#23-2. アトランタの秋

小谷 それにしても、教授だって11月には、北米のアメリカ学会年次大会でとつぜんアトランタ出張が入ったんでしたよね。『風と共に去りぬ』観光もできないくらい、会議漬けだったとか。

 そうそう、一昨年のあのころは、国際ペン大会でメキシコ行ってたわけですが、昨年2004年からはアメリカ学会の機関誌『アメリカ研究』の編集長を任されたので、アメリカ側の主要研究誌<アメリカン・クオータリー>編集長のサザン・カリフォルニア大学教授マリタ・スターケン氏からお誘いがあり、年次大会では世界各国のアメリカ学会から集う「学会誌編集長フォーラム」というのがあるからそれに出ろ、ということで派遣されました。スターケン教授といえば、彼女が1997年に出した著書『アメリカという記憶―ベトナム戦争エイズ、記念碑的表象』(Tangled Memories)の邦訳がちょうど未来社から出たばかりで、この原著の影響は、ほぼ同じ文化史的関心を共有する生井英考氏の力作『負けた戦争の記憶』(三省堂書店、2000年)にも活かされていたのが、記憶に新しいところです。

アメリカという記憶―ベトナム戦争、エイズ、記念碑的表象アメリカという記憶―ベトナム戦争、エイズ、記念碑的表象
マリタ スターケン Marita Sturken 岩崎 稔

未来社 2004-11

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 わたしは北米でのアメリカ学会に参加するのは初めてだったのですが、今回、2004年11月11日から14日まで、霧の垂れ込めるジョージア州アトランタはハイアット・リージェンシーで、大会テーマを「交差する文化」に据えた会議はたいへん充実したものでしたよ。
 アメリカ研究学術誌編集長たちのフォーラムは、11月11日(木曜日)にディナーを兼ねた懇親会がラックスというレストランで行われ、11月12日(金曜日)早朝から全員集合の自己紹介を兼ねた打ち合わせ、いよいよその午後に長丁場のラウンドテーブルに入るという、入念すぎるほどに至れり尽くせりのもの。これに、アメリカ学会英文号編集委員長の成蹊大学教授・西崎文子氏とともに出席し、有意義な意見交換を図りました。 
 それにしても、これまで日本とアメリカだけを中心に考えてきたから、世界各国のアメリカ研究誌にじっさいに接してみるのは、ほんとうに刺激的な体験でしたね。中には、サンプルをたくさん持ち込んで、タダで配ってくれた国もあったしね。

小谷 SFのファンジンだって、いろんなのがあって、ずらりと並んでると見てるだけでも楽しいもんね。学術誌もコミケの同人誌みたいなもんなのかな。

 学会の会場に設置されたディーラーズ・ルームでは、学術書のみならず学術誌も展示されていたり、時には販売されていたりするという形式だけとれば、SF大会とそっくりなんじゃないかな。とくにわたしは、去る10月には日本マーク・トウェイン協会の英文号<マーク・トウェインスタディーズ>Mark Twain Studiesの創刊号も出したばっかりだったから、ちょうどモティヴェーションが高まっていたころだったんです。
 たとえばハンガリーの雑誌には文学理論家ジョナサン・カラーの長いインタビューが掲載されていたし、ポーランドの雑誌ではエミリ・ディキンソン研究の権威である前掲バートン・セントアーマンドが巻頭論文を寄稿している。イギリスのほうでも文化研究の総本山バーミンガムで新雑誌が創刊され、インディアン文学研究の大御所ルーシー・マドックスが顧問として論考も提供。きわめつけはジョージアならぬグルジア共和国代表が持参した全編キリル文字、いやグルジア文字による雑誌の何とも美しいデザインで、これには一同息を呑んだものです。
 討議のほうも、各国アメリカ研究編集部が相互に連絡を取り続けられるようネットを活用しようという案から、各誌より優秀な論文の候補を推薦して世界水準の年間最優秀論文に賞を出そうという案まで、さまざまなアイデアに花が咲きました(大串尚代氏のレポート「ブラウン通信」も参照)。あとで話すフィラデルフィアのMLAでは、PMLAの担当編集者だったエリック・ワース氏と再会する機会があり、学術研究ならぬ学術誌研究が盛り上がっているようだが、という話をすると、クールな彼はすぐ、MLAの下部組織として1970年代ごろより動き始め、1980年代から本格化した「学術誌編集者会議」(CELJ=The Council of Editors of Learned Journals)なる組織がすでに活動していることを教えてくれましたね。CELJのウェブサイトを見ると、「今月の学術誌」なんてフィーチャー企画があって、じつにカラフルで、学術誌編集そのものを心ゆくまで楽しんでる感じがするんですよ。
 もっとも、じっさいのラウンドテーブルでは必ずしも楽しい話題ばかりではなくて、前掲スターケン教授その他からは、現在の北米自体におけるアメリカ研究そのものがアメリカ批判と見なされ政治的圧力がかかり、きわめて展開しづらくなっているというシリアスきわまりない意見が出され、いったいアメリカはアメリカ以外の国からはどのようなイメージで捉えられているのかという鋭い質問が相次いだのも、たしかです。いまのように北米内部の保守化がエスカレートしているからこそ、北米以外のアメリカ研究にこれまで以上の期待がかけられているんですね。

小谷 お正月早々、いま京都大学滞在中のモントリオール大学教授リヴィア・モネに会ったときも、そんな懸念を表明してましたね。彼女はいろんなことに激怒しやすい人だけど、最近では、フェミニスト雑誌<サインズ>の女性たちが保守転向して困ると。

 去る10月7日に急逝したフランスの脱構築哲学者ジャック・デリダに対する<ニューヨーク・タイムズ>のジョナサン・カンデルによる追悼記事も戦時中の親ナチ派だった盟友ポール・ド・マンとの関わりをスキャンダラスに掻き立てる、いわばカサブタを引っぺがすような保守反動的悪意にみちたもので、カリフォルニア大学アーヴァイン校を中心に署名を中心にした抗議運動が起こっているところです。

小谷 ううーむ。死者にムチうってますね。死んだデリダはいいデリダ、というより、もう怖くない、というのか…。セコい〜。

 そのデリダ回想ウェブサイトには全米の知識人を中心に署名がたくさん集まって、2005年1月24日現在で総数4318にのぼっているけど、とりわけガヤトリ・スピヴァックらと並んでジュディス・バトラーが「どうして<ニューヨーク・タイムズ>ともあろう新聞が、批評的思考がいちばん切実に求められているいま現在、アメリカの保守反動的な反知性主義に肩入れしようとするのか」と批判する声明を発表しているのが印象的でした。イラク戦争を批判したフランスへの態度が、デリダ追悼にも反映してしまったということなのでしょう。