#24-1. おたくとバーのママ?

巽孝之:今日初めて「あかね」に来ましたが、このお店を実質上取り仕切っている詩人の究極Q太郎さんとは面識がありませんが、「だめ連」の方々とは数年前に接触があったのですよ。あれは1998年頃ですか、小谷さんが池袋のジュンク堂で「だめ連」と対談した後、2次会で神長恒一氏にお会いしました。(本日の当番である)ぺぺ長谷川氏とは初対面ですね。
 日本におけるSFファンジン、あるいはファンダムは柴野拓美さんの主催する日本初のSF同人誌『宇宙塵』が創刊される1957年から発展していくのですが、私自身の体験では60〜70年代、渋谷の道玄坂にあった「カスミ」という喫茶店で「一の日会」という例会が開かれていたのが象徴的です。毎月1のつく日にSF好きが集まるというもので、のちにその喫茶店自体がツブれてしまいましたが、今日でいうと、スパゲッティで有名な「壁の穴」のあるあたりの位置じゃなかったかな。プロのSF作家である平井和正さん、豊田有恒さん、横田順彌さん、川又千秋さん、SF翻訳者としても著名な伊藤典夫さん、鏡明さんといった面々が常連でした。しかし、SFの会合というのはだんだんSFの話をしなくなっていく傾向があるため、1970年前後に、こんどは同じ道玄坂にあった「ノーブル」という喫茶店で「SFだけを語る会」というのが始まり、これは毎週木曜日に集まるので「木の日会」と呼ばれます。ここの常連には、お亡くなりになりましたが超常現象研究で著名な大田原治男さんや現在と学会の志水一夫さん、SF作家の夢枕獏さん、音楽家難波弘之さんといった方々がおられた。じつは、わたしが定期的にSFの会合に足を運ぶようになったのは、この木の日会が最初で、高校のガクラン着たまま毎週木曜日の夕方になると出入りしていたものです。いまにしてみると、あのあたりはいわゆる円山町周辺で同伴喫茶全盛期でしたから、喫茶店に出入りするというだけで立派な不良高校生だったわけだ (笑)。死語かな、これは(爆笑)。この会合の若手メンバーで1972年ごろだったかな、NHKテレビの人気番組「十代とともに」のSF座談会に出演したこともありましたね。
 その後、1970年代後半からは、同じ「カスミ」でスタートしたものの、やがて同じ渋谷は渋谷でも宮益坂の「ウエスト」という店に拠点が移る「金曜会」という、もう少し若い世代による会合が立ち上がります。そのカフェは当時日本各地に分散していたSFマニアの出会いの場となって、多い時は40名ぐらい集まりました。特撮、アニメ、SF、映画について語り合いましたね。当時そういうことが話せる人が身近にいないという状況があって、地方から上京してはそこで待ち合わせするファンも多く、皆そこで日頃の飢えを満たしていました(笑)。
 プロ予備軍もたくさんいて、のちにアニメ監督になった出渕裕さんやサイエンス・ライターになった金子隆一さん、鹿野司さん、作家になられた狩野あざみさん、翻訳家になられた小川隆さん、山岸真さんも常連でした。神奈川県平塚市在住だった小谷真理さんと最初に出会ったのも、この会合ですね。まだカスミでやっていた時代だったかな。
 この金曜会にわたしが初めて出席したのは1979年の5月ごろなのですが、しょっぱなから衝撃を受けたので、そのときのエピソードを一つ御紹介しましょう。店に入ると、明らかにいまでいうおたく体型の小山のように大きな男性と、バーのママかと見まごうぐらいに着飾ったきらびやかな格好の女性が談笑しているんです。明らかにそぐわないカップルなので、「何だこれは?!」と思っていたら、バーのママ風に見えた美女は実は某男性SFファンのコスプレだったんですね。79年頃の話ですが、いまふりかえってみると、それから四半世紀を経て21世紀を迎えた現在のおたく立国日本の運命を占うには、たいへんおもしろい取り合わせではないでしょうか。ちなみにこのときのコスプレの彼は、今はゲーム雑誌の編集をやってるらしいけど。