#25-4.歳末シンポジウム2: 「人造美女は可能か?」

: わたしのほうは、ちょうどそれから一週間後の12月16日(金)、三田キャンパス北館ホールで行われた慶應義塾大学藝文学会シンポジウム「人造美女は可能か?」に関わりました。最初は、来る3月に定年退職されるマラルメ学者で『マラルメ──書物と山高帽』の名著のある立仙順朗先生を中心に、企画全体を丸投げするつもりだったんですね。ところが、このタイトルの発案者である立仙先生ご本人から何と企画委員であるわたしと荻野アンナ氏にもパネリストを熟考したうえ出演しろ、というお達しが来たわけです。
 まず最初に思いついたのは、立仙ゼミの出身でもあるヴィリエ・ド・リラダンやレイモン・ルーセルの研究家で、フランス文学翻訳家としてはエチエンヌ・バラールの『オタク・ジャポニカ──仮想現実人間の誕生』やダイ・シージエの『バルザック小さな中国のお針子』など名訳をつぎつぎと放ち、わたしとは『現代作家ガイド ウィリアム・ギブスン』の共著もある新島進氏(早稲田大学非常勤講師)を、理論的な中核を担ってもらう役割で引っ張り込むことでした。
 しかし、藝文学会というのは学内文学部の地味な組織で、放っておくと集客能力の点で問題が生じかねない。北館ホールというのはぎっしり詰め込んでも 240名のキャパシティなので、印象としては小劇場として一世を風靡した三百人劇場と変わらないぐらいなんですが、そこでさえたんにオカタイ学会をやってしまうと客席がガラガラ、という事態が起こりうる。わたし自身が経験したうちで北館ホールが立ち見や座り込みまで出るほど満杯になったのは、一昨年 2004年7月に「情の技法」の一環で、当時カンヌ映画祭で男優賞を獲得した「誰も知らない」の映画監督・是枝裕和氏をお呼びしたときだけですね。あのときは300名ほどいたかもしれませんが、いずれにせよきちんと企画と広報をやらないと、決して広くないあのホールですら空席が目立つ、という惨状になってしまう。
 そこで、以前、総合講座「情の技法」でもご出演いただいたプログレ・メタル・バンドALI PROJECTのヴォーカルで元祖ヴィジュアル系、元祖ゴスロリ・ファッション・リーダーである宝野アリカさんをお招きしたらどうか、と提案し、荻野さん経由で立仙先生にはアリプロのCDをたくさんお貸ししたところ、最初は「論じる対象にもなりうるような方に登壇していただいていいものか」とずいぶん悩まれたようですが、けっきょくはゴーサインが出た次第です。 
 それからというもの、立仙先生のシンポジウム準備に賭ける情熱ときたら、生半可なものではありません。新島氏の誘導で秋葉原メイド喫茶には行かれるし、11月末のアリプロ・ライヴにも二次会まで参加されるし、このシンポジウム独自のメーリングリストは活用されるしで、われわれもたいへん有意義な準備が可能となり、事前に各人の草稿もデータで全員がしっかり熟読しておく、という段取りをこなすことができました。

小谷:ミもココロも、コロモすら学者魂を感じますね。

:そのとおり。当日を迎えてまたまたびっくりしたのは、宝野さんの衣装はいうまでもないことですが、新島氏がドラァグ・クイーンのコスプレ、司会の荻野さんも買ったばかりのメイド服という気合いの入れようだったことです。入場者が会場時間より1時間以上も早い午後1時半ごろからちらほら集まっていたのも、例年とは異なった現象といえるでしょう。

小谷:わたしも客席で見物しながらmixiに速報入れていたんですが、迫力がぜんぜん違いましたね。慶應三田の仏文というと、世界的にもトップクラスの難解さで知られる研究者たちですよ。それがあのようなコスプレを…。堅いんだか柔らかいんだが、硬くても柔らかいんだか、とにかくすごい。ある意味、一番カッコイイことやっちゃったんだなあって(笑)。ああいうことを惜しげもなくやられると、コス者としては以後どうすればいいんだ?(笑) カルスタの巨匠アンドルー・ロスがその場にいたら、なんて表現するんだろう。ポストモダンなんて月並みなことばで語っていただきたくないほど、すばらしい破壊力でしたよ。それに学生さんたちもああいうことを若いウチに体験してしまうと、今後たいへんかもしれませんね。

:満場の観衆を前に、立仙先生はご専門であるマラルメの言葉で造られた人造美女ロディアードの話を皮切りに、それをリラダンの『未来のイヴ』と接続され、しかもアニメの『攻殻機動隊』にまで拡大されるという、とうてい定年前とは思われないほど若々しく可能性豊かな話をされてました。それを直弟子である新島氏がまずは質疑応答というかたちで承け、そのあと人造美女をめぐる壮大なチャートを示すとともに、ジュール・ヴェルヌの最晩年の作品で透明花嫁を扱った『ヴィルヘルム・ストリッツの秘密』について、独身者の機械をモチーフに鋭い洞察にみちた議論を展開された。
 これでもう人造美女の理論篇はもう完璧となったので、休憩をはさみ実践篇。まず宝野アリカさんは新島氏の発表を継いでいきなり「『見えない花嫁』宝野アリカです」と切り出し、名曲「コッペリアの柩」「未来のイヴ」「メガロポリス・アリス」を中心に、四谷シモン天野可淡、恋い月姫ら人形作家へのオマージュと詩人としてのヴィジョンがいかに融合するかを説明され、ゴシック・ロリータいわゆるゴスロリ的感性の基本を再確認して、最後は「未来のイヴ」ライヴ映像を流してしめくくりとなりました。
 しんがりを務めたわたし自身は、今回せっかく宝野さんがお入りになるのだから、従来の学会形式ではないほうがいいと思い、役割的にはコメンテーターぐらいの意識でいたわけですが、だんだん言いたいことが出てきたのは事実です。
 ですから結果的には宝野さんのスピーチにも言及しつつ、自説も展開し、そして「人造美女」の歌声とともに「独身者の機械」という通奏低音が響いていたシンポジウム全体にも言及しようともくろみました。それで、まず専門領域であるアメリカ文学からする仮説としては、ポウとエミリー・ディキンスンとT.S. エリオットの詩と詩論だけを取り上げ、題して「死んだ美女、造られた美女」という議論にまとめました。ポウは美女再生譚を得意としたロマン派作家ですが、ディキンスン元祖引きこもり系ゴスロリ少女、エリオットは当時の女性タレントであるエセル・レヴィの「インパーソナル」な魅力を「現代的なタイプの美しさ」「インヒューマンなグロテスクさ」という意味で賞賛したモダニズム詩人です。この連なりをふまえるならば、そこからフリッツ・ラングの『メトロポリス』、ゲイ・ダンサーを従えたマドンナの『ヴォーグ』、はたまたドラァグ・クイーンを含む典型的な「独身者」たちを従えたアリ・プロジェクトまでは着実に系譜をスケッチすることができるのではないか、というのが構想でした。
 フタを開けてみると、会場にはじっさいにたくさんのゴスロリ少女たちが来場してくれたわけで、企画委員としては喜びを禁じえません。このあとの二次会や「ちょっとローマ」でやった三次会も楽しかったんですが、何よりその晩からしばらく、mixiなどを中心とするネット上でも感想やレポートがおびただしく出たのがうれしかったですね。  
 何と言っても、この日のためにドラァグ・クイーンのコスプレをした新島氏や、メイド服でキメた司会の荻野さんなどが話題を呼んでいた。塾生諸君とおぼしきブログの反応のなかには「うちの学校、大丈夫か?」というのもあり、それを読んだ荻野さんも「達成感、ありますよね」とうれしそうだったし(笑)。

小谷:あのあと、暮れにMLAへ行って、これ以上ないくらい学者さんたちを観たけど、「アレ? 今日はなんでみなさん学者コスなの?」って(笑)。虚実が逆転するくらいのインパクトって、実は人造美女のコンセプトそのものじゃない?(笑)。そういう視点でみると、暮れに公開されたスピルバーグの『SAYURI』の芸者チックパークって案外人造美女にココロを乗っ取られた作品としておもしろいかもね。

人造美女は可能か?人造美女は可能か?
巽 孝之 荻野 アンナ

慶應義塾大学出版会 2006-08

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1/24/2006