#18 アメリカンパイってどんな味?

cpamonthly2003-07-27

アメリカン・パイってどんな味?

巽孝之 とうとう宝塚歌劇団による「アメリカン・パイ」が上演されましたね。小柳奈穂子さんによる思い入れたっぷりの演出で。

小谷真理 そう、またまた原作者の萩尾望都さんとマネジャーの城章子さんが予約を入れて下さって、7月3日(木)の夕方、日本青年館へ行きました。夢枕獏さんも一緒でしたね。その翌日、つまりアメリカ独立記念日が千秋楽になるとか。

 小谷さんは、原作の初出時から読んでたんでしょう?

小谷 「アメリカン・パイ」は、<プリンセス>の1976年2-3月号に分載されたんですが、わたしはそのすぐあと、萩尾望都特集のために再録された<プチ・フラワー>創刊号(1977年1月1日発行)のほうで読んだのですね。で、だいじにしまっといたんですが(笑)。実は、3月に天王洲アイルでスタジオ・ライフの「トーマの心臓」観たあと、みんなで飲みに行って萩尾望都さんから宝塚の話を聞いたときに、「そもそもアメリカン・パイってどんなパイ?」とお尋ねを受けたので、八ヶ岳別荘の書庫からひさびさに掘り出してきました。
 わたしの印象では、ずいぶんイタイ話だったので、宝塚で演じられるって聞いて、ちょっと意外でした。マイアミに住む青年音楽家グラン・パのところへ転がり込んでくる少年リューが、じつはフランスの葡萄園のお嬢様リュシェンヌだったという宝塚的男装のモチーフはあるんですが、彼女は病に冒されていて余命いくばくもない。そこへヨーロッパから主治医がやってきて、両親が娘を強引に連れ戻そうとするわけですけど、リュシエンヌは、あくまで秘めたる音楽的天才リューとして最後のときをすごそうとするんですね。けしてリュシュンヌにもどろうとしない、というお話なんです。

 萩尾さん本人は、ドン・マクリーンが1971年に放ったヒット曲「アメリカン・パイ」をヒントにしたんでしょう。その意味で、これはまぎれもなく萩尾望都さんによるロック漫画だと思って感動しました。
 すでにあちこちでしゃべってきたんですけど、わたしに初めてアメリカを強烈に印象づけてくれた日本人作品というのがふたつあって、ひとつは小松左京の長篇小説『継ぐのは誰か?』(1969年)、もうひとつが水野英子の少女漫画『ファイヤー!』(1969年から『週刊セブンティーン』に連載、1970年に第十五回小学館漫画賞受賞)なんですね。ふたつとも、中学時代に貪り読んで、そのあとも何度読み返したかわからない。あの時代にアメリカの夢と悪夢をあれほどヴィヴィッドに描き出した日本人作品は、ほとんどないんじゃないかな。このどちらかが欠けたら、アメリカ文学を専攻する道に入らなかったと思う。
 とくに『ファイヤー!』はね、主人公の天才歌手アロン・ブラウニングと仲間たちのファイヤーはウォーカー・ブラザースがモデルとかいわれてますけど、物語後半は結果的にジム・モリスンとドアーズのような雰囲気を醸し出していて、漫画なのに「ああ、サウンドが変わってきたんだな」と伝わってくるんです。だから、ハーマン・メルヴィルの長編小説『ピエール』をレオス・カラックスが1999年に映画化した『ポーラX』でスコット・ウォーカーが担当した音楽を聴いたときには、まさに後期のファイヤーのサウンドに接したような気がしたものです。1970年代の半ばには、渋谷のジァンジアンで行われた『ファイヤー!』の舞台化も観たことがあるしね。ごく最近、復刊された水野英子の『星のたてごと』講談社漫画文庫版に、青池保子が切々たるオマージュを寄せているのを読んで、水野英子萩尾望都青池保子というのは日本における少女漫画ならぬロック漫画というジャンルを創ったパイオニアの系統ではないかと確信しました。

小谷 なるほど、ロック評論の立場から「アメリカン・パイ」が検討できる、というわけですか。ううむ、わたしはやはり女の子として生きることが死ととなりあわせであるという運命の女の子が、死を回避するために少年の姿を自ら選択するけど、やはりのがれられないという物語かと思ってました。ただし、『ファイヤー!』自体もロック漫画であるとともに、青年同士の友情(愛情?)を扱っていたことを考えると、ロックの要素というのは、性差と絡み合っておもしろいですね。
 
 まあ、いまの時点で下されている『ファイヤー!』再評価ってのは、だいたいにおいて「やおいの先駆者」でしょうから。でもね、1970年前後には、やはり米沢嘉博さんもいうように、スポ根漫画と乗り入れるかのように読まれる『ファイヤー!』のイメージが支配的だったでしょう。しかし、スポ根漫画はきちんと系統樹が作られているけど、ロック漫画はまだ明確な系統樹が作られていないんじゃないでしょうか。1960年代後半にビートルズが解散間近でレッド・ツェッペリンキング・クリムゾンが衝撃をもたらし始め、1973年にはプログレッシヴ・ロックがピークを超え、70年代半ばにはファンクの導入でロックにもジャズにも本質的転換を迫るクロスオーバーが喧伝されるようになりますが、折も折、そうした激動の時代を証言するかのように1976年、萩尾望都の「アメリカン・パイ」が発表されたのは、ロック漫画史を構築するうえで見逃せない。ちなみにこれは、青池保子のロック魂あふるる『イブの息子たち』や『エロイカより愛をこめて』に関しても、記念すべき年ですね。
 「アメリカン・パイ」が印象的なのは、さいごにはリューがくりかえし口ずさんでいたドン・マクリーン71年のヒットソング「アメリカン・パイ」の記憶と、グラン・パの「古い古い歌」調べだけが残るからです。まるでスリー・ドッグ・ナイト1971年の「オールドファッションド・ラヴソング」やレッド・ツェッペリン73年のライヴで知られる「永遠の詩」のようなコンセプトなんですね。

小谷 で、そのアメリカンパイってどんなパイ(笑)?

 文化史的にふりかえるなら、今日のアメリカン・パイに通じるフルーツパイが初めて作られたのは西暦1500年あたりのことで、16世紀には最初のチェリー・パイがエリザベス女王に捧げられたという記録がありますね。それが16世紀から17世紀にかけて、アングロアメリカの植民地時代に継承され、今日では「最も伝統的なアメリカのデザート」と呼ばれるほどに広く深く浸透したため、いまや「アップルパイなみにアメリカ的だ」"as American as apple pie"なる英語表現まで流通しているぐらいです。
 しかし、それをドン・マクリーンがどう使ったかというと、独特なアメリカ的文脈を考え合わせなければなりません。検索エンジンにかけると、この曲に徹底したテクストを施したウェブサイトが出てきて、これはまるで英米名詩選なみだな、と思ってびっくりしたんですが、さて分析注釈者リッチ・クラウィークによれば、この歌全体が一九五九年二月のバディ・ホリーの飛行機事故死とともに音楽が死に絶え、ロックンロールが衰亡する歴史を扱っていて、そこには事故に遭う飛行機そのものが「アメリカン・パイ」なる名称だったという未確認情報も潜むという(http://www.fiftiesweb.com/amerpie-1.htm)。とりわけリフレインになっている“Bye bye Miss American Pie”の部分にこれまで議論が集中してきたわけですが、「ミス・アメリカン・パイ」とはずばり「ロックンロール」を指す。

小谷 っつうことは、「ロックンロールなみにアメリカ的だ」というわけか。ミスコンとロックとパイがアメリカの風物だ、いや、そのものだ、という意識があるのかな。

 マクリーン本人がミス・アメリカ・コンテストの最中、ミス・アメリカ候補者とデートしていたという、もうひとつの未確認情報もあるようですから。
 最もアメリカ的にして輝かしい文化として定着しようとしていたロックンロールとの別れを歌うために、アメリカ一の美女との別れというメタファーを持ち出し、それに「ミス・アメリカン・パイ」と名付けた。それを承けた萩尾望都が「アメリカン・パイ」の中で、このようなアメリカの夢を抱いてやってきたヨーロッパの美少女が、はかない人生の一瞬だけ、自らアメリカン・パイと化すやいなや、この地上から消え去り、あとには歌だけが残る……という展開を選んだのは、ごくごく自然だったといえるでしょう。

小谷 歌として記憶されることで、ずっと生き続けていく、ということなのかな。

 最近では、この一節を逆手に取ったアップルパイのコンテスト「マイ・マイ・ミス・アメリカン・パイ」(My, my Miss American Pie: http://www.wchstv.com/gmarecipes/mymymissamericanpie.html)というのもできています。もっとも、昨今の再評価のきっかけのひとつには、2000年には文字とおりアメリカを代表する歌姫マドンナが「アメリカン・パイ」をリメイクしたことも、関わってるんじゃないかな。

小谷 というわけで、アメリカンパイ探訪でした(笑)。勉強になるなぁ(笑)

●トヤマ大冒険

 さてさてこの7月はアメリカンパイに始まって、富山旅行、栃木は塩原温泉での日本SF大会と、イベントが目白押しでしたね。富山旅行は、小谷さんが、富山教育委員会主催の講演会に招かれ、「ファンタジーの魅力」について講演されたわけですが。

小谷 そうそう。富山にはちょうど来日中のマーク・ドリスコルさんも同行され、翌日から一泊二日で、三人で五箇山へと旅に出ましたねえ。うちの父母は、同じ上平村の出身なのです。でも、教授は、上平村の近くで、演劇フェスティバルでも
有名な利賀村に興味があったんでしょ。

 そう。それで、高速ではなくて一般道で庄川峡を通ってーーいやーすごい道だった。断崖絶壁の道をうねうねと。ともあれ現代日本における国際的演劇活動のメッカへ、一度は行って見たかったので。

小谷 利賀村はオフシーズンだから静かだったけど、平村や上平村のほうは、世界遺産に認定されたこともあって、ずいぶんにぎやかだな、と思いましたね。
 司馬遼太郎街道をゆく』にもでてくる上平村西赤尾の赤尾館に一泊しながら、従姉の案内で、高校生の民謡クラブの練習風景も見学。ここのクラブは、彼女を始めとする村のみなさんが民謡の歌と踊りを教えているんですね。彼ら、全国のコンクールでもたびたび入賞して国立劇場の舞台に立っているほどの腕前です。マークがおもしろがっていましたね。ささらという古い楽器がなかなかよいので、小さいのを購入してしまった(笑)。辻テルミニスト・菊池誠さんとあわせて、演奏しようかな。

 岩魚づくしの料理もすごかったね、でも、帰りのほうは高速に乗って、なんと富山空港まで約一時間。

日本SF大会T-CONへ行く

小谷 まあ、翌日から二泊三日のSF大会ですから、余力を残しておかなければ、というわけで。いや〜、今年のSF大会、栃木の塩原温泉で開催されたのですが、いったん帰京して、東京から車で出動したんですよねー、荷物多いから。

とくに小谷さんのコスプレの荷物が……。

小谷 同室の喜多哲士さんと喜多真理さんにも多大なご迷惑をおかけしたような気がする(すみませーん)。コスにビールに同人誌につまみ。たったふたりの荷物じゃない(笑)。今年はマスカレード賞小谷杯というのを作ることになったので、久々に腹をくくってリキ入れてコスに邁進しました。もともとわたしは怪物系が好きなのですが、今回はしかたなく女王系コスを選び、カーテンとシーツで仕事の合間に服作りましたよね。教授に金髪のかつらを買ってもらったり。

 ああ、渋谷の東急ハンズで選んだやつね。だれだったか、小谷さん、会うたびごとにカツラと衣装が違うとかいってたな。

小谷 四つくらいしか変えてないよ〜。マトリックス系わらわらばーんのパフォーマンスを取り混ぜてトリニティのコスやった瀧川仁子さんは、もっとハデだったし。彼女はPVCのメイド服、ネオ、トリニティともーハデハデでしたから。いや〜すごかった。瀧川さんの金科玉条は「その場にふさわしいかっこうをする」。わたしもそうですね。企画にあわせて、コスしてました。ニール・ゲイマンサンドマン』にでてくるデスと、『指輪物語』のガラドリエル、『マトリックス』をヒントにしたメスミス(女性版エージェント・スミス)とね。ただ、コスが続くので髪を整えるヒマがなくて、あとはずーっとオレンジ色のかつらをつけてたの。だから、いろいろ多そうに見えたんじゃない? 

 企画も異常に多かったですねえ。

小谷 19 日の夜は「野阿梓で遊ぼう会」(デスコス)、「指輪物語夜話2」(デスコス)、「日本SFファングループ連合会議」(デスコス)、20日は午前中「文学とコスプレカルチャーのあいだ」(メスミス)、「センス・オブ・ジェンダー賞発表会」(ジェンダー研黒シャツ+かつら)、午後「小さなお茶会」(ジェンダー研黒シャツ+かつら)、休みをはさんで「マスカレード」(ガラドリエル)、夜は「やおいパネル」(ジェンダー研黒シャツ+かつら)、「サイバーパンクパネル」(ジェンダー研黒シャツ+かつら)、21日「センス・オブ・ジェンダー賞贈呈式」(ジェンダー研黒シャツ)。
 さすがに目がまわった。でも、楽しかったぁ。なんのコスやってるか、ちゃんとあててもらったしね。思いっきりコスプレしただけじゃなくて、語りたおしたし。個人的には、「野阿梓で遊ぼう会」で、あの有名な「かもねぎシスターズ」のオンステージを見ることができた上、新曲も聞き、いっしょにねぎもって踊りまくったことが忘れられない(笑)。それと、コミケ系コスの立役者・牛島えっさいさんともお話しできたのが嬉しかったです。尾山ノルマさんのリキの入ったコス見れたし。
 教授は、19日深夜のプログレッシヴ・ロックのパネルで思う存分、ロックへの熱き想いを語ったというか、思いっきり遅くまで話し込んでいたから、本望でしょう。

 あれは実に濃いメンバーだった。実は東京から菊池誠さんも乗せていったので、道中もプログレの話題満載だったし。レフュジーのCDからパトリック・モラーツのソロ、それにELPキース・エマーソンが空中グランドピアノ大回転やる海賊版ビデオまで持ち込んで、菊池君もザ・ピーナッツが歌うキング・クリムゾンの「エピタフ」かけたりして、大受けでしたよ。コミケ仕掛人米沢嘉博さんご夫妻がさいごに乱入されて、ますます盛り上がりましたねえ。来年は米沢さんにもパネリストになってもらう予定です(笑)。
 しかし、一番うれしかったのは、20日深夜の「サイバーパンク・バネル」にエージェント・スミスたちが来てくれて最前列にスミスがずらりと四人。司会はもちろんトリニティの瀧川仁子嬢。パネリストは全員サングラスという光景がみられたことかな。スミスはただコスプレするだけではなくて、『マトリックス』への読みが実に深い。

小谷 コスブレする人は、衣装作るのに、もとの本をなめるようになんども読むから自然に深くなるのよ。映画だって、何度でも見るしね。体を使って独自の読みを展開する、それがコスの花道なのです。教授も今回SF大会での初コスプレ、おめでとうございます。メン・イン・ブラック兼スミス。

 そういえば、西島大介君がサイバーパンク・パネルの前半寝ぼけていながら、深夜にとつぜん復活して、『リローデッド』でアクションがどうとかいっているけど、もっと本質的なサイバーパンクとしての議論をやるべきだと主張していたのが、すごくよかったなあ。いまどき珍しいまっとうな意見で。

小谷 T -CONはホテルニュー塩原で開催されたんだけど、これが宇宙ステーションみたいに入り組んだ構造で、舞台装置としても楽しかった。とにかく、SFファンばっかりが集まっていると、なんだかうきうきしてくる。ホテル側の対応も準備万端という感じで、よかったですよね。SFファンのために明け方まで店開けていてくれるし、特別メニューはあるし。いい大会でした。
でも、忙しすぎて、昨年同様、また温泉にはいりそこなっちゃった(笑)。だれかが、大人の文化祭だっていってたの、正しいです。ものすごく発散できて、満足です。来年も絶対に行きます!

 あの重い荷物抱えて岐阜まで。今度はちゃんと温泉に入れるといいね。

7/27/2003