#28-1 [特別編] ニューイングランド講演旅行

サバティカルを得てアメリカ講演旅行中の巽先生から旅行記が届きました。怒濤のレクチャー・サーキットをご本人の報告にてお楽しみください。[編集部記]


0.ボストン到着

2009年4月 20日(月曜日)
 ユナイテッド空港 882便で成田を午後4時 55分発、シカゴ乗り換えにてボストンはローガン空港に晩の7時半着。迎えに来てくれたブランダイス大学教授マイケル・ギルモア(新歴史主義批評の名著『アメリカのロマン派文学と市場社会』 [原著 1985年、邦訳・松柏社、 1995年]の著者)の車で、ケンブリッジに住む畏友にしてタフツ大学教授スーザン・ネイピア『現代日本のアニメ』(原著 2001年、邦訳・中央公論新社、 2002年)の家へ、ぶじ転がり込む。
 ローガン空港の手荷物受け取りではスーツケースのひとつが蓋を空けられて出てきたのでびっくり。当初は検査のとき手荒に扱われ壊されたのかと思ったが、予備のバッグにあるていど詰め替えたら何とか閉まるようになったので、要するに詰め込み過ぎだったらしい。スーザンとともに、家のあるランカスター通り付近のタイ料理店で夕食。


4月 21日(火曜日)
 時差ボケ解消対策のため、小谷真理氏とふたり丸一日ぶらぶらして、なじみのハーバード・スクエアへ行き、書店を冷やかしたり、カフェで本を読んだり。
 慶應のわたしの院ゼミからハーバードのアフリカ系アメリカ研究専攻の大学院へ移った有光道生君がいまスーザンの家に半ば家政夫として住み込んでいるのだが、彼は一昨日がちょうど博士課程の Q-Exam、日本でいう博士論文執筆資格試験で、二時間におよぶ口頭試問に耐えぬき、ぶじ合格した模様。ほぼ四半世紀前、コーネル大学で受けた口頭試問を思い出す。晩は、祝杯を兼ねて同じく付近のフランス料理店。



1. ブランダイス大学講演

4月22日(水曜日)
 ブランダイス大学大学院にて講演第一弾。夕刻 4時半より、於・オーリン・サング 124教室。
 演題“Nuclear Literature and/or Literary Nucleus: Melville, Salinger, Vizenor "

内容は 19世紀メルヴィルから 20世紀サリンジャー、 21世紀ヴィゼナーへ連なる過程でいかに「聖書的想像力」が「核の想像力」へ突然変異を遂げ、いかに「報復攻撃の論理」が「全面核戦争」の恐怖をもたらすようになったか、それを回避する文学的想像力はあるのかという問題を思索したもの。


ギルモア氏の尽力でハーバード大学との共催だったので、フレデリック・ダグラス研究の第一人者ジョン・スタウファーの顔も見える。彼とは「メルヴィルとピンチョンの類推はどこまで有効か?」という点で議論になり、きわめて啓発的だった(わたしは長いこと『白鯨』の鯨は 19世紀鯨油時代の、『重力の虹』の V2ロケットは 20世紀重油時代の文明を一気に掬い取る隠喩として類推可能と見てきたが、彼は「鯨は自然で V2ロケットは科学技術なのだから話がちがうのではないか」と問いかけてきたので、それに対しては「テクノロジーがすでに現代人の自然でないなどという保証はどこにもありはしない」と解答するしかなく、このあたりがわれながらどうしようもなく SF的で、いささか反省しているーー SF的解答は議論をそれ以上の発展の余地がないかたちで終わらせてしまうからである)。

 そのほか、ブランダイス大学若手の女性准教授陣からはポストモダン小説研究のカレン・イアとポストコロニアリズム文学研究のウルカ・アンジャリアとが参加し、いずれも刺激的な会話であった。小谷真理氏はカレンと 19世紀英文学のやおいについて盛り上がっていた。わたしはウルカがインド系アメリカ人学者なので、先行するガヤトリ・スピヴァクの仕事について訊ねると「インドの言語圏は多様なので、彼女のようにベンガル語圏だけを重視してポストコロニアリズムを標榜するのは、ほんとうは少し無理があると思う」と率直な意見。打ち上げはポーター・スクエア付近のカンボジア料理店「エレファント・ウォーク」。





2. タフツ大学講演

4月23日(木曜日)

 タフツ大学にて講演第二弾。正午より、 於・オーリン 012視聴覚教室。
 演題 "The Advent of Meguro Empress: Decoding the Avant-Pop Anime TAMALA 2010 "

 アヴァン・ポップ・アニメの傑作『 TAMALA 2010 』がピンチョン『競売ナンバー 49の叫び』をいかに換骨奪胎したか、そのさい東京の都市文化史がいかに作用したかを説く。小劇場ほどのオーディトリアムに 30名ほど結集。スーザンの学生たちのほか、同僚で西脇順三郎村上春樹の研究で著名なホセア・ヒラタ氏、泉鏡花の専門家チャールズ井上氏、西洋美術史専攻の上西郁美さんなども参加、活発な質疑応答となる。とくに井上さんの「 TAMALA製作者コンビの t.o.L (tree of Life)なる名称はハイテクというより自然崇拝的な感じがするのだが、なぜだろうか」という問い、というかコメントはさりげなくも鋭い。ブランダイスとは異なり、タフツのほうはスーザンのクラスに合わせた関係で、これはわたしにとっては人生初の公に話すアニメ論となった。昼食は大学付近の日本料理店「よし」。
午後はスーザンの「夏目漱石」をめぐる授業に出席。村上春樹の『海辺のカフカ』に漱石、三島、大江の「影響の不安」をいかに読み取るかという、学部生中心ながらじつにホットな討論であった。晩の打ち上げはランカスター通り付近の中華料理店「常熟」。話題はなぜか、最近の学生に鬱病が多いという方向へ。華麗な大島紬に着替えて現れた上西さん、萩尾望都作品の大ファンであることを告白。




4月 24日(金曜日)
昼過ぎ、スーザン・ネイピアの誘いで、ハーバード大学における日本研究のメッカ、エドウィン・ D・ライシャワー日本研究所にて、『浮世の漫画』なる著書をもつ同大学准教授アダム・カーン( Adam Kern)の講演を聞く。演題は “Dirty Sexy Haiku: Bareku and the Perversification of Haiku.” メインタイトルの「卑猥なる俳句」はサブタイトルの「ばれ句」を指す。京都新聞記者を務め、京都大学研究生だった経歴もある著者は、近くペンギンから俳句アンソロジーをまとめる予定とか。

http://www.fas.harvard.edu/~rijs/programs/forum.html

講演の内容は、当初こそ、知性の殿堂の中心でかくも俗悪な文化について叫んでもいいのかと他人事ながらやきもきしてしまうほどであったが(小谷真理氏いわく「上品なハーバードであまりにも下品な話題」)、まさしく抱腹絶倒の面白さだったのだから、もう誰にも止められない。「まま事は蜆貝に唐辛子」に始まる数々の名句(迷句?)を戯作伝統から考える視点もさることながら、何より、おそらくは日本語で聞いてもあまりピンとこないであろう作品群に絶妙な英訳が付されたときの衝撃が強烈であった。 ハイカルチャーの俳句(High-ku)があるいっぽうローカルチャーの俳句(Low-ku)もふまえなければいけないとする、それ自体が洒落っ気と理論的野心に満ちたスタンスには、ほとほと感嘆した。
 7時よりギルモア邸ディナー。コロンビア大学で英国史を教える奥方デボラ・ヴァレンツの手料理。同夜のゲストはハーバード大学アフリカ系アメリカ文学専攻教授のワーナー・ソラーズ。少数民族アメリカ文学を長く研究し、あまりに混血が進んだため白人として通ってしまう主体をめぐる「パッシング」 ( passing)の主題の大御所ソラーズは、著書だけを読む限りは人種不明に見えるぐらい少数民族の苦悩と錯綜した運命を熟知する人物であり、我が国でも多くの若手研究者に影響を与えているが、会ってみるとはたして純然たるドイツ系白人であった(ギルモア夫妻は純然たるユダヤアメリカ人である)。目下の仕事は、新しいアメリカ文学史論集の編纂と戦後ドイツにおけるアメリカ占領期の精神史研究。とくに後者は、平野共余子氏の名著『天皇と接吻』を彷彿とさせるプロジェクトで、いまから楽しみだ。

4月 25日(土曜日)

午前 11ごろより、家からさほど遠くないマウント・オーバーン墓地へ、スーザン・ネイピアの墓参りに同行。

Mount Auburn Cemetery
両親ともにハーバード大学教授というスーザン自身の家族の墓地も立派であったが(「ネイピア」というのは離婚した前夫の名前にすぎず、ここには父方の「フェルプス」家、母方の「シアーズ」家一族が葬られている)、彼女が誘ってくれた理由のひとつは、ここにアメリカ文学史・文化史に残る人々が数多く眠っているからだ。墓地というよりはあたかも広大な自然公園のごとき空間を散歩しながら、 19世紀を代表する大詩人ヘンリー・ワズワース・ロングフェローや、かの名探偵シャーロック・ホームズの部分的モデルになったとも言われるオリバー・ウェンデル・ホームズ、混血黒人女性奴隷から身を起こした作家ハリエット・ジェイコブズらの墓に訪れる。途上、電信で著名なサミュエル・モールス一族の墓も。しかし何より強烈だったのは、 19世紀超越主義思想家にして米国フェミニズムの走りともいわれるマーガレット・フラーからその末裔の建築家・技術者にして SFとも縁の浅からぬ(ドーム都市!)バックミンスター・フラーに至るフラー一族の堂々たる墓碑であった。

  7時よりネイピア邸ディナー。同夜のゲストは児童文学とともにファンタジーにも造詣の深いスーザンならではの人選で、作家のキャサリン・ラスキーと映画監督のクリストファー・ナイトの夫妻、日本語学者ウェス・ジェイコブセン、日本研究者エレン・ウィドマー、それに在外研究中のルイス・キャロル研究者夏目康子の諸氏。ディナー後半、スーザンの提案でひとりひとりが「最初に印象深かった児童文学」を挙げていったのだが、このとき意外な作品も数多く言及されて、トークは最高潮を迎えた。この尺度で思い返すと、小谷真理氏の場合に『まぼろしの白馬』になるのは当然として、わたしの場合など『長靴下のピッピ』になってしまうのだから。




3. ウィリアムズ大学講演

4月 26日(日曜日)


スーザンの車でローガン空港へ送ってもらい、 AVISにてレンタカーを借り(一応ポンティアック)、一路マサチューセッツ州西部のウィリアムズタウンへ。空港では、入国のときユナイテッド航空の手荒な扱いのため蝶番がおかしくなったスーツケースを修理に出すべく交渉するという急務もあったため、オン・ザ・ロードへの出発は少々遅れて午後二時頃。今回の招聘者はウィリアムズ大学准教授で、わたしとは日本 SF研究論集 Robot Ghosts, Wired Dreamsミネソタ大学出版会、 2007年)の共編著のあるクリストファー・ボルトン。彼には現地に入ってから連絡する予定が、ウィリアムズタウンはソフトバンク系携帯の通じない僻地であったため、同地の大学図書館へ押し入って電話を借りる。 ぶじ連絡がつき、同地に住み同大学で教えるSF作家ポール・パークを交え、隣町のノース・アダムズのフランス料理店「グラマシー・ビストロ」で夕食。クリスと同じく、ポールもまた、両親がウィリアムズ大学の教授で生まれたときからウィリアムズタウン(周辺)で育ったという。日本ではなじみがない町かもしれないが、この町はずれに聳えるグレイロック山こそは、かのハーマン・メルヴィルが『白鯨』を執筆中、その山の背の輪郭に巨鯨の姿を幻視したという、いわくつきの名所だ。
< SFアイ>編集長スティーヴ・ブラウンの一押しでティプトリー賞候補にもなったパークは、昨年も国際幻想文学大賞受賞の座を村上春樹(『海辺のカフカ』)に譲ったが、かねてより彼の大ファンだった小谷真理氏は、ほかならぬご本人から最近作をワンセット贈呈されて大感激。


4月 27日(月曜日)

 ウィリアムズ大学にて講演第3弾。夕方 7時より、 於・グリフィン・ホール第6会議室。
演題“Poe's Gothic, Rampo's Decadence: SakateYoji’s ’The Attic’ and the Tradition of Urban Voyeurism”

いま一応「大学」と訳したが、ブランダイスやタフツと異なり、これはいわゆるリベラルアーツ系の「カレッジ」。日本的常識からいうと一般教養課程だけが独立した教育機関で専門課程や大学院がないため、教授陣はかえって自分の時間に恵まれているが、しかし一番の特色は「リベラルアーツ」を「一般教養」と直訳するだけでは伝わらないような名門としての「誇り高さ」だろう。とくにこれらのカレッジを卒業してから、アイヴィーリーグ系名門大学の大学院へ進学しエリート街道を昇りつめて行くというシナリオは、日本ではいまひとつ見えづらい。そしてリベラルアーツ系代表としてたえずアマースト大学と首位争いしてやまないのが、ウィリアムズ大学なのである。
何よりびっくりしたのは、事前に司会のクリストファーが設けてくれたタイ料理店「スシ・タイ・ガーデン」での夕食のさい同席した女子学生三名のうち、アジア系とアフリカ系アメリカ人はじつに日本語が堪能で、そのうちアフリカ系のヤスミン・サーカ君がコミケに出しても、いやプロデビューしてもおかしくないほどの日本的美少年マンガを描きためていたことだろう。スケッチブックを見せてもらったのだが、色彩も鮮やかなばかりか、吹き出しにも達者な日本語が躍る。ブラインドテストすれば、著者が黒人少女であることなどまったくわからず、ごくごくふつうの日本人腐女子としか思われないほどの完成度であり、小谷真理氏とは大いに盛り上がって、今夏の来日の折には再会を約した模様。


そんな学生たちに加え、ウィリアムズ大学名誉教授のクリスの両親や東アジア研究の教授陣、前日に会った作家ポール・パークら、四十名ほどが会場であるグリフィン・ホール第六会議室に結集。この会場は教授会などで使用するそうだが、じつに伝統的なコロニアル・スタイルの建築で、慶應義塾でいえば三田演説館を思わせる。記念碑には、いかにしてアマースト大学と因縁のライバル関係になったか、そのいきさつまで記されている。
講演では、 今年のポー生誕 200周年を記念し、ポーの「群衆の人」から江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」や安部公房の『箱男』に連なる 文学的系統がいかに坂手洋二の戯曲『屋根裏』にまで流れ込んでいるかを語る。この話題であればベンヤミン的遊歩者から現代日本的社会的引きこもりまで広くカバーできるため、これまで何度か乱歩をめぐる国際会議で加筆改稿してきた草稿である。今回は折よくクリスがスタンフォード大学大学院に提出した博士号請求論文を単行本『崇高なる声――安部公房に見る小説の科学と科学の小説』Sublime Voices: The Fictional Science and Scientific Fiction of Abe Kobo( Harvard UP, 2009)を刊行したばかりだったので、同書のポー再定義も盛り込む。彼はハーバード大学の学部時代は コンピュータ・サイエンスを学んでいるから、いま文学と科学の二つの文化を論じるにはうってつけの人材だ。

Browse Subjects, Series, and Libraries | Harvard University Press

映像としては、実相寺昭雄監督版(1994年、乱歩生誕百周年記念作品)ではなく、田中登監督版(1976年版)の英語字幕つき『屋根裏の散歩者』(英題 “The Watcher in the Attic)を中心に討議したため、ポール・パークを中心にした質疑応答では、日本家屋の特異性に関する問題や(同作品において主人公の寝起きする押し入れは英語版では便宜上 “closet”と訳されており、そのため昨今のイヴ・セジウィックらのクイア・リーディング理論に啓発された乱歩研究者たちの格好の素材になっているのだが、もちろん押し入れとクロゼットは同義ではない)、屋根裏から覗き込まれている宮下順子演じる貴婦人が石橋蓮司演じる屋根裏の散歩者を鋭く覗き返すという構図に、大方の関心が集まる。ご存知のように、乱歩原作にはそんな場面はなく、これはあくまで田中監督の独創的演出にすぎない。だが、たしかに窃視と逆窃視の力学は安部を経て坂手においても新たな展開を見せており、討論は電脳空間漬けの 21世紀的現実の本質をめぐる建設的な討議へ発展した 。




4.ウェズリアン大学講演

4月 28日(火曜日)

 ウェズリアン大学講演にて講演第4弾。午後4時半より、 於・マンスフィールド・フリーマン東アジア研究所セミナー室 。
演題"Full Metal Apache: on the Post-Cyborgian Identity of Japanoids"


招聘者の中村美理さんとは、 2002年、前掲クリストファー・ボルトンとともに< SFスタディーズ>日本 SF特集号を共同編集したさいに、論文寄稿でも小谷真理論文英訳でもお世話になったことで知り合い、同年夏に西海岸はサンフランシスコに近いサンノゼにて世界 SF大会コンノゼが行われたとき、当時スタンフォード大学大学院で夢野久作を研究中だった彼女の車で大学周辺を案内してもらったことがある。その後、美理さんが東海岸コネティカット州のウェズリアン大学へ就職し、探偵小説の授業やサイボーグ的主体形成の授業も担当するようになったため、今回の訪問が実現した。

Article Abstracts: #88 (Japanese Science Fiction)

同大学で驚いたのは、これまでペーパーを読みあげて質疑応答をこなしていればいいだけの講演とは、一味も二味も異なっていたことだろう。われわれが午後二時半ごろ、指定されたフィスク・ホールに到着して待っていると(お茶ばかりではなく膨大なお菓子が随所に随時供給され、みんながたえずパクついているのもこの大学だけの特徴だ)、いきなり美理さんに、まずは三時から始まる授業でワークショップ的なことをやるから参加してほしい、といわれる。以前、スーザンのタフツ大学の授業も参観したことがあるので、それと同じく、求められたら簡単にコメントすればいいのかと思ったら、むしろこれは講演そのものの準備運動みたいなものだという。
当初はどういうことかわからなかったが、そういえば今回廻る六大学のうちウェズリアン大学だけは、講演要旨をあらかじめ広く宣伝するからということで、半年ぐらい前にタイトルのみならず告知用テクストを要求してきたことがあった。
http://www.wesleyan.edu/east/mansfieldf/colloquium.html
その関係で、美理さんのゼミ生たち( 20名ほど)はみんなあらかじめ『攻殻機動隊』を観て拙著 Full Metal ApacheDuke UP, 2006)の主要チャプターを熟読するのが必須の課題になっていたらしい。かくしてのっけから、わたしの概念装置「ジャパノイド」「ミカドフィリア」「クリエイティヴマゾヒズム」などを 再確認する討議が交わされる。みんな利発な学生たちで、こちらが本番で展開する予定のネタにも踏み込んでくるため、「それについては講演本体で説明するから」と何度も断らざるをえなかった。
授業直後より、いよいよマンスフィールド・フリーマン東アジア研究所における本番。セミナー室は立ち見が出るほどで、 教授陣のみならず若い学生たちも多く、50~60名ほどが参集。


拙著の刊行は 3年前の 2006年だから、以後のさまざまな展開をふまえつつ、表題論文にところどころ即興的なアレンジを加えていく。日本アパッチ族文学史については、 1996年のニューヨーク日本協会講演や2001年の UCLA講演などでもくりかえし語ってきたが、そこで中心に据えている環太平洋的混淆主体の問題は、最近ではジェラルド・ヴィゼナーの「ポスト・インディアン」とも関連して、さらには史上初の環太平洋的なアメリカ合衆国大統領の誕生とも連動して、また新たな意義を帯びるようになってきたからだ。討議対象はもちろん『鉄男 2: Body Hammer』と『夜を賭けて』。
事前の授業であれだけ質疑応答があったにもかかわらず、講演後には一般聴衆から質問が相次ぎ引きもきらないので、司会の中村美理さんはしかたなく、最後の一名には時間切れのため諦めてもらったほどである。中には、フランス系の学内在住作家ジム・シャルボノー氏のように拙著にサインを求めてきた向きもあり、歓待ぶりに驚く。

美理さんの手配で、そのあと学内で行われたレセプションには東アジア学科のみならず英文科自体からも出席者が多く、前述したタフツ大学の上西さんと親しい日本史専攻のウィリアム・ジョンストン教授や我が国のホーソーン学会でも著名なアメリカ文学専攻のジョエル・フィスター教授と歓談。同大学の名誉教授で文学と歴史学の融合を図った先駆者リチャード・スロトキンはいまも同地で研究を続けており、尊敬を集めているらしい。二次会はホテル近くのバーで、美理さんに加え彼女と同年代の若手研究者たち数名と、真夜中までワイン。 宿はイン・アット・ミドルタウン。


5.イエール大学講演

4月 29日(水曜日)

 イエール大学にて講演第5弾、午後4時半より、於・ 大学院棟 217B 教室。
演題“Planetary Coincidences: Melville, Kubrick, Komatsu

 今回の講演旅行では、いちばんの山場であった。招聘者はこれまでニューヨーク大学立命館大学の乱歩会議などで同席することの多かった日本研究者で、現在イエール大学東アジア学科准教授のクリストファー・ヒル。彼はコロンビア大学に提出した米仏日三ヶ国の近代国家としての成立と国民国家の諸問題をめぐる博士号請求論文をつい最近、刊行したばかり。
http://www.newasiabooks.org/node/7847
講演では、ブランダイス講演の草稿をもとに日本関係の比重を増やして書き換え、キューブリックの『博士の異常な愛情』に加えて、以前はさほど語らなかった小松左京の『復活の日』のプロットを説明し、全面核戦争の恐怖がいかに醸し出されるか、その結果、いかにわれわれが「惑星思考」を深めることになるかを実証した。

しかし何より印象的だったのは聴衆の意識が高く、「惑星思考」の提唱者ガヤトリ・スピヴァクのみならず環境批評家ロレンス・ビュエルや比較文学者ワイ・チー・ディモクらによる批判的再検討を前提に、惑星思考とエコ・テロリズムをめぐり、たいへん充実した質疑応答が交わされたことである。日本映画専攻のアーロン・ジェローからはヴィゼナーの『ヒロシマ・ブギ』における黒沢明映画の影響が問われ、英文学・比較文学専攻のアーラ・アルリーズからは報復攻撃の論理が白鯨サイドの復讐論理と矛盾しないとしたら、核の想像力もまた環境批評というより一種のネイチャーライティングとして読み替えられるのではないかという、じつに鋭利な見解が提供された。

最後は英文学、比較文学文化人類学、映画研究の教授陣とインド料理店「ターリ」で打ち上げ。文化人類学者で日本野球に造詣の深いウィリアム・ケリー教授とは、 2006年のブラウン大学におけるシンポジウムで同席して以来だから、 13年ぶり。ほかに能楽にめちゃくちゃ詳しく日本語に呆れるほど堪能な黒人助教授レジナルド・ジャクソンがいてびっくり。宿泊はマリオット・コートヤード。]



6.アマースト大学講演
 
4月 30日(木曜日)

イエール大学大学院生ワークショップ。正午より、於・スターリング記念図書館。

朝 10時に クリス・ヒルがキャンパスを案内してくれるというので、稀覯書の集まるバイニッキ図書館、これからワークショップの行われるスターリング図書館を見学。のち、小谷真理氏は締切の原稿があるため大学院棟のクリスの研究室で仕事モードに。わたしとクリスはワークショップへ向かい、セミナー室へ配達されたサンドウィッチとドリンクを全員、手に取りながら、惑星思考を例証するのに、まずはミラード・ウェブ版の 1926年度版サイレント映画『白鯨』や劇団燐光群の 2001年度版舞台『白鯨』を中心に解説。ウェズリアン大学の授業と同じく、ここでもクリスのゼミ生全員が拙著を宿題で読まされて来ているうえ、ほかならぬイエールなので「人種性の記号表現としてのフェダラー」とか「濫喩としての惑星思考」とか口走っても、院生たちはどんどん理解してしまう。惑星思考とディアスポラの関連や、そもそも日本人はどうしてこれほど破滅物語が好きなのかという話題など、ここでも有意義な討議が交わされた。初訪問だったが、ニューヘイヴンの町並みにもオックスブリッジ風の大学環境にも感銘を受ける。
1時半、ワークショップを終えるやいなや一路アマーストへ車を飛ばし、 3時半到着。

アマースト大学にて講演第6弾。 4時半より、チャピン・ホール 204教室。
演題“Poe and Rampo

 ツアーの最終講演は小谷真理氏の講演 “Doll Beauties and Cosplay: on Kamikaze Girls”とジョイント。このため招聘者にして慶應義塾での教歴もある同大学講師マイケル・キージングは、われわれの講演会全体を「環太平洋的想像力――東西の理解と誤解」なる会議風のタイトルで括ってくれた。

http://events.amherst.edu/2009/04/30/785/

ウィリアムズ大学の宿命のライバル、アマースト大学は、我が国では何よりもまず、かの同志社大学創設者・新島襄の留学先として、かつ新島襄コレクションをもつ日本研究の拠点として著名だが、最近では女性とジェンダー研究所( WAGS)が創設されてカリキュラムも刷新されている。したがって今回の招聘も、ライティングを教えるマイケルと関わりの深い WAGSの主催によるもので、司会も同研究所教授ミシェル・バラール。

当初は、いかに東西文化の交流というか駆引を扱うとはいえ、われわれふたりの話題がちがうのでどうなることかと思ったが、ウィリアムズ大学のときとは異なり、ひとまず実相寺監督版の『屋根裏の散歩者』 の討議から始めたところ、主演の三上博史が押し入れの中で化粧する場面に言及したことにより、期せずして後半、小谷氏が『下妻物語』を中心に展開したコスプレ論とも上手く連動することになった。これはまったく計算したわけではなくて、偶然の結果である。


質疑応答では英訳タイトル “The Stalker in the Attic”がいかに決まったのかという問いに対し、黒田藩プレス版『乱歩読本』 The Edogawa Rampo Reader (2008) の成立について説明するところから始まったが、最終的には日米ロリータ、ないしゴスロリ文化の現状や、こうしたファッションにおける性差戦略、体育会系文化との相違などをめぐる討議が小谷氏を中心に盛り上がった。聴衆はいわゆる五大学連合、すなわちアマースト大学のみならずマウントホリヨーク大学、スミス大学、ハンプシャー大学、マサチューセッツ大学のすべてから 20名ほど来場していたが、中にはわれわれ以上に日米文化混淆の細部にまで精通した若手研究者がいて有益な見解を述べてくれた。
のち、マイケルと三人で町の和食店「ありがとう」へ繰り出し、久々に寿司を堪能。これで講演旅行はすべて終了した。楽しかったが強行軍のオン・ザ・ロードであった。以後は丸三日間、マウントホリヨークに位置するキージング邸へ転がり込み、 骨休め。もちろん元夫人ミカさんや愛娘ウミちゃんなどキージング一家とも旧交を温めるが、それはまた別の物語となる。