#19-2.2003年度国際ペン大会

 メキシコシティの国際ペン大会は、これまでわたしが出席した1984年の東京大会、1987年のニューヨーク大会とはがらりとちがった雰囲気で新鮮でしたよ。
 ラテン・アメリカ文学の巨匠バルガス・リョサがうろうろ歩いていたり、南アフリカノーベル賞作家ナディン・ゴーディマがスピーチをしたり、カナダのマイケル・オンダーチェがいたりと、ふだんはお目にかかれないであろう世界的作家がひしめいているのは当然としても、いわゆるアメリカ作家がほとんどいないのは異色でしたね。この数年、ノーベル賞候補にはドン・デリーロジョイス・キャロル・オーツの名前が挙がってるのに、今回の出席者は徹底してラテン・アメリカ作家中心。

小谷 アメリカの隣の国だから英語で大丈夫だろうと高をくくっていたら、アメリカとロシアの帝国主義にはダンコ抵抗する、という意向なのか、すべてスペイン語で制圧された世界でしたねえ。

 それで小谷さんは女性作家委員会の日本代表ということで分科会報告もされたわけですけど。

小谷 実質上の初日にあたる11月23日(日曜日)の早朝から昼まで開かれた女性作家委員会では、ディアスポラのアフリカ作家たちのネットワーカーをしているロンドン在住の黒人女性カジアさんや、フィンランド・ペンクラブの助けでやってきたカジキスタンのヴェラ・トコムバイヴァさんの現状報告があり、作家活動自体が政治や宗教、とくに戦争の影響で制限されている国の話がけっこうすごかったですね。カジアさんの話では、アフリカの黒人は世界中に離散して、もはや母国が無い状態で暮らしている人も多いから、インターネット上の国にしか存在できない、とか。つまり、『マトリックス・レボリューションズ』のザイオンは、けして夢物語ではない、という事実をつきつけられた。

 そうそう、タクシーで空港からホテルの「フィエスタ・アメリカーナ」へ行く途中で、都バスみたいに全面『マトリックス・レボリューションズ』の緑色の広告で塗り固めたバスが走っていたのにはびっくりしたし。メキシコではああいう緑やクジャクを思わせる青が強烈なんです。

小谷 分科会では日本側委員長ということでいきなり指名されて、わたし自身のテクハラ裁判の話をしました。われわれの女性作家委員会は、あの裁判をきっかけに 1999年に発足したので。それまでの日本ペンの認識は、日本の物書きのなかには、女性問題は存在しない、という驚くべきものだったのですよ。
 女性作家委員会の報告者のなかには、何とセネガルやナイジェリアやベトナムの方もいて、彼らは男性でした。が、自ら「名誉女性」を名乗ったり、次回はかならず女性の委員を送る、とか弁解まじりで言ってたところが印象的でしたねえ。

 じつというと、会議に入って、わたしはようやくホっとしたんです。というのも、いまや大のメキシコ通である明治大学の越川芳明先生や、つい最近、旅行から帰ってきたばかりの集英社<すばる>の長谷川浩氏から、とにもかくにも治安の悪い都市だとさんざんおどかされてきましたから。
 海賊タクシーが頻発していると聞いたのでタクシーも厳選しないとうかうか乗れず、道路ではひったくりが、繁華街ではすりが横行。日本の常識は通用しないというので、小銭以外はすべてセーフティボックスにあずけ、町中じゃ何も持ち歩かない。
 それに、高度が2,400メートルと高地なので、どうも酸素がたりないらしく、ふだん健康そのもののわたしでさえ、妙に息切れしちゃって。そのためか、ホテルでは酸素吸入器もいつでも使えるように常備されてる、とのことだったんですけどね。

小谷 まるで、『サイレント・ヒル3』の裏ショッピングモールを鉄パイプなしに歩くヘザーのような心もとなさなのね。でも常識をすてたら、けっこう気楽になってきて、だんだんラテン系のアタマになってきましたよ。
 まる一日、カフェで、どっさり持ち込んだ書評本を読みながらダラケていたりね。
 あすたまにゃーなぁ〜、とか言いながら。

 わたしは第24回日本SF大賞候補にあがっていた田中啓文氏の『忘却の船に流れは光』や今回受賞に輝いた沖方丁氏の『マルドゥック・スクランブル』を読みふけっていたんですが、小谷さんは──。

小谷 もちろん、山本弘氏の『神は沈黙せず』。さすがは「と学会」会長、リアルとアンリアルとの間でこれだけゆらがせるとは。おもしろすぎるぅ。
 もはや太陽の神殿もケツァルコアトルも、ど〜でもよくなってしまったァー!
ちなみに、売店でパンフレットを買った(けど観光していない)現地の聖母グアダルーペ伝説は、オーパーツなみの怪しさなのね。アステカの女神と聖母マリア伝説の折衷で、カトリックお得意のハイブリッド女神布教戦略の代表例なのですが、話がけっこうあぶない、あぶない。彼女の聖徴を包んだ布の表面の染料は地球にない物質だ、とか(笑)、出会った神父たちの姿が念写されている、とか。彼女やアステカ人は、宇宙人かも、という現地の妄想に身をまかせながら、『神は沈黙せず』を読むというのは、SFファン冥利につきる体験かもしれません。