#17-2 東京2003年春

:そうですね、じつをいうと、意外かもしれませんが、学会発表でもなければ講演会でもない、いわゆるパネルやシンポジウムでもないトークショウっていう形式は、ほとんど初めてなんじゃないかな。昨年暮れに、専門とは何の関係もないんですが長年の趣味が高じて一気に書き下ろしてしまった『プログレッシヴ・ロックの哲学』(平凡社)を出しまして、それが音楽・映画批評の新しい叢書<セリ・オーブ>の第一弾になったため、第二弾である『バカラック、ルグラン、ジョビン』の著者・小沼純一氏と12月16日に池袋ジュンク堂で公開対談をやって以来のことです。おもしろいことに、あのあと、小沼氏は<SFマガジン>で演劇時評を担当するようになり、わたしのほうは小沼氏のホームグラウンドであるプログレ専門誌<ストレンジ・デイズ>に寄稿するようになったという(笑)。その余波というか、先日、5月26日の本塾文学部総合講座「情の技法」にも幻想系プログレ・ユニットのアリ・プロジェクトに出演してもらうことができましたから。宝野アリカさんの講義つきライヴを堪能しました。

小谷:ついにロック評論家になったんですね。本望でしょう(笑)。しかも、ツエッペリンなんて論じたら、もう思い残すことはないでしょう。
 映画のほうでも、1月には沼野充義さんと瀬々敬久監督の『SFホイップクリーム』をめぐってユーロスペーストークショウでしたよね。2月には NHKBSの「週刊ブックレビュー」でテレビ出演もあったし、それに何より4月20日にはトライエム配給のショーン・カナン原作になるオマージュ映画『ライ麦畑をさがして』公開に合わせて、青山のイメージフォーラムで何と(!)大串尚代ちゃんとトークショウ。

:いや〜まさかこんな日が来るとは思いませんでした。かれこれ十二年ぐらい
前かな、ゼミの初代にサリンジャーで卒論出したのがふたりもいたんでいささか食傷気味になってて、大串君の入ってきた第二期生の時には辟易して「サリンジャーだけはやってくれるな」と申し渡してたんですが、そう言わなかったら彼女もポール・ボウルズを卒論に選んだりリディア・マリア・チャイルドで博士論文書いたりすることもなかったかもしれない。いずれにせよ、わたしは根っからの物語学のヒトで、映画を観ても「脚本がよく書けているかどうか」に関心が行ってしまうタイプなので、『ライ麦畑でつかまえて』みたいに基本的にストーリーのないもの、語り手のキャラだけで突っ走るたぐいのものは、なかなか理解できなかったんですね。だから、最初はわたしに来た依頼だったんですが、やっぱりサリンジャーといえば大串君のほうがキャリアが長い権威だし、一緒に出演したほうがいいと思って。そうそう、彼女は<週刊読書人>最新号(2003年6月13日付)から「ニューエイジ登場」という連載を始めていて、その第一回には「アメリカ文学との出会い」というタイトルで、このイベントのことを書いてます。
 とはいえ、サリンジャー不得意のわたしでも、このために春休みを費やして読み直してみたところ、いろんな発見がありましたね。いまの眼で読むと、ホールデンが妙にブッキッシュで作家の兄にも厳しい条件を課しているのもおもしろいし、そのあたりの文脈や、サリンジャー・ファンの青年がジョン・レノンを暗殺したりロナルド・レーガンを暗殺し損なったりという時代精神みたいなものを、映画の『ライ麦畑をさがして』がみごとにすくいとっているのにも感銘を受けました。小説の映画化ということだと必ず「原作に忠実じゃない」なんて言い出す人がいるけど、この映画の場合は「サリンジャーが大好きな少年」が主人公で、ホールデン・コールフィールドを彷彿とさせる人生を歩んでいくという設定なので、まったくアイデア賞ものですね。あらゆる映画化作品にヒントを与えるんじゃないかな、主人公を原作小説の大ファンに設定すれば版権問題もクリアできるし。