#25-1. 2005年度総括

cpamonthly2006-01-24


巽孝之:2005 年はとうとうわたしも半世紀生きたことになり、映画館での夫婦50割引が実現しました。そのほかにも昨年はあまりにいろんな出来事がありすぎて、この CPA Monthlyも実質的な更新といったら、新年の沖縄出張とあかねイベントのレポートだけ、かれこれ10ヶ月近いご無沙汰です。ご愛読下さっている方々には、まことに申し訳ない限り。そのぶん「祝辞の達人」や出たばかりの Panic Americana 第10号その他では極力補ったつもりですが、この対談シリーズ自体が中断してしまったのは、返す返すもお詫びするしかありません。
 とくにわたしの場合、6月末に北米はニュー・ベッドフォードで行われた国際メルヴィル会議の報告をするとBBSでも予告しながら、帰国早々の6月30日に、慶應高校限定オープンゼミがあったり、同じ日の晩には紀伊國屋書店でわたしが編集委員のひとりで小谷さんが執筆者のひとりというみすず書房の高校生対象「理想の教室」シリーズのシンポジウムがあったりしたため、詳細はみすず書房のホームページ上の「特別記事」および2005年9月24日の日本アメリカ文学会東京支部での研究発表「ニュー・ベッドフォード報告──楽園と地獄の150周年」に譲ることになってしまいました。そういえば、11月には北米のアメリカ学会出張とネヴァダ大学リノ校での文学環境プログラムという、ちょっと変わった場所での講演もあり、これもご報告が延び延びになっています。
 理由のひとつは、春休みの終わりに来日して日本アメリカ文学会東京支部月例会で講演してくれたカリフォルニア大学バークレー校教授のメルヴィル学者サミュエル・オッターをはじめ、5月から6月にかけてはゼミでの講演者としてもブラウン大学教授でメタフィクションの大御所であるロバート・クーヴァースタンフォード大学教授で北米のアメリカ学会会長、マーク・トウェイン研究の権威として知られるシェリー・フィッシャー・フィシュキンに至るまで、千客万来だったせいかもしれません。とくにフィシュキン教授が講演後にゼミでの打ち上げにまで参加して綴られた日本滞在日記はPanic Americana第10号の目玉ですから、ぜひお読みいただきたいと思います。
 個人的な仕事を中心に2005年という年をふりかえると、全般的には、6月末に「理想の教室」第二回配本として『「白鯨」アメリカン・スタディーズ』を出したがために、あいかわらずメルヴィルおよびモビイ・ディックに関連するイベントが継続した印象です。6月のメルヴィルスタインベックそれぞれをめぐる国際会議に続き、7月の福岡女子大学集中講義とか10月末の同志社大学英文学会講演とか、11月初旬に高宮利行先生の「書物の歴史」でやった講義とか、あの本をベースにしながら、さらに新しいテーマを発展させた一年、といえるでしょうか。2001年の『白鯨』150周年から授業でもずっと扱っているわけで、今回の本は第一章と最終章およびエピローグの訳しおろしも含め、その中間報告といった趣なのですが、ほんとうに読み直すたびに発見が相次ぐ作品というしかない。その陰ではひっそりと、10年前の拙著『ニュー・アメリカニズム──米文学思想史の物語学』が青土社より一章分書き足すというかたちで増補再版し、実質的な第三版として刊行されたりもしているんですけど、ね。このたび増補された章「グラウンド・ゼロの増殖空間」と『「白鯨」アメリカン・スタディーズ』とは、じつは密かにからみあっているんですよ。

小谷真理:教授のここんとこの活躍は、すべて鯨にかかわっているものばかりという印象ですね。まさに鯨づくしの一年と言えるでしょう(笑)。おかげでわたしのほうも、アメリカというと鯨、イラクというと鯨油の代わりの石油、ボンデージというと、鯨コルセットなどと考えてしまうほど、鯨妄想に毒された生活態度になっている(笑)。
 さて、鯨ノンケのわたしといえば、5月にフェミニズムSF決起集会として名高いウィスコンシン州SF大会「ウィスコン」に参加してきました。今年は当時ブラウン大学に在外研究にいらした大串さんもいっしょでした。生まれて初めてフェミニストSF決起集会に、フェミのお友達といっしょに行くという得難い体験です。……興奮しました(笑)。だって、いままでは本当に孤立無援だったから。そのせいなのかな、今年ははじめて日本のジェンダーSF研究会の活動や「センス・オブ・ジェンダー賞」のことを紹介する機会にめぐまれまして、スピーチさせられました。フェミの大会は、わたしにとっては現実世界の雰囲気とは異なる「わが家」という感じで、本来わたしの住むべき世界は、こういうところなのではないかという甘い夢に浸れるところなのですが、今年はその思いをいっそう強く持ちました。日本では、フェミ系、今はジェンダー系といってもいいんでしょうが、それに対するバッシングがあまりにもひどくなってきたということもあります。今年八月末に『テクノゴシック』という、現代におけるゴス文化の総括本を自分なりにまとめて刊行したのですが、けっこうあの本にはそういったバッシング状況に対するアグレッシヴな気分が強く出ていた、と思ってます。
 で、校了したあと、気分転換もかねてイギリス。鯨のアメリカではなく、ゴスのルーツである欧州っていうか(笑)、スチームパンクのイギリスですよ。今回は、もう気合いをいれて事前にツァーのためのリサーチをしていきましたから、楽しかったでしょ? イギリス・ゴス・ツァー(笑)。

:夏には8月初旬から中旬にかけて、スコットランドグラスゴーで開かれた世界SF大会「インターアクション」に出席しましたから、それを中心に、10年ぶりにイギリスでの2週間滞在が実現したというわけですね。

小谷:教授と一緒にレンタカーでゆったりファンタジー巡礼旅行としゃれ込むつもりだったんですけどね〜。が、いやはやエディンバラアバディーンでは駐禁で捕まること二回、エンストでレッカーに引かれること一回という、何と三度もスコットランドヤードのお世話になることに…(苦笑)。まったくここは海賊の国かよってなげいたこと多数(笑)。もちろん、観光客ということで警察に苦情をたれこんだら、駐車違反の罰金は発生しませんでしたけど。帰国してみると、ほんとうに三田の自宅宛にエディンバラ市議会じきじきの「お叱り」がエアメールの文書でしっかり届いたのにはびっくり。「今回は不案内だったんだろうから大目に見るが、もいちどやったら許さない」というやつね(笑)。あんまり立派な文面だったんで、きちんと保存してありますよ。でも、公平さのためにいっておくと、あの国は駐車関連のテクノロジーはもうちょっと性能のいいものに変えた方がいいと思うのね。
 肝心のファンタジー研究のほうでは、スコットランドのハントリーにあるジョージ・マクドナルドの邸宅、ロンドン郊外にあるウィリアム・モリスのレッドハウス、それにホレス・ウォルポールの居城、つまりオトラント城のモデルになったお城をじっくり調査できたのは大満足だったんですけど。ウォルポールとモリスのお城は、両方ともネオ・ゴシック建築だけれども、百年ほどの時間差があるので、洗練の度合いがぜんぜんちがうんだなって実感できましたね。あと、オックスフォード見物にも行って、教授はそこで旧友のランカスター大学教授トニー・ピンクニー君と劇的な再会を遂げたわけだし。

:トニー・ピンクニーは、1982年ごろかな、コーネル大学留学以前に東京で知り合ってます、アカデミックな世界では初めてできた、同年代の英語圏の友人なんです。
 かつてこのHPにも収録されているエッセイ「外部の友人」にも書いたことがありますが、当時彼は、ヴァージニア・ウルフ研究で有名なマキコ・ミノウさんと新婚早々で、オックスフォード大学大学院を終えたあと洗足学園で教えていたんですが、現代批評理論のことを話せる日本人の若手はいないか、と探していたそうなんですね。わたしはちょうど、北米で勃興し始めた脱構築批評(ディコンストラクション)を読み始めたころでしたから、日本アメリカ文学会東京支部の月例会で、当時本塾商学部に勤務されておられた中道子先生から紹介され、しょっちゅう渋谷あたりで落ち合うようになりました。トニーはレイモンド・ウィリアムズやテリー・イーグルトンの系統に属するマルクス主義系のモダニズム文学研究者で、D・H・ロレンスを専門にしていたので、いまでいえばイギリス系カルチュラル・スタディーズの根本を担っていたということになるでしょうか。
 なかなかの論客で、1983年の5月に日本英文学会全国大会で現代批評理論をめぐるパネルが、川崎寿彦、出渕博、富山太佳夫、今泉容子というそうそうたる顔ぶれで行われたときには、フロアから鋭い質問を投げかけていた。当時の彼は、ウィリアム・モリスからタイトルを採ったNews from Nowhereというインディーズ系批評理論誌を刊行していて、丸善日本橋店なんかにも持ち込んで置いていたなあ。当時の丸善の洋書売り場には、井上さんというじつに親切な事情通がいらっしゃって、ポール・ド・マンの急逝を知ったのも彼からでした。トニーはたいへん熱い男で、留学中も留学後も頻繁に文通と著書交換を続けていたのにここ10年ほど途絶えていましたが、今夏のイギリス滞在直前に、彼の勤務先であるランカスター大学のホームページ経由で連絡したところ、初めて電子メールが開通した次第です。便利な時代ですよね、長年連絡の途絶えていた友人同士でもすぐ再会できるんだから。いずれにしても、このトニーがつきっきりでオックスフォードのツアコンを務めてくれたのは、たいへん贅沢な経験でした。
 また、15年越しで文通とメールを続けているポスト・サイバーパンク作家リチャード・コールダーと、8月15日の正午にピカデリー・サーカスで初対面を遂げ、夜まで語り合ったのも、エキサイティングでしたね。日本での翻訳や出版に協力した者としては感無量です。昨今では、押井守の『イノセンス』にも多大な影響を与えたコールダーの長編小説『デッド・ガールズ』(邦訳・トレヴィル、絶版)をアニメ化するプロジェクトがオーストラリア系の写真家ジミー・ウィングを中心に持ち上がり、われわれや翻訳家の増田まもるさんを含む準備委員会までが組まれ、去る10月9日の深夜には吉祥寺でイベントまで行われているので、まさに機が熟したというところでしょうか。

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