#27-2. [特別編] 『アヴァン・ポップ増補新版』講演旅行報告

 2007年6月下旬、サンディエゴ州立大学教授ラリイ・マキャフリイとシンダ・グレゴリイが行った日本への講演旅行。『アヴァン・ポップ 増補新版』(北星堂)の刊行を記念して行われたこのレクチャーサーキット特集の後編は、アヴァン・ポップ・プラス・ツアーを終えてふたりが戻った東京が舞台。ラリイとシンダの講演、さらに日本を代表する作家・学者らとの再会を、巽先生みずからリポートします。[編集部記]


  • 2007年6月28日(木曜日)

10:45 シンダ・グレゴリー講演「『キャッチ=22』以後のアメリカ戦争文学」

 今回の講演旅行のクライマックスにあたる長い長い一日は、まず二限目にあたる10時45分、慶應義塾大学文学部英米文学専攻で今年から開設されたばかりの大串尚代ゼミ(於・三田キャンパス第一校舎131-E教室)における、シンダ・グレゴリー教授の講演から始まりました。

 タイトルこそラリイ・マキャフリイと通底するところの多い「『キャッチ=22』以後のアメリカ戦争文学」"American War Literature Since Catch-22"ではあるものの、文学研究寄りであるところが、一味ちがいます。というのも、シンダは1985年にはイリノイ大学に提出した博士号請求論文をもとに浩瀚な単著として一冊のダシール・ハメットPrivate Investigations: The Novels of Dashiell Hammett (Southern Illinois University Press, 1984)を世に問うているからです。いまでこそ英語英米文学研究と文化研究が相互に乗り入れた結果、大衆小説の研究を広く行うことのできる時代になりましたが、四半世紀前にあたる当時はまだまだ保守的な傾向が強く、ハードボイルド・ミステリの代表的作家といえど、博士号請求論文の対象になることは稀だったのですから。そんな時代にこうした業績を堂々と残しているシンダは、まさに現代文学研究上の先覚者と言えるでしょう。それを聞きつけた我が国ハードボイルドの巨匠・小鷹信光氏もご来場予定だったのですが、あいにく氏のご都合と合わず、対面が叶わなかったのは、返す返すも残念至極。

 会場は通常ゼミで使う40名規模の小さな教室でしたが、たまたまわたしの院ゼミと同じ時間帯なので、今回は合同にしたため、30名ほどが終結

 シンダはまず、自分自身が子供のときには、本質的にはトムボーイ・タイプであったにもかかわらず、女の子だから戦争に関わるものを一切見てはいけないと堅く禁じられていた、という自伝的エピソードから始めました。しかし、禁じられたせいなのか、もともと指向性があったのか、どうしても暴力小説に惹かれてしまう。大学で教えるようになってからも、女性であるから女性作家を教えよといわれエミリ・ディキンスンやガートルード・スタインジェイン・オースティンなどを教えはしたけれど、しかし自分の好みはどうしてもそのようにあらかじめ定められた準拠枠におさまりそうもない---。

 このいささかフェミニスト的なイントロダクションがあったことは、南北戦争を皮切りにふたつの大戦、ヴェトナム戦争湾岸戦争アフガニスタン戦争、そしてイラク戦争におよぶ戦争小説に彼女がなぜ惹かれてきたのかを知るためには絶好でした。というのも、彼女は数ある戦争小説のうちでも、やはりヴェトナム戦争以降に書かれたものになぜか傑作が多いと言い、ジェイン・アン・フィリップスやレスリー・シルコウ、ウィリアム・イーストレイク、カート・ヴォネガットらの作品から例証していきました。そして戦争は恐ろしいものだが、それにはどこか人を魅了してやまないところがあること、偉大な文学と戦争とは、いずれも葛藤と混沌と曖昧とを孕んでいる点で酷似していることをわかりやすく語ったからです。

 大串ゼミでは、大串准教授があらかじめゼミ生たちにシンダのハンドアウトを配り「全員が『キャッチ=22』を読み質問を考えてくるように」と厳粛なる課題を出していたせいか、三年女子数名より積極的な質問が相次ぎ、12時15分に終業ベルが鳴っても、彼女は熱心な学生たちに囲まれていました。

 わたしと大串氏は三限授業が控えていたため、ランチについては大学院ゼミ生の辻秀雄君や有光道生君、学部ゼミ生の溝渕令佳君など、いずれも留学より帰国早々の数名にアテンドを任せ、四限での合流を約束します。


14:45 ラリイ・マキャフリイ講演「アヴァン・ポップとアメリカの戦争」
 三限のアメリカ文学史を早めに終えたわたしは、研究室でラリイと合流、そこで預かっていたボストンバッグを渡します。そのなかには、CDやDVDなど、大量の講演資料が詰め込まれていました。
 さっそく会場へ移動。こんどは一転して、大学院棟一階311号教室なので、AVシステムが充実しており100名ほどのキャパシティ。前日に朝日新聞に告知が出たせいか、かなり年配の一般客のかたたちも含め、60名ほどが参集。
 講演タイトルは増補新版に合わせ「アヴァン・ポップとアメリカの戦争」“Avant-Pop and American Wars”、内容はもちろん音楽論で、一見したところラディカルっぽく聞こえるヘヴィメタ・バンドと伝統的なフォークソング風ながら最もラディカルなかたちでイスラム系音階を混ぜ込んだブルース・スプリングスティーンの比較がクライマックス。すでに名古屋から福岡までで行われた講演と重なると思われますので、詳細は省略します。

講演風景
 今回、思わぬハプニングが起こったのは、質疑応答の時間のために16時05分ごろまで、と重々打ち合わせをしておいたものの、DVDを映し始めたラリイが俄然ノリ始めてしまい、講演モードのまま16時15分の終業ベルが鳴ってしまったことです。たぶん、名古屋講演と同じような展開だったのでしょう。のちにシンダはこの暴走を食い止められなかったことをもって「タカユキ唯一のミス」と形容し、それを聞いた共編訳者・越川芳明氏は「ハハハ、それがアヴァン・ポップだよ」と笑い飛ばしました。というのも、この四限につづく五限の時間には「博物館学」の実習授業が入っており、実習機材なども使用するため、どうしても時間通りに始める必要があったのです。
 北星堂書店も教室に入っていたのだが、しばらく廊下へ出てもらって書籍の販売。しかし、ラリイと話したい人たちは多く、わたしは講演終了とともに「研究室棟ラウンジへ移動します」とアナウンスして、そこで聴衆たちとの談話を継続。それにゼミ生たちの雑誌『パニック・アメリカーナ』編集部による12号掲載用のインタビューが一時間ほど続きました。
 文化人類学者でグレゴリー・ベイトソンが専門の本塾・人間科学専攻・宮坂敬造教授などはもっと話を聞きたい意向を示し、名残り惜しそうでしたが、ほかならぬ『アヴァン・ポップ増補新版』出版記念パーティの仕込みもあるため、17時45分ごろにタクシーで南青山は根津美術館裏の無国籍風レストラン「タヒチ」へ移動。三階に分かれたスペースがそれぞれ独特な個性にあふれ、とくに最上階は見晴らしもよく貴賓席の趣き。
 
18:15 さっそく、今回の総合プロデューサーとも呼ぶべき、元・筑摩書房で『アヴァン・ポップ』初版を担当し、いまは理論社で「よりみち!パンセ」シリーズを担当する清水檀さんから指示を仰ぎます。今回は清水さんのご厚意により、デザインのほうも初版とまったく同じ売れっ子ブックデザイナーの木庭貴信氏に再び依頼することができ、初版を上回るセンスの凝りに凝ったデザインをしていただきました。26日の青山ブックセンタートークショウも彼女の肝煎りだったわけで、まさに「アヴァン・ポップの母」と呼びたい気持ちです。
 まずは三階特等席にて、司会を務めていただく前掲・共編訳者の明治大学教授・越川芳明氏との打ち合わせをしながら、ラリイのほうは、来場予定者全員のために揃えられた増補新版およそ80冊に、もくもくとサインを続けていました。小谷真理氏はシンダや立花眞奈美氏と歓談。開場とともに、今回の増補新版に12年前のラリイ対談が収録された、我が国を代表するメタフィクション作家・筒井康隆氏が三階まで登ってこられ、再会を祝してしばしラリイと旧交をあたため、おたがいの孫談義。「孫なら目の中に入れても痛くない」というラリイと「孫が家に来ると逃げ出したくなる」という筒井氏のコントラストが面白かったですね。ちなみに、この日は表参道のお宅にお孫さんが遊びに来られたそうで、タヒチが近かったため「散歩気分で抜け出してきた」とのこと。思えば、ラリイと筒井氏の対談をセッティングしたのは1995年7月で、そのときは筒井氏は断筆中、阪神大震災後の神戸だったわけで、まさに隔世の感といわなければなりません。

AP+パーティにて筒井康隆氏とラリイ。巽のうしろにいるのは越川芳明氏
 
19:15 定刻を15分ほど遅れて、二階フロアにてパーティ開始。100名弱にのぼるさまざまな業界からの参加者があり、11時ごろまで歓談は止むことがありませんでした。
 最初に越川ロベルト芳明氏が開会宣言し、ラリイとわたし、シンダと小谷真理氏が挨拶。この機会に、わたし自身は増補新版刊行の理由として「筑摩書房版が四刷も行っていたのに品切れ絶版になっていること」「初版刊行後に本書の影響で表現活動を始めた若い才能が増えてきていること」「現役ゼミ生などでキャシー・アッカーやスティーヴ・エリクソンなどアヴァン・ポップ系作家を卒論に選ぶ者が散見されること」の三つを挙げました。
 小谷真理氏のスピーチはといえば---
「ラリーと言えば、トレードマークは、アロハ。いつも素敵なアロハシャツを着ておいでです。昨日もアロハ、今日もアロハ。明日もきっとアロハでしょう。実は最初に会ったときからずっとステキだなーと思って、ある日質問してみたら、やっぱり市販のアロハではなくて、友人に作っていただいている特別製、とのことでした。ハンパじゃないですね。お洒落です。オトコ伊達なのです。そこで本日わたしもアロハを着てまいりました。ラリーのいるサンディエゴのラホーヤで買いました。自慢の一品なのですが、ある日北野武監督の映画を見に行きましたら、これと同じアロハを着たタケシが人を殺しまくっておりました。パンク・フェミニストにふさわしい一品かもしれません。 
 さて、後で仕入れた知識によりますと、アロハは日本からハワイに移民した方々が、キモノをほどいてシャツに仕立てたのが始まり。だからこそ、きわめて和風の模様が特徴的なのだそうです。つまりはコス的ハイブリッド現象の賜物なんですね。それをアメリカはカリフォルニアのアヴァン・ポップのトレードマークとしているところに、なんといいましょぅか、アヴァン・ポップを着て歌って踊るという真の学者魂を見る思いがいたします」。爆笑の渦でした。
 そのあと筒井康隆氏に乾杯の音頭を取っていただきましたが、このとき氏は「以前ラリイに会ったとき以来、アヴァン・ポップの理論に大いに影響を受けた」と明言、会場は大いに沸いたものです。
 しばらくおいてからスピーチ合戦。先の理由の第二番にあてはまる、若い表現者代表としては、増補新版で対談解説をやってくれた作家兼マンガ家の小林エリカ、作家兼女優でゼミOGでもある千木良悠子のふたりに。また、1992年の来日時には学部ゼミ二期生だったためラリイとシンダにアテンドすることが多く、インタビューの翻訳などでも大いに関わってきた現・エンサイツ社長・山口恭司と同窓生であり現在は本塾准教授である大串尚代のふたりに。また、ラリイとは鉄道マニアの趣味を共有し大のカラオケ友達でもあるディケンズ研究の大家・小池滋先生に。もとアメリカン・センター勤務で現在はフェミニスト作家・翻訳家として大活躍の道下匡子さんに。そして東京を代表するドラァグ・クイーンで四谷婦人会会長のヴィヴィアン佐藤氏に、それぞれ心温まるお言葉をいただいたものでした。越川氏が肝心なひとたちにきちんきちんとマイクを振っていく、その当意即妙の司会には、まったく頭が下がる思いです。
 その他の主な参加者には、翻訳家の風間賢二氏やマンガ評論家の永山薫氏、ロック・ミュージシャンの難波弘之氏、作家で科学技術ジャーナリストの新戸雅章氏、女装家の三橋順子氏、大学関係では東京女子大学今村楯夫氏、成蹊大学下河辺美知子氏、早稲田大学の都甲幸治氏などなど。
 話題はいつまでも尽きることなく、夜が更けていきました。 

  • 2007年6月29日(金曜日)

10:45 前日のパーティに出席してくれた紀伊國屋書店営業部より、ラリイの著書を含むポストモダン/SF文学をわたしがセレクトしたブックフェアを新宿駅南口店で開催しているので、ぜひとも足を運ぶようにとお誘いを受け、ラリイを国際文化会館でピックアップし、タクシーを飛ばします。紀伊國屋書店6階では営業担当の住谷朝子さんがわざわざ出向いてくれ、しばしブックフェアを鑑賞。折しも筒井康隆氏の新しい英訳短篇集『ポルノ惑星のサルモネラ人間』も並んでいたので、ラリイはさっそくそれとミネソタ大学出版局の新雑誌『メカデミア』を一冊ずつ購入。
 続いて、こんどは新宿駅よりJR中央線に乗り、お茶の水へ。この日は昼過ぎより、集英社の文芸雑誌<すばる>のために、山の上ホテルにてラリイと作家の笙野頼子氏の対談なのです。アヴァン・ポップの促進力として1990 年代初期から重要な役割を演じていたのが、じつは<すばる>であったことは、すでに伝説のたぐいに属するかもしれません。当時といえば、1992年の来日をきっかけに、ラリイ・マキャフリイ・セレクションの連載が栩木玲子翻訳で続きましたし、うまくいけば『アヴァン・ポップ傑作小説選』が集英社講談社から刊行される可能性もあったのです。したがって、今回の来日にさいしても、まず連絡を取ったのは当時からのラリイの担当編集者で、ついこのあいだまでは同誌編集長を務め、数々のヒット企画を飛ばし、今月からは集英社新書編集部へ異動した長谷川浩氏。対談相手としては、いま最もラディカルにアヴァン・ポップ理論自体を日本文学内部で組み替え、青土社の月刊批評誌『現代思想』三月号では特集まで組まれた笙野頼子氏をおいてありえない、ということになりました。 6月26日(火曜日)に青山ブックセンター本店洋書売り場で行われた島田雅彦対談のときと同じく、わたしが司会進行役で栩木玲子氏が通訳。最初に1階のカフェテリアで打ち合わせ、笙野頼子氏が来るまでのあいだ、地下の中華料理店で昼食。


6/26 ABCで島田雅彦氏xラリイ・マキャフリイ対談。

13:30 2階の「竹の間」にて対談開始。まずはラリイが口火を切り、今回の講演旅行で伊勢神宮をはじめいくつか神社仏閣を訪れたが、とりわけ福岡の極楽・地獄めぐりなど、必ずしも仏教と神道を区別していないところが印象深かった、と指摘。それに応じて、笙野頼子氏は、もともと仏教と神道には不分明なところがあったのが明治維新の近代化に伴い区別され神仏分離が自然化されたのにすぎず、本質的には神仏習合がある。自分が前回のラリイ来日以来、強調してきたのは、そうした神仏習合およびハイブリッド文化であり、その過程で、日本におけるアヴァン・ポップの読み替えを一貫して行ってきたのだ、と『水晶内制度』や『金毘羅』を引きながら説明。それに対し、ラリイは前掲ブルース・スプリングスティーンの「ワールズ・アパート」におけるイスラム的音階と西欧的音階の融合のうちにひとつの融和ないし和解(reconciliation)を見出そうとする最もラディカルなアヴァン・ポップ戦略が見られるのだ、と対応。かくして、今回の講演旅行全体においてラリイが練り上げてきた理論は、笙野頼子対談の言説空間において、みごとに溶け込み、9年という時間の隔たりをまったく感じさせないコラボレーションとなり、進行役としてはうれしい驚きを感じたものです。
 このあと話題は、ラリイが増補新版でベストに挙げているマーク・ダニエレブスキーの『紙葉の家』やケータイ小説の流行について、笙野頼子氏が売り上げ文学論や文壇ネオ・リベラリズム、および成田問題についてそれぞれ熱い議論を展開しました。対談の全貌は、一ヶ月後の<すばる>2007年9月号に笙野頼子氏の最新作「萌神分魂譜」が掲載された翌月、同誌10月号に「我は金毘羅、ハイブリッド神にしてアヴァン・ポップ!」として掲載されましたので、どうぞそちらをお楽しみ下さい。

15:30 この日は、わたし自身が以前より林文代氏の依頼で2回完結というかたちで約束していた東大駒場でのアメリカ文学講義の後半が四限に入っており、対談終盤を見届けてから中座し、神保町駅より半蔵門線に飛び乗りました。講義を終えたあとには、18:30より始まる国際文化会館にてポストコロニアリズム批評家ガヤトリ・スピヴァック氏の歓迎会に招待されていたので再度六本木へ移動すべく、渋谷駅のタクシー乗り場へ。
 この瞬間、奇跡的な遭遇が起こりました。

18:20 と言うのも、バス乗り場に隣接したタクシー乗り場ではシンダと佐藤良明氏夫人である仁子さんおよびご友人の三名が、にぎやかに手を振っているではありませんか。そういえば、今日はラリイが笙野頼子対談なので、シンダのほうは旧友である仁子さんたち女性陣で浅草の木馬館へ遊びに行き、三名は国際文化会館の別室を借りて徹夜パーティ(slumber party)をやると言っていたのを思い出しました。その余分の部屋を予約したのは、ほかならぬ同会館会員であるわたし自身なので、遠慮なくタクシーに同乗させてもらいます。あいにく高木町から六本木交差点にかけて渋滞だったため、思いのほか時間がかかりましたが、きっかり19:00には到着。
 ここでもうひとつ問題。ほんらいならばこの日を最後にラリイとシンダは千葉県流山市の越川芳明邸へ移り、一泊して成田へ向かう予定だったのだけれど、越川氏の予定と折り合わず、さらにもう一泊の手続きを取ります。

21:00 スピヴァックのパーティが終わったあと、同席した小谷真理と作家の佐藤亜紀とともに帰り際、念のためラリイの部屋に連絡を入れると、すでに帰宅していました。笙野頼子対談は「一緒に戦おう!という感じで、とってもパワフルに終わった」とのこと。じつは対談終わりごろに佐藤良明さんが山の上ホテルに訪れたので、ともにゆっくりしてくるかと思っていたのですが「いや、ビールを飲んできただけだ、二日酔いだったから」といいます。それも "creeping hangover" の状態だった模様。たしかに、昨日のパーティではヘロヘロになっていたので今日は相当な強行軍だったことでしょう。ということで、挨拶もそこそこに帰宅します。

  • 2007年6月30日(土曜日)

13:30 この日は三田キャンパスにて日本アメリカ文学会東京支部月例会で、演劇分科会出題のシンポジウム「冷戦下の表象文化空間再考---国家・ジェンダーイデオロギー」が戸谷陽子司会、宮本陽一郎、新田啓子、それに劇団燐光群主宰の劇作家・坂手洋二をパネリストに行われました。戸谷氏は東京支部幹事でもあるため、シンポジウム構想時点より相談を受けており、一時はラリイ自身をパネリストに、という話もあったのですが、そのときは『アヴァン・ポップ増補新版』がほんとうに刷り上がるかどうか見通しが立たず、けっきょく日本人パネリストのみで実現。
 
18:00 分科会も運営委員会もとくに問題なく終了。この日は、ラリイもシンダも昼間は大いにオフを楽しみ、夕方になってから「なつかしい顔ぶれにも会いたいし」ということもあり、研究室棟ラウンジで落ち合って、月例会の懇親会場、三田仲通の居酒屋「湯浅」へ。
 この日は残念ながら長老たちが欠席で、どちらかといえば若手の参加が目立ったが、何より有意義な出会いは、ラリイたちと劇作家・坂手洋二氏です。というのも、昨年出した拙著 Full Metal Apache 第一章でもかなりの語数を割いたように、ほぼ同じ前世紀末に上演された野田秀樹の『パンドラの鐘』と坂手洋二の『天皇と接吻』は、ミカドフィリアとでも呼ぶべき戦後日本人のサイボーグ的主体形成には不可欠の、典型的なアヴァン・ポップ的作品であったからです。ラリイは拙著のために書き下ろし序文(日本的には「解説」と呼ぶところか)を寄稿してくれたので、当然ながら、坂手洋二の名前はしっかり記憶していました。
 案の定、ふたりの会話は盛り上がります。ついさきごろ、ニューヨークでアメリカ版が上演されたばかりの「屋根裏」については、コンセプトだけ取るとラリイはロバート・クーヴァーの短篇「エレベーター」を連想したようだったし、いま彼が編纂をもくろんでいる新たなアヴァン・ポップ傑作選にぜひ何か入れたい、という具合に展開していきました。例の、2002年にシンダやわたしが共編者を務めた Review of Contemporary Fiction の「新しい日本文学」特集号を増補して、新しい単行本にする企画を、ラリイは各社に持ち込んでいる最中なのです。
 折も折、目下、アメリカ演劇界では坂手洋二は時の人になっており、「屋根裏」をも一部とする英訳戯曲集も年末までには刊行が決定。そのため、それ以外の作品はないのか、というラリイに対して、坂手夫人自身が沖縄出身なので沖縄の乳製品工場の紛糾を描いた「沖縄ミルク工場の最後」という作品なら残っているけれど、と坂手氏が応じ、ここに再び新しい企画が生まれ落ちました。沖縄育ちのラリイはクバサキ高校に通っており、そこは日本アメリカ文学会九州支部長・山里勝巳氏の夫人やロックバンド「紫」で著名なジョージ紫の出身校でもあったりします。ラリイが沖縄ネタを振られたうえに新企画を着想してしまったときほど、輝いて見える瞬間はありません。
 やがて会話には戸谷氏や新田氏も加わり、「いつか沖縄でシンポジウムをやりたい」という夢のような話まで出て、21時ごろお開きとなりました。

日本アメリカ文学会全国大会で勢揃いした講演旅行仕掛け人。いちばん左は九州公演を盛り上げたグレッグ・ベヴァン、名古屋公演の長澤唯史、九州公演の渡邉真理子、巽を挟み、広島講演の田中久男、神戸講演の秋元孝文の各氏。

  • 2007年6月30日(土曜日)

9:40 いよいよ帰国当日。前日に約束したとおり、小谷真理とともに国際文化会館へ赴き、改装成ったカフェテリアでラリイ&シンダと朝食。シンダは昨日の昼間、佐藤仁子さんたちと浅草で観た若い男性中心の大衆演劇、つまり前述の浅草寺脇の浅草木馬館で行われていた一見劇団のショウがいかにすばらしいものだったかを、興奮して語りました。また、ふたりはこのところヨーロッパ旅行にも頻繁に出ているため、われわれが九月末に招かれているポルトガルでの国際アメリカ学会への出張の帰りに、パリでは共通の友人である映画監督デイヴィッド・ブレアに会う予定だ、というと、ブレア家の現況やパリの見どころなどを少なからず教えてくれました。
 とはいえ、時間はいくらあっても足りません。

左端が佐藤亜紀氏、ラリイの隣がマーク・ドリスコル、ダイアン・ネルソン夫妻。
 
11:20 迎えのタクシーが来て、ラリイとシンダは大きな荷物とともに乗り込む。おみやげのなかには、九州観光で買ったという大きな和傘も。全日空ホテルかオークラか、そのどちらかより、成田行きのリムジンに乗り継ぐとのこと。
 そのクルマを見送って、わたしたちのアヴァン・ポップ・プラス・ツアーは、その全行程を閉幕しました。
 

*二回にわたってお送りしたラリイ・マキャフリイ&シンダ・グレゴリーによるレクチャーサーキット報告。いかがでしたでしょうか。島田雅彦対談や笙野頼子参加のワールドコン・アヴァン・ポップ・パネルなど、まだまだもりださんの話題は巽ゼミ発行 Panic Americana 第12号の特集に掲載される予定です。どうぞお楽しみに。[編集部]