#21-4.ドキュメンタリー映画祭のマイケル・ムーア

小谷 最終日はこのデモの衝撃があまりにはげしかったので、デューク大学編集部のレナルズ・スミス夫妻のお誘いもあり、ちょうどダーラムで開催されていたドキュメンタリー・フィルム・フェスティバルで息抜きしよっかと思ったら、工場労働者の問題やら水問題やら現代社会の暗黒面を暴いた映像二本にブチ当たる始末。いやもう現実は見たくないよ〜っていうか、だからわたしはファンタジストなのか(笑)
 『バカでマヌケなアメリカ白人』のマイケル・ムーア監督のパネルが唯一の救いって感じでしたね。「おれたちのアメリカは、もう終わっているぜ」と語る監督は絶好調。
てなわけで、ぐうぜん路上で激写したマイケルの写真です。彼って体型からしてオタクでしょ。ピージャクと兄弟みたいでしょ。話聞きながら、ドキュメンタリーって、かなり深刻でシリアスなスタイルを使っているものが多いけど、その約束事に挑戦するっていうのは、どういうことなのかってことを考えさせられたなあ。ムーアの現実のつかみ方は、「オレは、アメリカをこう見てるぞ」という主張を通して、アメリカの現実感からアメリカの現実を逆に映しだしていくやり方に見えて、遊戯性があっておもしろかったし。いい意味でポストモダンを経由してきたオタクの知恵がみなぎつているんだと思う。そういえば、彼、わたしが外でばったり出くわしたとき、あわててカメラを出してかまえたら、怒るかなと思ったんだけど、別にそうでもなかったな。しかも、もたもたデジカメの電池を変えるのも、なぜか待っててくれて。なんだかすごくうれしかった。

 あれは4月3日の土曜日の夕方でしたね。マークの寛大なる手配により運良くチケットを入手できたんで、ダイナンと一緒にマイケル・ムーアの出るパネル「浮動票としてのドキュメンタリー」を傍聴することができました。デューク大学政治学教授デイヴィッド・パレスが司会を務める中で、ジョージ・バトラーら実力派映画監督たちと席を並べたムーアは「必ずしもブッシュ批判ばかりを先行させたいわけではなく、あくまで楽しめる映画を作りたいだけだ」と強調し、殺し文句が「教育ってのは、そもそもテストのためじゃない、人生のためにこそあるべきものだ」。
 いずれにしても、こんな惨憺たる時代に、桐野夏生の『OUT』がエドガー賞候補になったのは、フェミニズム的にも興味深いんじゃない? 惜しくも受賞は逃したけど、あれって、女たちが「男の死体を切り刻むのは抵抗ないけど、女の死体を切り刻むのはおぞましい」って感情がじつによく表現されてたと思う。年末のサンディエゴでラリイ・マキャフリイ行きつけのバーで飲んだ時、シンダ・グレゴリーが「『OUT』というのを読んだけど素晴らしい」と言っていたので、おおアメリカでなかなか広く読まれているじゃないか、と実感したものですよ。わたしはテレビドラマ化のほうは、いまいちノレなかったんだけども。

小谷 桐野さんの成功は、今の日本のエンターテインメント作品がいかに洗練されているかの証左ですね。洗練とくれば、女性です(笑)。垢抜けといえば、それも女性だと思うな。あとは、日本のエンターテインメント界で、女性クリエーターか、ちゃんと予算がとれるようになれば、もっとすごいことになるんじゃないかな (笑)
映画といえば、最近では巽ゼミ七期OGの西川朝子ちゃんが製作デスクを務め、是枝裕和監督が実話をもとにした『誰も知らない』は印象に残る作品でしたね。今年のカンヌ国際映画祭では、『イノセンス』とともにコンペ出品が叶ったとか。