#33 地中海に捧ぐ

地中海に捧ぐ
――第二回スペイン・ポー学会国際会議記録――
巽 孝之


2月 3日(月曜日)午後 3時より、慶應義塾大学アメリカ学会企画として、宇沢美子氏の仕込みによる「アメリカン・マンフッド」パネル@北館第 2会議室。パネリストとしてフィリップス・アカデミーのアンソニー・ロトゥンド、キャスリーン・ダールトンの両教授、院生の細野香里、コメンテーターとしてわたし。アメリカ大統領の代表格ジョージ・ワシントンエイブラハム・リンカーンやシオドア・ローズヴェルトからドナルド・トランプまでの系譜においてアメリカ国民作家マーク・トウェインの意義を再確認するという話題満載のパネルは質疑応答もスリリングであった。(※編集部註:詳細→CPA News / Gallery
 打ち上げは例によって北門裏の蕎麦店・砥喜和。
 ただ、当日のうちにスペインの国際ポー会議へ赴かねばならず、フライト時間のため中座して、東京駅にタクシーを飛ばし、7時の成田エクスプレスに飛び乗る。
 夜 11時発のエミレーツ航空便にはジャストのタイミングだった。
 ドバイ乗換え、マドリッド乗換えでスペインの南、アンダルシアに位置するアルメリアへ。
 待ち合わせ時間を入れると合計 24時間以上に及ぶ旅の友は、もちろん同じアンダルシアはグラナダを舞台にしたワシントン・アーヴィングの『アルハンブラ物語』( 1832年)。学生時代、まだ 20歳だった 1975年夏休みのヨーロッパ旅行の折に宮殿を初訪問して以来の再読だが、やはりこれは北米魔術的リアリズム文学初期の傑作だ。かつて同地を支配したイスラーム文化とそれを駆逐したキリスト教文化の混淆が虚実混淆のうちに絶妙に描かれている。かつての支配者イスラームムーア人の亡霊がそこここに出没し、同時代の覇者たるキリスト教国家を悩ませる展開は、 21世紀世界を先取りしているだろう。ポーの風景庭園譚「アルンハイムの地所」はウォルター・スコットの歴史ロマンスからヒントを得たというのが定説だが、アーヴィング風エキゾティシズムの感化があるのも疑いない。

 

2月 4日(火曜日)アルメリア到着。

 空港からマリオット系列の ACホテルまではタクシーで 18ユーロであったが、運転手には 20ユーロ札をそのまま渡す。

 チェックインしたあとには、スマホや PCのヨーロッパ式コネクタを探して街を散策。Vodafoneの店で、スマホ用は首尾よく調達。

 

2月 5日(水曜日)第 2回スペイン・ポー学会国際会議開始。会場は、運営担当がアルメリア大学なのでそのキャンパスかと思ったら、スペイン国内で圧倒的なシェアを誇る貯蓄銀行ウニカハが経営する文化センター。市内のファッショナブルな目ぬき通りに面している。ここで 5日から 7日まで第 2回スペイン・ポー学会国際会議が行われる。会議のテーマは「幼年期と青春期を超えて――エドガー・アラン・ポーとともに成長すること」。(※編集部註:詳細→CPA News

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※左:ACホテル/右:国際会議会場のウニカハ文化センター。

 なぜスペインなのか? 答えは簡単。この広い地球上で、自国に独立した作家研究組織としてポー学会を持っているのは、北米ポー学会、日本ポー学会に加えてこのスペイン・ポー学会だけなのである。イギリスやフランスにもありそうなものだが、北米ポー学会の元会長スコット・ピープルズや今回の基調講演者ジェラルド・ケネディが口を揃えて以上の三つしか聞いたことがないというのだから、本当だろう。そして今回の開催都市アルメリアは、グラナダに近くそこここにかつてのムーア人支配時代の遺跡が残りエキゾティシズムにあふれる。
 スペイン・ポー学会の会長は女性でカスティーリャラ・マンチャ大学教授マルガリータ・リガル・アラゴン氏、実行委員長はアルメリア大学教授ホセ・イバネス氏で出席者数 50名弱の小規模な会議であったが、会議全体の共通テーマと題されているのも興味深く、コーヒーブレークやバンケットの歓談から最終日の市内観光まで、多くの収穫に恵まれた。

 初日は「ユリイカ」のパネルに始まり精神分析パネルまで、興味深い発表が続く。とくに「ユリイカ」をめぐっては、オランダから来たルネ・ヴァン・シューテンが現代の科学者や科学ジャーナリストがポーをどう再評価しているのか、かのアインシュタインによる「ユリイカ」評価の変遷も交えて興味深かったが、続いて、「ユリイカ」をアラベスク美学から読み解くのにポール・ド・マンの修辞理論を適用したザンビア出身アメリカ人女子院生(カリフォルニア州立大学)ルピーナ・ホサインの話は斬新であった。  

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※左:左から、ホセ・イバネス先生、マルガリータ・リガル・アラゴン先生/右:左から、ルネ・ヴァン・シューテン先生、ルピーナ・ホサイン氏。

 われわれのラウンドテーブル「ポー・アンソロジーの歴史」は午後 2時から 4時までの遅いランチをはさんで開始。司会のエムロン・エスプリンはそもそも私が今回、あえてスペインに飛ぶことになった元凶である。彼はアイダホ州生まれながらスペイン語ポルトガル語に堪能で、ポーとボルヘスの比較研究を出版しているほど。そのため、世界のポー翻訳史にも関心が深く、ペンシルヴェニアはリーハイ大学出版局の “Perspectives on Edgar Allan Poe” シリーズに世界各国のポー翻訳の歴史と現況をまとめた共同論文集 Translated Poe( 2014年)を入れたいというので私に寄稿依頼してきたのが付き合いの始まりであった。初対面は 2015年 2月にニューヨークで行われた国際ポー会議。続いて2018年には京都で行われた国際ポー&ホーソーン会議にも出席している。そのエムロンが、 Translated Poe が好評だったためか、再び私に寄稿を依頼してきたのが、世界のポー・アンソロジーの歴史と現況をまとめた Anthologizing Poe( 2020年夏刊行予定)であり、同書の編集がほとんど終わって刊行を待つばかりなので、今回のスペイン会議にて寄稿者たちが登壇するお披露目企画をやらないか、という運びになったというわけだ。(※編集部註:Translated Poe 詳細→CPA Recommends / 2015年国際ポー会議→CPA News / 2018年国際ポー&ホーソーン会議→CPA News

 果たしてパネリストは同書寄稿者である元米国ポー学会会長スコット・ピープルズ、ルイジアナ州立大学教授で同じく元会長ジェラルド・ケネディポルトガル系でエムロンの相棒の共同編集者マルガリータ・ヴァリ・ディ・ガトー、それにわたし。スコットは 北米のアンソロジー史におけるポー収録率を統計化し、ジェリーはペンギン版ポータブルを刷新するのに前任者であるフィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンをいかに意識したかを語り(スターンのポータブル版は持っているが、彼が幻想作家としても名をなしフランク・キャプラ監督による名画「素晴らしき哉、人生!」の原作者だったとは、初めて知った)、マルガリータがラテン系女性翻訳家の活躍を語りつつ、拙論でも触れたフェミニスト平塚らいてうの『青鞜』誌における先覚者的なポー翻訳にも言及し、わたしが偕成社版の子供向け『ゆうれい船』(表題作は『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』だが、登場人物から物語構成に至るまで倫理コードに照らして大幅に改竄)におけるリトールドの意義から説き起こすという、いずれも視点が違った斬り込みで好評であった。初日では、このラウンドテーブルが一番会議のテーマ「幼年期と青春期を超えてーーエドガー・アラン・ポーとともに成長すること」に即していたかもしれない。
 夜はアルメリア・ホテルの 2階でカクテル・パーティ。

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※ラウンドテーブル「ポー・アンソロジーの歴史」:左から、ジェラルド・ケネディ先生、巽先生、マルガリータ・ヴァリ・ディ・ガトー先生、スコット・ピープルズ先生、エムロン・エスプリン先生。

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2月 6日(木曜日)会議 2日目。
 ジェラルド・ケネディの基調講演「暗い時代にポーをどう読むか」は必ずしもトランプ政権下ということばかりではなく、19世紀から 21世紀に至る世界史的視野からポー的想像力がいかに時代を予言してきたかを、そのほぼ全作品を見渡す形で語るもの。
 正午からのパネルではポーランドのスワウォミール・スチュドニアシュが司会する「ポーの詩」が、今回の会議の趣旨「幼年期と青春期を超えてーーポーとともに成長する」と呼応していた。ポーは自国よりもフランスのボードレールマラルメヴァレリーなどに影響を与えたが、それらの詩人を尊敬するエリオットはポーのことを「とてつもない才能だが、それはあくまで思春期前のもの」と批判していたからである。だが、エリオットが同時に「外国人にはアメリカ人には見えないポーの部分が読み取れたのかもしれない」と譲歩していたのもたしかなのだ。
 はたしてこのパネルで面白かったのは、ジーザス・イザイアス・ゴメス・ロペスによる「大鴉と黒鳥の陰謀:ポー、ディケンズ、ウォレス・スティーブンスとテッド・ヒューズ」であった。ディケンズにはペットの鴉グリップがいたが、これがポーのヒントになり、スティーブンスは自然の普遍的循環を見出し、ヒューズは宇宙的で壮大な民衆叙事詩を歌い、そしてポー自身は精神的絶望と崩壊を広く知らしめる存在を歌ったという比較は強力である。
 ランチを挟み午後のパネルへ。 
 まず第1弾はポーと視覚芸術。ピムをビジュアル満載で語った台湾系のジャスティン・カオ、トマス・コールと風景庭園譚を再検討したベアトリーチェ・ゴンザレス・モレノマグリットの「複製禁止」からポーの「ウィリアム・ウィルソン」を読み解いたシンディ・ワインスタインなど、それぞれ PPTを駆使して、文字通り目を楽しませるものだった。

 第 2弾は、キャンセルが出たため2つのパネルを合体させた企画のうち、フィッツジェラルド 1927年の短編 "A Short Trip Home" にポーの「ウィリアム・ウィルソン」の影響を見出したボニー・マクマレン、ド・マンの修辞理論からアラベスクを再検討するルピーナ・ホサインがそれぞれ聞かせたが、奇遇だったのはドロシー・セイヤーズの分析からポーのミステリを再考したポー家の末裔にしてユニオン大学宗教学教授ハリー・ポーが、何と「週に 3日の日曜日」をポー第六の探偵小説と提起したこと。これはわたし自身が昨年 11月に小倉で行われた松本清張文学館での講演コンセプトと重なる。のちにハル自身にも問い質したが、いわゆる今日の探偵小説と、ポーが考えた “ratiocinative tales” とは必ずしも一致しないのではあるまいか。

 以後のアルメリア・グランドホテルにおけるバンケットでは、ボニーのご主人であるオックスフォード大学名誉教授ジェイムス・マクマレンと歓談。儒教から日本文化を再検討し源氏物語も読みこなすだけに、日本語が実に闊達であった。本塾訪問教授も務め、京都の日文研とも浅からぬ関係らしい。80歳とは思えぬほど元気溌剌としている。

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※左:左から、ケネディ先生、ポー先生/右:左から、司会、ホサイン氏、ポー先生、ボニー・マクマレン先生。

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バンケットアルメリア・グランドホテル:左から、マルガリータ・ヴァリ・ディ・ガトー先生、ピープルズ先生、エスプリン先生、イバネス先生、ジェイムス・マクマレン先生、巽先生、ポー先生、ボニー・マクマレン先生。

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2月 7日(金曜日)会議最終日。
 午前は 9時半から「ポーと精神分析」パネル。まずジョン・マーク・ウィルソン・ボレルがポーからキューブリック「シャイニング」やダニエレブスキー「紙葉の家」に発展する構図を示し、次に若いディミトリオス・ツォカノスがマリー・ボナパルトやクルーチといった古典的な精神分析批評に目を向ける。古典的精神分析批評の再評価としては意義深いが、ラカン以後の議論が深まらなかったのは残念。
 コーヒーブレークを挟み、いよいよエムロン・エスプリンがポー研究をどう編集するかをめぐる独演会。
 終わると、スペイン・ポー学会の理事会だというので一度退散。それにしても、今回の会期間中何度か話題になったが、スコット・ピープルズも指摘するように、世界でポー学会と名のつくものがアメリカ、スペイン、日本にしかないとは、なんとも不思議だ。
 ランチはふたたびきのうと同じ「ピエロ」で、今度はカルボナーラを試す。

 夕方 5時半からは、アルメリア通りを登りきった交差点で待ち合わせ市内観光。ホセとエムロンが歓迎してくれる。前後するが、待ち合わせ場所については、アルメリア大学の女子院生が「ジョン・レノン銅像の近く」と言っていたので探しまわったところ、なんと私自身の宿泊しているホテルの正面ではないか!この町は多くの映画ロケで使われてきたが、1966年にはレノンの「僕の戦争」を撮影したほか、彼がここに故郷リバプールを幻視して「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」を作曲したことを記念したものだという。
 いよいよ市内観光出発。女性ガイドに率いられたのは、わたしとルネ、ハル、マルガリータ、それにホサイン夫妻。とくにムーア人の要塞跡は風情があった。
 遅い夕食はマイルストーンというテラスの店でハンバーガー。2日連続ランチのピエロが今一つだったのでまったく期待していなかったが、ここのチーズバーガーは絶品!

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2月 8日(土曜日)10時 50分のイベリア航空帰国便に乗る。  

 マドリッド乗換え、そして真夜中のドバイでさらにエミレーツ航空深夜便に乗換え。

 旅の友はパキスタン系英語作家モーシン・ハミッドの英国ブッカー賞候補作『西への出口』。プリンストン大学時代にかのノーベル文学賞作家トニ・モリスンの薫陶を受け、すでに映画化作品もある現代文学の俊英による同作品は、明記はされていないが作家の出身地に近い何処かのイスラーム国家を舞台に、21世紀現在、かつてジョン・スタインベックが『怒りの葡萄』で描いた旱魃オクラホマからカリフォルニアへの出エジプト記エクソダス)的脱出が、今やグローバルな水準で行われる日常茶飯事であることを生き生きと描く。ワシントン・アーヴィングの『アルハンブラ物語』から約二百年、変貌し続けるアメリカ文学史がますます面白い。
 往路と同じく、合計 24時間以上のフライトを克服して、予定通り 2月 9日(日曜日)夕刻 5時に成田着。余裕で帰宅し NHK大河ドラマ麒麟が来る』を観る。