#22-2.ウィリアム・ウィルスン的幻想の一夜

小谷 だけど何といっても近来最も記念すべき事件は、以前から話題にはしてたんだけど、教授と同姓同名でHPも持ってる九州朝日放送のアナウンサー巽孝之さんに、念願のお目もじが叶ったことでしょう(笑)。

 野阿梓氏が、そのために6月25日の晩、天神はダイアモンドビルの「木曽路」なる、しゃぶしゃぶ屋さんを予約してくれて、宴会を張ってくれたんですね。スプラッタ作家の友成純一さんも一緒で。その招待状に記された宴会のタイトルが「ウィリアム・ウィルスン的幻想の一夜」。さすが作家だと思いました。なにしろ巽孝之巽孝之に会うわけですから(笑)。

小谷 教授は、いったいどうしてもうひとりの巽孝之氏を知るようになったんだっけ?

 あれはかれこれ10年前の1994年5月、それこそ熊本大学黒髪校舎で日本英文学会全国大会が開かれた時に、懇親会で富山太佳夫さんから「ホテルのテレビをつけたら、おまえとまったく同姓同名のやつが出ていた」と教えられたんですね。あいにくわたし自身はその映像を観てはいなかったんですけど、以後、何となく気になっていたんです。野阿梓氏によると「オレはそれよりずっとまえに、同姓同名のアナウンサーがいるぞ、って教えてやったはずだ」ということになるんだけど、当時はまさか、と思って、冗談だと思いこんだのかも。
 そのあとインターネットがずいぶん進化して、たとえば自分の名前で検索かけると、彼の業績のほうもいっぱい出てくるわけですよ。音楽ファンでSFも好きらしい。そのせいか、げんにわたしの友人の中にはその検索結果をもとに「最近、DJも始めたの?」とか訊ねてくるのもいるんで、これはいちどは現物に会ってみたいと思うようになったんです。

小谷 そしたら、メールをもらったんでしょう?

 そうそう。きっかけは、わたしが大串尚代君の結婚後披露宴の祝辞をCPAにアップしたことですね。これを見た彼が、ゼミのページのメルアド経由で手紙をくれたんです。日付は、今年2004年の2月12日。おもしろいですよね、インターネットを介して存在がますます気になり始めて、インターネットを介して最初のコンタクトが成立するんですから。
 最初の詳細な自己紹介によると、信じられないことに、彼が同姓同名の存在を最初に認知したのは、もうかれこれ20年以上前のことらしい。彼は和歌山県で7代続く家具屋さんのご子息、わたしよりきっかり10歳下なんですが、中学生のころから<SFマガジン>とともに角川書店の月刊誌「ヴァラエティ」も愛読していたようで、この後者の読者投書欄に投稿したところ、自分の名前とともに住所も載ったのを見た読者から「巽さんって、東京からひっこしたんですか?」という反応が返ってきたんだとか。

小谷 彼のほうもびっくりしたでしょうね。でも、彼が中3としても1980年ぐらいでしょう? 教授はもうデビューしてたの?

 いやいや、わたしが定期的に商業誌に連載をもつようになるのは、慶應の助手になる1982年からですよ。1980年ぐらいといえば、まだまだファンジン中心で、活字になったのは文庫解説ぐらいかなあ。そのころからフォローしてくれているとすれば相当コアな読者ということになりますが、よく考えると、何しろ同姓同名ですからね。しかも、わたしの父方の祖父も和歌山県出身ですから、どこかでつながっている可能性は非常に高い。この天と地のあいだには人智のおよばぬことがいくらでもある、ってやつですね。

小谷 でもほんと、背が高くてさわやかな人だったわよねえ。西鉄グランドホテルに移って真夜中過ぎまで飲んでた時も、いつもどおり野阿梓が酔っぱらって演説始めちゃったなあ、と思ったら、さすがアナウンサーというのか、ちゃんと相手にし続けてツッコミも入れてたし。