#34 バンクーバー森林浴

バンクーバー森林浴
――「日本における翻訳と近代」シンポジウム報告――
巽 孝之
 

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 コロナ・ウィルスの蔓延により、 2020年 2月下旬以降から 4月までの射程で、様々な学会や会議、ワークショップの類が中止または延期となった。本塾にてスーパーグローバル・プロフェッサーの任にあったケネソー大学准教授ニーナ・モーガンも、 2019年 12月 6日シンポジウムでは腕の骨折のためヴィデオ参加を余儀なくされたが、その代わりとなる 3月 2日公開講演に関しても、今度はパンデミックのために、再び来日を断念せざるを得なくなった。彼女の健康上の理由を考え合わせると致し方のない決断だが、誠に残念である。しかしグローバル事務局と交渉の結果、彼女に関しては 2020年度秋学期以降の新たなスーパーグローバル・プロフェッサーとして招聘予定。
 英断を感じたのは、 3月 1日に、成蹊大学教授・遠藤不比人氏の肝煎りによって開かれた、ペンシルヴェニア大学教授ジャン=ミシェル・ラバテ氏を囲み、氏が編集し遠藤氏の論文も収録された『結び目――ラカン以後の精神分析、文学、映画』(ラウトレッジ、 2019年)の刊行を記念するシンポジウムだ( CPA)。私自身は、同じ成蹊大学で三年前にラバテ教授を囲むフロイトモーセ一神教』ワークショップ( CPA)に参加したが、その時同席した一橋大学中山徹、四年前に日本ラカン協会の「盗まれた手紙」座談会で同席し『結び目』の寄稿者でもある東京大学の原和之( CPA)、加えて成蹊大学のバーナビー・ラルフとマリー・ジェラルディン・ラドマッハーの諸氏も積極的なレスポンス・ペーパーを読み、大いに充実した時間だった(懇親会は成蹊大学正門脇の旧 SUBLIMEに取って代わった「 CAFÉ 247」、写真は右列手前から遠藤氏、中山氏、ラバテ氏、筆者、ラルフ氏、その正面が原氏、その手前が東大の田尻芳樹氏、さらにラドマッハー氏)。この不利な状況下、一体なぜこのシンポジウムが実現したのかといえば、論文集出版記念ということもあるが、それに加えてラバテ教授自身が「いまや地球上どこへ行っても状況は同じだから」と割り切り、精神分析批評そのものをそれこそ「結び目」にした日米学者共同体の友情を優先させたことにあるだろう。余韻に浸る参加者たちは吉祥寺で二次会まで楽しんだ。

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  そしてわたしと小谷真理氏も、パンデミック状況下ではあるものの、昨年から綿密に計画を練り、われらふたりを基調講演者として招聘してくれたブリティッシュコロンビア大学教授シャラリン・オーボウ氏の御厚意に応えることにした。

 

3月 4日(水曜日)
 午前中に三田で科研費神戸大学関係最終処理を行い、午後 2時にタクシーで品川駅まで行き、成田エクスプレスで空港へ。土産物を揃えてから、エアカナダでバンクーバーへ向かう。
 ブリティッシュコロンビア大学のゲストハウス GAGEに到着後、爆睡して夕方、キャンパスめぐり。8時には大半のキャンパス内レストランは閉まっていたので、学食のブースター・ジュースでパニーニを食す。美味。

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3月 5日(木曜日)
 夕べのキャンパスめぐりでも感じたが、バンクーバーは太平洋の暖流の影響による温暖な気候に恵まれているせいか、針葉樹のうちでもアメリカマツ( Douglas Fir)やアメリカツガ( Hemlock Fir)、アメリカスギ( Western Red Cedar)、アメリカヒバ( Yellow Cedar)をはじめとする樹木が豊かでかぐわしい。散歩しながら、あたかも森林浴のような気分を味わう。
 ランチはシャラリン・オーボウとその院生たちとともに、キャンパス内レストラン、一種のファカルティクラブとも言える SAGEにて。文化研究が中心のゼミらしく、院生たちの専門を聞くと、食生活から宝塚歌劇まで千差万別だ。サーモンステーキ美味。

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 振り返ってみれば、シャラリンとの初対面はかれこれ 20年以上前、1999年にモントリオールモントリオール大学で開かれた現代日本大衆文化会議であった。いわゆる「クール・ジャパン」が叫ばれるのは 21世紀だから、それを予言するかのように、同大学教授で驚くべき多言語話者、しかも哲学的思考に秀でたリビア・モネとマッギル大学教授トマス・ラマールがチームを組み、多彩な顔ぶれを招聘したのである。この時点で、いまや日本アニメ研究の権威となったスーザン・ネイピアや漱石や子規、谷崎潤一郎など日本文学の王道研究の俊英たるボストン大学教授キース・ヴィンセント、フォークナーとともに金子國義金井美恵子を愛し現在は青山学院大学教授のメアリー・ナイトン、我が国からも日文研稲賀繁美和光大学上野俊哉などなど、以後のクールジャパン研究や、フレンチー・ラニングが編集する年刊日本研究誌『メカデミア』Mechademia を盛り上げる中核メンバーが勢ぞろいしていたのだ。そこに、われわれともサイバーパンクやサイボーグ・フェミニズムへの関心を共有する同世代として参加していたのが、シャラリンだった。以後の彼女とは、同じ共著や雑誌特集、国際会議などで同席したことは数知れない。昨今では大正時代に開花した紙芝居の伝統に注目した画期的な研究書 Propaganda Performed: Kamishibai in Japan’s Fifteen Year War を 2015年にブリル社から上梓し、この視覚芸術の先駆がいかに戦時中のプロパガンダに貢献したかを巧みに分析してみせた。しかし、これまでフライトの経由地としてはいざ知らず、バンクーバー自体に立寄ることはなかったので、これが初訪問となる。
 ランチの後は、学内にある、シャラリンお勧めの人類学博物館を見学。先住民が残した巨大なトーテムポールのコレクションもさることながら、現代アーティストの作品をも陳列する美術館にもなっているところが、見応え充分。ここでも樹木が織りなす芸術の香りが独特だった。
 とくにクロード・レヴィ・ストロースも賞賛するビル・レイド( Bill Reid)の「大鴉と最初の人類」は大傑作。レイドとロバート・ブリングハーストがハイダ族の神話体系に基づいて刊行した『大鴉、光を盗む』The Raven Steals the Light 1984年;ダグラス&マッキンタイア、2013年)では、レイドの大鴉シリーズが秘める先住民の世界創造物語が実感できる。
 太古、世界は暗闇で、光は美しい娘と二人で暮らす老人が隠し持つチャイニーズ・ボックスの中に巧妙にしまいこまれていた。そこに目をつけた大鴉は変身を重ねて老人の家にもぐりこみ、愛らしい少年と化し、老人はこの大鴉を孫のように溺愛する。だが、ある日、ついに光を盗み出すのに成功した大鴉は少年の姿を解き巨大な大鴉として老人のもとを飛び去り、世界中に光と影を与える。そして、巨大な貝の中にひしめいていた世界最初の人類すなわちハイダ族の男たちに気づくと、驚くべき手法で彼らに女たちをもたらすのだ。
 この神話が、ダイナミックな彫刻として出現しているのには、心底感動したものである。

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 夕方 5時より、いよいよ木立に囲まれた国際会館にて小谷真理による一般講演、萩尾望都トーマの心臓」論。キリスト教的世界観と SF的世界律の関連など、質疑応答も活発。
 夜はシャラリンのパートナーであるジョシュア・モストウの運転でバンクーバーダウンタウンの北京ダック専門高級中国料理店「全聚德」(QUAN JU DE)。正面はオーボウ教授のパートナーである同僚のジョシュア・モストウ教授。手前は若手日本学者でポスドク、UBC講師の大沢ユキさん、博士号候補者の岩崎正太君。

 

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3月 6日(金曜日)
 「日本における翻訳と近代」シンポジウム初日。
 朝 9時 15分に院生の中尾温美君がゲストハウスまで迎えに来てくれて、ともに会場である森の中のアジア・センターの講堂へ。彼女は 2018年に我々が参加した同じカナダはヴィクトリア大学の「人外」シンポジウムも聴きに来てくれていた博士課程院生で、彼女と修士課程院生の東方小百合(リリアン)君とは、それ以来の再会である。この会場はアジア文化研究の巨大図書館を携えるばかりか、インドのノーベル文学賞受賞者タゴール銅像を入口に据え、背後には新渡戸稲造記念庭園が控えているという、なんとも贅沢な環境。
 午前中はシャラリンの開会挨拶のあと、パートナーであるもうひとりの日本学者ジョシュア・モストウやプラハのチャールズ大学のズデンカ・シュヴァルツォワによる日本近現代詩をめぐる発表が続く。かつてタフツ大学教授ホセア・ヒラタが北米にて鋭利な西脇順三郎論を出版してから 20年近くを経て、まさか東欧はチェコの地で西脇の評価が上がっているとは、初めて知った。フロアからは、日本語のオリジナル詩集『わたしの日付変更線』(思潮社、2016年)により読売文学賞を受賞したウェスタミシガン州立大学カラマズー校教授で昨今では折口信夫死者の書』英訳(ミネソタ大学出版局、2017年)でも知られる日本研究の新鋭・ジェフリー・アングルスが、英国留学時代の西脇について語り、とくに 1920年代半ばに彼がロンドンで出版し TLSでも書評された英語詩集『スペクトラム』が西脇の日本語詩とはまったく異なる点を突くもので、まことに鋭利な指摘といえる。同詩集は、現在、元岩波書店の編集者だった現代詩研究家・樋口真澄氏が翻訳中とのこと。
 ランチは別室にサンドイッチやピザ、サラダや各種飲み物が豊富に用意され、参加者は皆それを自由気ままにつまんでいい形式。わりと昼休みが長かったので、センターの裏に回り、風光明媚な新渡戸稲造記念庭園(通称「ニトベ・ガーデン」)を散策する。
 続く午後一番の発表は、残念ながら欠席を余儀なくされたミズーリ州ワシントン大学セントルイス校教授で、フェミニズム SF研究家・原田和恵氏の師匠であるレベッカコープランド。しかし原稿はできているので、シャラリンが代読する。主題は日本近代文学における女性翻訳家の役割。近代日本で徐々に形成されていた平塚らいてうから若松静子に及ぶフェミニストネットワークにおいて、いかに女性翻訳家が異文化相互を橋渡しする行為体たり得ていたかをスケッチするもので、大いに刺激的な視点であった。
 午後の二番手のジェフリー・アングルスジュール・ヴェルヌ80日間世界一周」( 1872年)の英訳( 78年)と川島忠之助による本邦初訳( 79年)の過程で生じた翻訳とともに翻案の問題を明快に図式化してみせる。本塾経済学部の仏文学者・新島進氏および日本ジュール・ヴェルヌ研究会の研究ともかなり関心が重なる部分が面白かった。

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 次のシャラリン自身による発表は、当初は予定になく、パリから来るはずだったフランスを代表する日本学者のアン・サカイ・ベヤールが欠席したための穴埋め。トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』と大江健三郎の「飼育」を比較検討したもので、この比較自体は青山学院大学教授メアリ・ナイトンの卓越した先行研究 “Was Huck Burak(k)u?: Reading and Teaching Twain in Asian Pacific World Literature” ( Mark Twain Studies #1 [2004] PDF) があるが、しかし彼女が英語の “nigger” が今の北米では直接口には出せず “n word”( n字言葉?)と呼ぶほかない一方、その日本的対応物である「黒ん坊」は必ずしもそうではないと区別していたのは啓発的だった。「黒ん坊」には「赤ん坊」や「甘えん坊」などの類似表現が連なるからだ。
 そう、日本における「黒ん坊」という呼称は、現在の北米ならば “nigger” と口に出したら最後、失職するかもしれない危険性を、あらかじめ免れている。『ハック・フィン』は数年前、南部の出版社が差別表現に大々的に手を入れたことで話題になったが、英語圏テクストはそれほどに検閲を回避し得ないのに、日本語表現では そうならない非対称性は、肝に銘じねばなるまい。
 その直後には、やはりカリフォルニア州から出張できなくなった UCLA教授マイケル・エメリックの村上春樹論。若き日に父親から『象の消滅』英訳をプレゼントされて以来、最新エッセイの「猫を棄てる」を読んだ感想に至るまで、自身の春樹文学との関わりを回想しつつ、彼がたんにアメリカ文学を引き写しただけの作家ではないことを確信していくプロセスをたどる。春樹文学といえばいわゆる並行宇宙を得意とすることでも知られるが、この一人の作家が世界各国で受容されているのは、国の数だけ異なる受容の並行宇宙があるからだとする見方は説得力に富む。
 休憩を挟んで、いよいよわたしの基調講演「アメリカン・ルネッサンスの翻訳史」。基本的には先月 2月のアルメリア会議で発表したポー受容の枠組にホーソーンメルヴィルを絡めたもの。今度は 70年代に完結する佐伯彰一らを実質的な編集顧問とした創元ポー全集と同じ 70年代半ばに北米から出るスチュアート&スーザン・レヴィーン夫妻編のポー短篇全集とが、ともに作家を狂気のロマン派的天才ではなく冷徹なプロ編集者であり、文学ジャンルのアルス・コンビナトリアを実践したマニエリストだったことを強調していた奇遇に着目。会場からは、研究の上では後発であるはずの日本側で、一体なぜ本場と拮抗するポー観が同時多発的に育まれたのかを探る熱心な質問も出た。
 加えて、今回スポットを当てたのは、八木敏雄氏がポーのみならずホーソーンの『緋文字』もメルヴィルの『白鯨』も正確にして読みやすい文章で新訳したことの影響力である。拙訳を含め、新訳ブームについては賛否両論があるが、そのことを巡って出た質問については「訳文が古臭いとか新しすぎるといった類の反響は、多分に読者自身の読書歴、すなわちジョナサン・カラーのいう文学運用能力 “literary competence” に振り回されているだけではないか」と回答する。
 初日の打ち上げは、昨日のビストロ SAGEの地下を借り切り、国際会議参加者のほぼ全員、約 40名ほどがバイキング料理を楽しんだ。
 二次会は学生たちが行くというコーナーズ・パブ( Koeners Pub)。

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3月 7日(土曜日)
 国際会議 2日目。
 本日の基調講演はしょっぱなに置かれた、小谷真理によるアーサリアン・ロマンス論。昨年出て好評を博している小谷真理の共著『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャーに君臨したか』(みずき書林、 2019年)への寄稿「愛か忠誠かーー『こころ』に見るランスロット像」のライブ・バージョン。不遇な騎士ランスロットこそアーサー王ロマンスで一番大事なのではないか、漱石の『薤露行』や『こころ』はまさにそうした関心から書かれたのではないか、という発想から紳士道と騎士道、および武士道を巧みに撚りあわせ、やおい的想像力を抽出する。聴衆からは完璧な論理構成という感嘆の声も漏れた。
 続くは、UBCで博士号を取得し、現在はカルガリー大学で教鞭を執るというベン・ホエーリーによる、少女マンガにおけるアンネ・フランクアンネの日記」およびユダヤ人文化の受容史。豊富な資料と斬新な切り口で聴衆を魅了した。後半では日本文化とユダヤ文化の親和性にまで話が及んだので、発表後に、是非ともイザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』を一読して理論構築してほしいと要請する。加えて、ここは散文ではあるものの、やはり小林エリカ『親愛なるキティーたちへ』にも一言ほしかったところだ、と要望する。
 次に、オックスフォード大学を出てコロンビア大学で博士号を取得し、元ヒッピーだったというスティーブン・トッド。三島由紀夫晩年のエンタテインメントで昨今では TVドラマ化もされた『命売ります』と三島唯一の SF『美しい星』の翻訳を中心に、純文学の王道と思われた彼がじつは大衆文学も馬鹿にせず、彼の中ではさまざまな文学的な層がからまり合い自己言及し合って、一種のフーコー的混在郷(ヘテロトピア)を構築しているという視点は画期的だろう。
 ちなみに、わたしがトマス・ラマールと共同監修しているミネソタ大学出版局の翻訳シリーズ「並行未来」( Parallel Futures) には、一度『美しい星』翻訳原稿が持ち込まれ、刊行が決まりながらも訳者がミネソタの申し出を辞退し、より条件のいいペンギン社に鞍替えしたという、監修者にとってはいささか不愉快な事件があったが、その話をするとスティーブンは「その翻訳者はわたしだ、あの時はまことに申し訳なかった」とこちらに頭を下げてきたので、とんだ奇遇に驚くばかり。
 ここで昨日と同じ形式のランチ。ところが、今回はなんと日本のデパ地下で売られているような本格的お弁当で、しかもポーク、チキン、サバ、エビなど各種取り揃え、オプション豊かだったのにビックリ。
 午後一番は、イタリアはボローニャ大学でクールジャパンならぬ「ニップポップ」を促進し、博士論文のテーマは林芙美子だったというパオラ・スクリロベッツァによるライトノベル論。ライトノベル命名者が、わが SFファンダムの SMOFのひとり神北恵太氏であることまでちゃんと調べ抜いた発表で、それがイタリアにもきちんと輸入され一定の読者を獲得している経緯を丁寧に追ったもの。ただし、フロアからイタリアにおける発行部数に関する質問が出て、それへのパオラの回答には驚いてしまった。円地文子らの純文学が 3000部、村上春樹らのベストセラーが 1000部、そしてライトノベルが 200部程度だというのである。少なくとも 5万部は超えないとベストセラーと言われることのない日本とは、ずいぶん常識が違うものだ。むしろこれは限りなく学術研究書の業界に近いのではあるまいか。
 最後のトリを飾ったのは、今回の共同スポンサーである東北大学から来たクリストファー・クレイグ。3.11以後に同大学に勤めたそうだが、それに因む話題は大怪獣ゴジラの日米における比較表象史。彼は基本的に初代である東宝映画『ゴジラ』( 1954) とそれに基づくハリウッド版『怪獣王ゴジラ』( 1956) の比較に徹し、前者では濃厚な核実験の呪い、すなわち核汚染による遺伝子障害などの問題が後者では弱まり、むしろホラー的要素が増えて深まっていると指摘。ただそれと同時に、前者の日本オリジナルの方でも、占領期の記憶が生々しいためか、アメリカ軍駐在のニュアンスがあらかじめ抹消されていることも指摘した。怪獣映画と言えども国家のナショナリズムによる表象のズレは免れない。
 ただ、クレイグはこの二本に絞ったために、たとえば日本オリジナルの『ゴジラ』に多大な影響を与えたレイ・ブラッドベリ原案、ユージン・ルーリー監督の『原子怪獣あらわる』( 1953) に触れておらず、そこでわたしが会場からツッコミを入れることになった。『怪獣王ゴジラ』が核汚染に言及しないのは、当時のアメリカではまだ核の生理系、生態系への影響問題が捨象されていたため、一見筋が通って見えるが、『原子怪獣あらわる』は、まさに北極圏の核実験から始まっているからだ。
 以上、さまざまな議論可能性を孕んで国際会議「日本における翻訳と近代」シンポジウムは幕を閉じた。翻訳のみならず翻案や創作まで、多くのカテゴリーから問題の本質と将来性を討議できて、わたしたちは大いに満足し、打ち上げのため、ダウンタウンのマレーシア料理店「バナナ・リーフ」( Banana Leaf)に繰り出す。院生たちからも質問責めに遭い、その興奮冷めやらぬまま、二次会のビアホール「エルウッズ」( Elwoods)へ。
 帰宿、12時。

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3月 8日(日曜日)
 午前中にバンクーバー空港へ移動。ゲイジの受付でイエローキャブを呼んでもらう。たまたまジェフリー・アングルスもその時間にタクシーを呼ぼうとしていたので、われわれのイエローキャブに同乗を勧め、同中歓談。彼は勤務先のウェスタミシガン大学が中世英文学研究のメッカであるばかりでなく、世紀転換期に永井荷風が留学したカラマズーに位置しているということで、15年ほど前から『三田文学』に寄稿を続けてくれている。理論にも強く日本語で詩作も行う点で、キース・ヴィンセントに続く期待の世代である。吉増剛造理事長とも懇意なので噂は聞いていたが、彼の方も同様だったらしく、会議では英文拙著 Young Americans in Literature ( 2018) と彼の第一著書 Writing the Love of Boys ( 2011) を、それぞれにサインを入れて、交換した。拙著の方はあくまでロマン派としてポーと連なる乱歩を、アングルス本ではあくまで美少年同性愛に傾く耽美派としてポーに私淑する乱歩を提示しているというコントラストが、何とも面白い。
 空港ではメープルシロップなどお土産を買い揃えてから、カフェ。
 定刻通りに 14時 50分に出発、予定通り、成田には 9日の 16時 44分に到着。

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3月 9日(月曜日)
 5時 40分、閑散とした成田空港から、同じく閑散とした成田エクスプレスに乗り、品川からタクシーで帰宅。
 夕食は、コロナウイルスによる自粛により個人経営が危ないという風潮を承けて、恵比寿随一のパスタ店「デル・チャールロ」。思いのほか客が入っていて安心。