#20-2. パニック・アメリカーナの余白に

 昨年2003年12月のゼミOB会のあと、何とパニカメ史上初の新聞取材を受けることになったんですよ。文化部記者の加藤修さんは毎年10月初めのノーベル賞の季節になると電話をくれて、「ピンチョン、デリーロあたりが受賞したら是非原稿を」という話になるのが秋の風物詩だったのですが、今回、その彼が、「電話のついでですが」というかたちで切り出したのが、パニカメ本誌のことでした。基本的にゼミ雑誌だから贈呈はほとんどしていないので、驚いたのなんの。どういうわけか朝日新聞社編集局の片隅に鷲見君が編集長を務めたパニカメ7号が転がっていて、それをたまたま読んだ、とか。最初は小谷真理さんの「ゴス道の妻たち」まで載ってるところに惹かれたらしいのですが、全部読み通して好印象を持ってくれたみたいで。
 それで、そのときすでに取材申し込みを受けたんですけど、「どうせなら、こんどのOB会に8号が出るので、そのあとにでも」ということで、年末の12月 11日取材、朝日新聞2004年1月15日朝刊掲載という運びになったわけです。取材当日には、初代編集長ということで向山貴彦君も来てくれて、たいへん楽しいひとときになりました。したがって、こんどのパニカメ8号は、史上初めて「公の取材を受ける」ことを前提に編集されたわけです。
 もちろん、こういうゼミ単位の記事には一定のリスクも伴うことも自覚していましたが、しかし敢えて引き受けたのは、わたしなりにこの機会に東京都立大学問題を中心とする「文学部の危機という言説そのものの批判」というソフトなメッセージを送ることができたら、というもくろみがあったからですね。ただ、フタを開けてみたら、さしたる批判もなくて、CPA管理人の奥田詠二君によると、記事発表直後から一日20件ほどの注文がぞくぞく入ったとか。わたしの研究室にも初めてパニカメの件で生協から追加注文の電話がかかってきたりしたほどです。前の号は置いても長いこと店ざらしだったのに。

小谷 文学の危機っていうか、このところの大学改革や文学畑の金権主義的言説には、実は飽き飽きしちゃってて(笑)、想像力のない愚劣な話にはうんざりしていたのですが、実は、金にまつわるすごい熱狂的エピソードが年明けにあったのでした。1月17日の土曜日に、久々に向山君のスタジオ・エトセトラへ集まって、ゲーム大会をやりましたよね。これがもう、実にたのしくて。ねこぞうとも久しぶりに会って、4年の鷲見君、西岡さんや3年の富山君、松井君も一緒に、まるまる一日、ゲーム三昧。ピクショナリーから始めてボードゲームの数々をやり、最後はプレステを二本タメして終わるという、まさにまるまる十二時間ゲームづくしの日をすごしたわけです。
 もちろん、いつものように、ムコちゃんの、特製料理つき(笑)。今回は自家製ハンバーガーの、なんと炭火ヤキ、というか燻製ハンバーグだぜ!  いや〜忘れられないほど美味かった。……のですが、わたしの心を狂喜乱舞させたのは、ホテルの買収ゲームだったのです! 自らがオーナーとなって、ホテルを建て、どんどん他人のホテルも買収してチェーンを広げていく、というものなのですが、複雑な規則があり、自分が大儲けしているのか大損しているのか、最後の最後までわからないという、すごいゲームなの。わたしは、ファンタジーファンでホラー映画マニア、ゲームマニアの松井君と組んでいたのですが、彼の緻密な作戦で、大金を手にしてしまい、その場限りの億万長者になってしまったのです! いや〜、興奮しました。教授は、勝負事大好きな三年ゼミ代の富山君と組んで、これがまた冷徹な作戦で挑んでくる。まったく、最後まで気がぬけない勝負でしたね〜。あのゲーム欲しいな、こんど買ってよ(笑)。ふたりで、毎週土曜日の晩、飽きるまで、金にまみれて買収ごっこしようよ(笑)。

 わたしにとってはつかのまの息抜き、という感じでしたね。今年は卒論が多くてたいへんだったので。というか、向山君がいないと、そもそもゲームというものをやんないし(笑)。
 あの週はとくに、エトセトラ・ゲーム大会の前夜、1月16日の金曜日には4年生の日下真臨君のジャズ・ダンス公演「ベーリンジア」(六行会ホール)を観に出かけています。どこかで聞いたタイトルだな、と思ったら、星川淳氏の原作がまだ『精霊の橋』というタイトルだったときに、わたしも小谷さんも書評したじゃないですか。ファイルをひっくりかえしたら、以前、朝日新聞夕刊でやっていた書評連載「ウォッチ文芸」1995年4月24日付。当時絶賛した小説が、 10年近い歳月を経て視覚的に堪能できるとは。
 息抜きといえば、2月初旬(2/5-2/5)には島根大学法文学部の集中講義。久々の出雲では、島根県立美術館小泉八雲記念館を再び満喫しました。美術館学芸員の真住さんのご配慮で二年前にも行った川京も再訪できたし、生物資源科学部の竹山光一先生には宍道湖の絶景が楽しめる皆美にも連れて行っていただいたし、招聘先のメルヴィル研究者・斎木郁乃さんのご配慮で八雲の曾孫である小泉凡氏にもお会いしたし。彼の著書『民俗学者小泉八雲──日本時代の活動から』(恒文社、1995年)は柳田国男の先人として八雲を位置づける名著で、わたしも引用したことがあります。今年は八雲没後百周年なんですね。小泉凡さん自身もたいへんな旅行好きで、とくに八雲が旅したところはほとんど足を運んでいるようですが、比較的最近、ニューオーリンズへ行ったら、われわれの大好きなバーボン・ストリートも「カラオケだらけ」になってたとか。

小谷 ニュー・オーリンズ!なにもかもみな、なつかしい。『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』に『魔女の刻』。そういえば、アン・ライスの家も行ったよね。わたし的には、ブードゥー・クィーンのマリー・ラヴォーの話がおもしろくて、現地での資料をもとに「Xの女王」という短篇を書いてます(『ハンサム・ウーマン』ビレッジセンター出版局所収)。ミニ評伝ですね。そのなかでハーンが、マリー・ラヴォーのインタビューをしたことにもふれました。ハーンは、怪しいモノ好きの新聞記者さんだったのかな。
 JR松江駅前の商店街が「ニューオーリンズ・ウォーク」って命名されてるってことは、二年前の夏にやったCPA Monthly第13回「いまなぜ出雲で」でも話題になったけど、八雲になるまえのラフカディオ・ハーンが訪れたニューオーリンズは、いまじゃアン・ライスニューオーリンズですからね。百年間が一気にホラーでつながっちゃう。いまなら、ゴス・ブームで引っ張りだこになってたいへんなんじゃないかな。でも、ホントに妖しいものを生み出すような雰囲気にあふれている、と思いますね。