

編:小谷さんは「漂流船」を読んでどういう感想を持たれましたか?

:初めて「漂流船」って読んだの。なんというか……途中ですぐにからくりが分かりました。それはなぜかというと、デラーノのスケベ心が最初から見えたから。デラーノが最初に、この船奪っちゃおうかなと思いながら、乗り込んで行くじゃないですか。彼は助けるようなふりをしながら、相手を観察して、すきあらば、なにかを略奪してやろうくらいのスケベ心がありますよね。だから、もうそこでこれは伏線だなと思いました。そして、どこかで、そういう欲望が逆転して、デラーノの方がヤバい淵にたたされる場面がくるはずだ、と。けど、逆転はどこでどういうかたちちであらわれるんだろうな、と期待しました。これがエンターテインメント系の定石です。で、バボウがガタガタになっている船長をずっと付きっきりでささえていた、というところでぴーんと来て。もう彼は操り人形じゃないかと。見かけ通りの船ではなかったので、デラーノもうまく船を攻略する事ができなくなったし、まあ彼は結局、ヨコシマな欲望を心にしまって、いい人のふりをし続けていく。ただその時に私が面白いなと思ったのは、バボウって力で抑えているわけじゃないなっていうところ。つまり、あまり力が強くなかった。ということは、これは頭脳か宗教かどっちかを使っておさめていたはずではないか、と考えてしまう。

:映画の感じですよね。いわゆる、観たときに一番怪しげな人は違っていて、一番誰も見ていないような人が、こいつだったのかみたいな…。

:そうですね。メルヴィルは、やっぱりミステリ風に書いてますね。伏線をあっちこっち散りばめながら、ひっくり返してやるぞっていうことを暗示させるような書き方です。バボウはいいヤツではないんじゃないか。白人が少ないのはおかしいのではないか。どう考えてもおかしいですよね。あんな荒くれ男が乗っている船が少数で掌握できるわけないじゃない。だから、どうやって事が起きるかに興味がわく。まず最初にデラーノが、船長がガタガタなので、もしかしたら俺がこの船を奪えるかも、ひょっとすると美味しい事が起こるかも、なにせここは海の上だからなっていうスケベ心をちらちらのぞかせる。もうこの男はしょうがないヤツだと思った。(笑)彼がそういう態度をちらとのぞかせるのは、もちろん海の上の話だから。でも、デラーノのちんけな欲望は、絶対しっぺ返しくるよって期待させる。海の話は陸上の話とは違って、閉ざされた密室で起こる話なので、陸の法や正義は通用しないし、きっと想定外の展開が来るにちがいない。それはいったいなんだろう。読者はわくわくしながらそれをまちのぞむんです。なので、それを匂わせるタイトルがめちゃくちゃ良いと思いました。

:今もう一回「漂流船」というタイトルについて言いますと、あれはちょっと僕はふさわしいタイトルなのか迷ったことがあった。

:「漂流船」でよかったですよね。

:「幽霊船」じゃダメだよね。

:「死霊船」だとすぐに分かっちゃうからやめた方が良いし。

:「反乱船」っていうのもタネを明かしちゃうからだめだ。

:「漂流船」っていうタイトルにしたときに、初めてこれは黒人のユートピアを作っているかもしれないっていう、ディアスポラの意味がタイトルに入ると思います。どこにも属せなくて、帰りたいけれどアメリカに連れてこられちゃって帰ることができずに、自分たちが心地よく暮らせるところを探しながら海をずっと渡り歩いているっていうイメージが出てきますよね。そうすると、このときはっきりと、ひょっとすると私たちが今まで読んでいた「幽霊船」とか、そういう話はこういうディアスポアラの話だったかも知れないっていう深みが出るのではないかと思うんです。そこがやはり素晴らしい。

:真理さんがタイトルが良いと言ってくれてホッとしました。

:「ベニート・セレーノ」じゃ分かんないでしょ。なんですかそれみたいな感じで。

:ありがたいことに、こちらが望むかたちで真理さんみたいに理解してくれる人が今回は意外と多かった。

編:特に「ベニート・セレーノ」はこれまで文庫では手に入らなかったわけですし、しかも「漂流船」という新しい名前を与えられて、新たにメルヴィルを手に取る読者にとっては、非常に有益な手引きとなるように思います。

:いずれにせよ、今年は 2015年 6月に第 10回国際メルヴィル会議が日本で開かれたのみならず、7月にはアニメ監督・細田守の『バケモノの子』がもろに『白鯨』のオマージュを含むばかりか、8月には坂手洋二の『バートルビーズ』を劇団燐光群が上演して好評を博し、そしてさらには年末 12月には文学座がセバスチャン・アーメストの脚本、英文学者・小田島恒志氏の翻訳、高橋正徳氏による演出の『白鯨』を上演するなど、まさにメルヴィルに明けメルヴィルに暮れた一年でした。日本におけるメルヴィル再評価がいよいよ始まったのを実感しているところです。


(※打ち上げ(パニカメ編集部&先生方)@恵比寿ガーデンプレイス「北海道」)


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