#26-1.まずは2006年度カレンダーより


巽孝之  前回の第25回が昨年2006年の1月ですから、こんどは1年半ちかく放置してしまいました。この間、CPA Monthlyを再開する再開する、とくりかえしBBSでも公言しながらなかなか出来なくて、まるっきりオオカミ少年状態。わたし自身はヒツジ年、なんですけどね(笑)。しかたなくいろいろお蔵出し原稿とかアップしてブランクを埋めようとはしたんですが、ついに悪アガキを見透かされ、とうとう管理人より、CPA全体をブログ化するから、構想も新たに再開せよ、というお達しがあり、これが再開第一弾になります。

小谷真理 去年は双方の親の具合もあって、忙しさ倍増でしたからね。前回が2006年1月で終わってるから、とりあえずキリのいいところで、2006 年度学年歴の終わる2007年3月までをカレンダー風にまとめると――



2006年
1月 来日中の日本学者スーザン・ネイピアさんが着物を着たいと仰るので、ジェンダーSF研究会で初釜。彼女にラフカディオ・ハーンすなわち小泉八雲が元祖日本オタクだった、という講演をしていただきました。


2月 教授がテキサス大学オースティン校の「日本のソフトパワー」会議に出席。そのため、SF研OBで電通勤務の福田道生君の結婚披露宴出席を断念せねばならず、スピーチ映像を製作。Macについてる簡単なソフトで造ったのですがなんだか新奇な体験でおもろかったです。、深夜にふたりで晴れ着に着替えて三脚建てて撮影したり(笑)。内容がかなりアレ(笑)だったので、ノンケ全開の披露宴ではドン引きされた模様。あとでSF関係者に見せたときはバカ受けだったのになー。残念。


3月 久々にゼミOB向山貴彦・吉見知子、通称むこ&ねこが来宅、ようやく結婚式までこぎつけたというので、ここでも結婚祝い用の映像を、むこちゃんの本格的機材で撮影。向山さんも夏頃からDV映像に邁進していたらしく、いろんなことを教えてもらいもした。ライトはどうする、とかマイクはこうする、とか。さすがにわたしの使っているソフトとはちがって、本格的な取り組みで、勉強になりましたね〜。


4月 で、むこ&ねこチャン結婚披露パーティが池袋のナンジャタウンでやるというので、それに間に合わせる結婚記念出版物のために、ゆかりの人そうでない人取り混ぜて、コスプレ写真を集合撮影。いわゆる結婚披露宴に妖怪一家が集まったという設定で、一度取った写真に細工をして妖怪家族写真に合成。スタジオ撮りということで、スタジオ探したり。結婚式だから妖怪赤ちゃんもいるだろうということで、新島さんちのベイビーに声をかけたり。みなさんには披露宴に行くようなカッコで来ていただいたんですが、できあがった写真は日本版アダムス・ファミリー(しかも拡大版か)という感じになりましたね。大満足でチュ〜。


5月 教授は初旬には九州アメリカ文学会大会のパネルが九州大学で行われるため福岡出張。その直前には長崎にも立ち寄り、遠藤周作文学館に感動。中旬には日本英文学会年次大会のパネル「テロはどこにあるのか?」が中京大学で行われるため名古屋出張。日本全国津々浦々に出没してますね。結局むこ&ねこチャン結婚披露パーティの前半、つまりナンジャタウンのゲーム大会に教授は間に合わず、わたしはよない博士たちとギョーザを食べ、むこちゃん作成のスタンプラリーで、吐き気をもよおうそうな某アイスの数々を食ったりしたんですが、学会終了直後、名古屋から新幹線に飛び乗って教授は駆けつけ、水族館での宴会で主賓スピーチは無事終了。ワイン片手に水族館を散歩するという優雅なひとときをすごさせていただきました。おっほっほ〜。大富豪に成った気分でした。しっしかし、DV製作と言い、結婚祝い出版といい、ゲーム大会と言い、ここまでがっちりお祝いすれば本望でしょ(笑)。


6月 わたしのほうは、ジェンダーフリーバッシングをめぐる状況を解題した共著『バックラッシュ!』に参加しました。これはすぐ増刷。バックラッシュの急先鋒はトンデモが多くて、いっちゃってる感じ。笑いと科学精神がどこかにとんじゃってるよ〜。いかれたトンデモ信者が増えてきているのにはビックリですね。


教授は、韓国英文学会年次大会の基調講演で招かれて、ふたりでソウルの東国大学滞在。網状言論のメンバーとともに何年かまえ、日韓オタク会議で一度行ったことがあるけど、教授は初めての韓国。今回焼き肉ツァーも美顔ツァーもなかったのがちょっと残念だったり。


7月 教授初の英語圏単著『フルメタル・アパッチ』が7年がかりで完成してめでたく刊行、たちまちネットその他で書評が相次ぎ、売れ行き好調。いや〜長かった、あの苦闘の日々を讃え合いました。朝日カルチャーセンターでハーマン・メルヴィルの『白鯨』について連続講義。ふたりでキネティックの映画『エコール』の宣伝に協力、フランス人女性監督ルシール・アザリロヴィックが来日したので彼女を誘い、プログレ・メタル・ユニット<アリ・プロジェクト>のライヴへ。宝野アリカさん、ゴージャスでしたね。ルシールも喜んでくださり、よかったです。


8月 ふたりでアメリカ西海岸出張。サンディエゴのラリイ・マキャフリイ、シンダ・グレゴリーに再会、ラリイに真っ赤なちゃんちゃんこをお贈りして還暦祝いをやって、そのあとロサンジェルスアナハイム世界SF大会LAConIVに出席。幕張のディズニーランドはなぜか行ったことないんだけど、アナハイムはこれで三回目だなぁ。あ、教授は学生時代に行ってるから四回目か。例年どおり「日本SFパネル」をやったり、ヒューゴー賞式典にて星雲賞伝達式をやったり。


9月 初旬は教授、西南学院大学集中講義で単独出張。中旬からのゼミ合宿、八ヶ岳の原村というのは変わらないけど、今年は大学院ゼミ代・富山寛之君の肝煎りで、15年以上おなじみだったペンションに別れを告げ、大学院も学部もまったくちがうペンションになりました。それぞれ院生、学部生の好みが現れたペンションで、おもしろかったです。


10月 初旬、コミケット元締でマンガ批評・研究の大御所だった米澤嘉博さんが亡くなり愕然。わたしは「やおいパネル」で、教授は「プログレパネル」で、毎年ご一緒してたから。もちろん、七月の日本SF大会でずんこんでは、パネルで同席してました。あまりの急展開に言葉もでなかった。2006年はほかにファンタジー翻訳家の浅羽莢子さんも亡くなり、銀座教会での葬儀に参列。ホントにおちこみました。中旬、教授は日本アメリカ文学会全国大会で「アメリカ文学反知性主義」のパネル。また昨年12月に藝文学会パネルがあったんですが、そのメンバーに加えて、高原英理さん、茅野裕城子さん、ネイピアさん、そしてわたしの論考参加を含む増補部分を入れて、単行本『人造美女は可能か?』が刊行されました。で、慶應義塾大学出版会のゴスロリ未満編集者・O室S絵さんのプロデュースにより、銀座の「ラ・ボエーム」で出版記念パーティ(『パニック・アメリカーナ』第11号参照)。


11月 夏からふたりとも『デス・ノート』にハマりまくっていたので、劇場映画版に駆けつけました。教授、この月は札幌の北星学園大学での講演、那覇琉球大学での国際会議特別講演と、北から南まで一気に縦断。


12月 ゼミ4年生・舟川絢子君を実質的な編集長とする『パニック・アメリカーナ』第11号が出て、初旬にOB会。それに引き続き、茅野裕城子さんの友人、教授の幼なじみでもある浅草雷門の関口泰宏さん宅、というかバービー博物館を再訪。スーザン・ネイピアさんも、ゼミ現役でバービーで卒論執筆中の坂巻志保君も同行しましたね。
年末は教授の母親とウチの父親の介護もあって、例年のMLA出席は断念。二十年ぶんツケがたまっていた親孝行をした感じ。このころかな、カフェ・サイファティークがもりあがってきたので、ガイナックス忘年会にくりだす計画が浮上し、「ハルヒ・ダンス」を毎週集まって猛練習。よく踊った〜。忘年会でも勝手に踊ってきたのですが、あまりに個人的にウケたので、映像DVDを編集してみました。そういえば、忘年会のあと、カフェ幹部のみなさんというか、ジェンダーSF研究会のみなさんと、ラクーア行って湯船で踊ったのも忘れられないな(笑)。例年とはちがう年越しでした。


2007年
 1月 下旬に永山薫さんが第一評論集『エロマンガ・スタディーズ』を刊行されたんで、それを祝して、新宿のロフトプラスワンにて、東浩紀伊藤剛の諸氏とわたしはトークショー


2 月 初旬ついにウチの父親が身罷りました。享年八十歳。教授のご母堂と同い年だったんですね。献体する予定だったので、お別れは身内ですませたんですが、一応下旬にふたりで本家へ行き、本家に親戚が集まってお経をあげてもらってきました。ちょうど、金沢の21世紀美術館で、怪獣アーティスト・開田裕治の展覧会が開催されていて、その一環でトークショーがあり、わたしも参加することになってましたので、葬儀の後、その足で金沢に向かいましたね。実はこのとき、行きの小松空港から金沢行きまで、石川県小松市に在住の日本SF作家クラブ現会長・谷甲州氏がクルマを出してくださり、すっかりお世話になってしまいました。父の死後、クラシックを聴きながら五箇山・白川村関連の資料を読むことに没頭。あれが自分的な供養だった感じです。
金沢21世紀美術館では、喪服からゴスロリ・ファッションに着替え、作家でコスプレイヤー開田あやさんとトークショー。あやさんは、まず開田さんとの夫婦漫遊対談に出演していて、おふたりの東京の地下工事現場見学ツァーの様子をリポートしていらっしゃいました。わたしとの対談はそのあと。あやさんのドラミちゃんのコス、かわ色っぽくてよかったですね。怪獣はエロい!というコンセプトだったんですが、説得力充分だったかも。

トークショーのあとは、金沢SF合宿に参加しました。泉鏡花文学館からそう遠くない、大正時代を思わせる優雅な白鳥路ホテルです。こんなステキなところでSFの合宿をやっていいのかしらと思うほど優美なホテルでした。翌日は兼六園にでかけ、「巽御殿」別名「成巽閣」(せいそんかく)のひな人形展を見物。


 3月 初旬、網状言論のメンバー全員で、相模原の病院に入院中の竹熊健太郎さんをお見舞いにでかけました。竹熊さんは病室でブログをバリバリ更新するなど、まったく病人と感じさせないほどお元気。伊藤さんプロデュースでみんなで七沢温泉でまったりしたのですが、竹熊さんのご回復とは反対にわたしのほうは七沢の杉花粉の猛攻撃で翌日から発熱(笑)。下に恐ろしきは花粉でございますよ。で、下旬から4月初旬にかけて、ふたりで十日ほどアメリ東海岸出張。最初にボストンから入り、テキサス大学オースティン校からタフツ大学へ移籍したネイピアさんがケンブリッジに購入した、三階建て豪邸に宿泊。ネイピアさんの授業にも招かれて発言。そういえば、タフツ大学の生物学科って、19世紀末に教授のひいおばあさんが卒業したところ。生物学発展のきっかけとおぼしき、19世紀興行師P.T.バーナムがロンドンから購入した巨象ジャンボが寄付されたことでも有名な大学だから、大学自体のマスコットも可愛いゾウさん。校庭にもジャンボの像がたっている。でも、かたちがちょっとおかしいんで副学長に訊いたら「ジャンボはもちろんアフリカ象なんだけど、学校側が注文を間違えて、インド象になっちゃった」のだそうな。
 じつは今回の東海岸出張は、数年前から、マッギル大学のトマス・ラマールさんやニューヨーク大学のトマス・ルーサーさんら一部日本学者たちのあいだで、江戸川乱歩をめぐるシンポジウムができないか、という計画が進んでいたのが、とうとうニューヨーク大学にて実現することになったということでした。ルーサー教授の肝煎りで、わたしのほうはシンポジウム前日にゴスロリの講演、教授はシンポジウム初日にポウと乱歩、安部公房坂手洋二を比較する草稿を、映像を駆使して発表。初対面のコロンビア大学教授マリリン・アイヴィさんを前に「つた子さん〜」と感極まって名前を翻訳してしまったり、再会したクィア理論家キース・ヴィンセントさんと「森茉莉ってすてきね〜」と語り合ったり、その師匠格である批評家ダグラス・クリンプさんといっしょにご飯食べたりしました。