#23-4. オキナワはいつも真夏

 元旦に帰国したら、膨大な卒論チェックが待っていました。今年は卒業予定者が4年生、5年生合わせて12名いるんで、ほんとうに時間がかかりましたよ。そのこともあって、以前より琉球大学ではアメリカ研究センター長を務められている山里勝巳先生から依頼されていた講演「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」は、卒論ラッシュ直後の息抜きの意味でも、絶対に入れようと企んでいたわけです。

小谷 二年前のネイチャーライティング系国際会議のときには、あいにく雨に降られましたからね。首里城観光して、国際通りで「ちゅらさん」に出てくるエプロンなんかをショッピングした記憶しかない。
 でも、今回はカラっと晴れて、それこそ観光ポスター顔負けの沖縄でした。メディアに氾濫する沖縄のポスター写真というのは、どうせ観光客目当ての演出とばかり思ってたら、一気に晴れてみるとホントにああいう完璧なリゾート風景が惜しげもなく拡がっているんでびっくり。「青い珊瑚礁」はウソではなかった。どこまでも透明な海、浜辺ではイルカも泳いでいたし、目の前を黄色い熱帯魚が泳いでいるのがみえるんですよ〜。水族館以外でああいうのをみたのは、はじめてです!

 わたしは15年ほど前の日本アメリカ文学会全国大会が琉球大学で開かれたときにも雨に降られてるし、2年前の国際会議のときにも小雨が止まなかったしで、毎回ツイてないなあ、沖縄とは相性が悪いのかなあ、とがっかりしてたんですが、こんどばかりは心がけがよかったのか、お天気に恵まれましたね。

小谷 とくに教授の講演の当日には、山里先生のクルマで古琉球時代の遺跡である中城(なかぐすく)城跡へ行ったり、翌日には、山里先生の同僚である石原先生のクルマで恩納村ルネッサンス・ホテルでブランチのあと、サンゴ礁も見える文字どおりインディゴ・ブルーの浜辺を歩いたりしたのは、ほんとうに感動的でした。

 恩納村にはむかしのくらしを再現したというテーマパークの琉球村があって、ここもたいへん楽しいところでしたね。琉球の旧家をそっくりそのまま温存しているほか、キムジナーやシーサー、サーター・アンダーギーから三線ライヴ、ニライカナイ劇場の踊りまで、琉球文化のすべてが詰まっている。
 とくに伝統芸能のエイサーを初めて生で観て、道化役ながら全体を取り仕切る京太郎(チョンダラー)の活躍に圧倒されました。このほか、ハブとマングースの対決ショウというのもかつて実演されていたのが、惜しくも最近、動物愛護協会の抗議でとりやめになったそうだけど、小谷さんはハブをたくさん写真に撮ったみたいで(笑)。

小谷 ハブの背中の模様は、大島紬の模様に似て居るんですよ。ああいう幾何学模様ってどういうふうに発想されたのかなぁって長いこと疑問に思っていたので、なるほどって思った。ハブは、けっこう危険な毒蛇だけど、なんで居る島と居ない島があるのか、という説明も聞きました。海底に沈んだことのある島ではいないのだそうです。おもしろいですよね。

 つぎに行ったのが読谷村(よみたんむら)。山里先生は、巽ゼミ第11期のゼミ代で、現在サンディエゴ留学中の山内祥之君のお父さん、同じ琉球大学教授の山内進先生と幼なじみで、読谷村は山内家ゆかりとのことなのですが、今回のいちばんの目的は、陶芸作家たちの住む巨大な陶芸村「やちむんの里」の中でも、国際的に著名な山田真萬(しんまん)氏の工房を訪問することでした。タマゴをモチーフにした独特な陶芸がところせましと並ぶ居間は、ちょっとした美術館の趣でしたね。

小谷 山田さんの陶芸は、琉球の風や波が描かれているような模様で、物静かだけど激しさを秘めている、そんな印象をうけました。オーストラリアの陶芸雑誌<セラミックス>54号(2004年)でも、山田作品が巻頭論文“Quiet Stillness”で大々的に紹介されている。なぜ「卵」がモチーフになるのかうかがったところ、どこでも転がっていかない微妙な球形であるという、卵が本来持っている芸術的なかたちはむろんのこと、中に入っているのものが未来であり、それは希望の普遍的象徴としての球形なのだと仰ってましたね。そして不安がないのだと。なかなか哲学的なお話をうかがわせていただきました。
 ここで山田作品のひとつであるコーヒーカップを山里先生にいただいたのですが、素朴でぶあつい作りなのに、なぜかとても軽いんです。模様は、風にも波頭にも、海にうかぶたくさんのカヤックにも見える。これで飲むコーヒーは、最高の贅沢ですね。 

1/26/2005