#21-5. 是枝裕和最新作『誰も知らない』はファンタジーか?

 小谷さんはこのところ荒戸源次郎監督の『赤目四十八瀧心中未遂』も是枝監督の『誰も知らない』もファンタジーとして堪能しちゃったみたいですねえ。製作者側はみんなハードコア・リアリズム映画と信じてるはずだけど、たしかに『誰も知らない』は、いささか男性関係にだらしのないお母さんのせいで最初から戸籍なしで育った子どもの兄弟姉妹四人が主人公だから、一種の妖精ものにも見えるかもしれない。途中でお母さんはまた新しい恋人を作って出ていって、戸籍のない子供たち四人だけで凄絶なサバイバルが展開される。絶海の孤島ならぬ都市のどまんなかでくりひろげられるロビンソン・クルーソー物語というか。
 誰も知らない子どもたちというのは、いわば透明人間なんですね。アメリカなら「見えない人間」といえば黒人をはじめとする人種的少数派のことになるけど、日本ではいまや、まったくべつの家族像を中心に新たな意義を帯びるようになっている。しかも、是枝監督十八番のドキュメンタリー・タッチで描かれれば描かれるほど、かえって幻想性が増していく構成は、たしかに特徴的だったと思う。

小谷赤目四十八瀧心中未遂』は、正真正銘のファンタジーです。現実があんなに美しいわけがない(笑)。それに、わたしとって、ディープ関西は、ファンタジー世界だもんね。『誰も知らない』は、子供自体が、ファンタジー世界を生きているから、子供たちをそのままリアルにとれば、どこかでファンタスティックなものが浮かび上がってくるのだと思う。『誰も知らない』は、ずーっとあとにひく映画で、なんていうのかな、断片的な光景があとから次々とよみがえってきて、たまらなくなる。自分だったら、どうやって生きていくんだろうか。まるで、むかしの『十五少年漂流記』の都会版ですね。『蠅の王』とか『バトル・ロワイヤル』のようにはならないんだけど。
 いちばん印象的だったのは、窓にカップラーメンの殻をならべて、それを鉢代わりに雑草を育てていくシーン。そんな子供たちの光景を映し取る、あざといカメラワーク。忘れられないですね。
 それにしても、リアルとファンタジーが反転して見えるのは、手法のせいなのか、扱っている素材のせいなのか、なかなかスリリングな興奮がありました。

 マイケル・ムーアだって、アカデミー賞受賞に輝いた『ボウリング・フォー・コロンバイン』では、ドキュメンタリー・タッチでさんざん法螺話(ホークス)をかまして、ホントのようなウソのような映像を構築していますから。たしかに9.11同時多発テロからこのかた、現実を現実として映像化する手法自体の物語学もまた、変質し始めたのかもしれません。

5/12/2004