#14 モハーヴェ砂漠を駆け抜けて

cpamonthly2002-09-09

巽孝之 昨年夏の東海岸出張のほとんど直後に、9.11同時多発テロが起こったんですね。そのせいじゃないけど、以後いろいろあって今回の西海岸出張は、何と一年ぶりのアメリカになります。8月23日から9月3日まで、ロサンジェルスからラスヴェガス、グランドキャニオン、それにサンホゼ、サンフランシスコまでを回る、というのが、今回のメニュー。仕事もからんでいるためですが、小谷さんのやおい友達でお茶大SF研OGの野田令子さんも同行。もちろん、小谷さんはいまから18年ほどまえ、グランドキャニオンに行きながらも、諸事情のためにきちんと観光できなかったので、そのリベンジという意味もある。

小谷真理 この一年間、いろいろと盛りだくさんでしたから。裁判も終わって、持病の治療も終わって、きれいさっぱりして気分転換に出かけよう、というわけで、今回二週間、存分に下調べをしたうえで旅行にでかけましたからねえ。いや、いつもだったら、でたとこまかせのコンな旅、つうか、SF大会以外はいい加減なんですけど、気合いはいっちゃって、もー、ひとりイベント気分でした。
 で、ロサンジェルスではラリイ・マキャフリイ&シンダ・グレゴリー夫妻や、年末にはソニー・マガジンズから『葉の家』の嶋田洋一訳も出るマーク・ダニエレブスキにも再会できたし、マイケル・ヴェンチュラやジョン・アーヴィングの翻訳もやっていていま南カリフォルニア大学大学院在籍中の都甲幸治君にも、サンセット大通りで密会しましたね(笑)。
 とくに教授は、この十年間、ラリイやシンダとずうっと編集していた学術誌 Review of Contemporary Fiction誌のポストモダン日本文学特集号(2002年夏号、第22巻第2号、8ドル)が刊行されて、感無量といったところですか(詳細はhttp://www.centerforbookculture.org/review/02_2.html)

 そうそう。去る7月には出たはずなんだけど、日本を発つときにはまだ届いてなかったし、ラリイたちも現物をまだ見てないとかいってたんで、いっしょにロサンジェルスでふらっとボーダーズ書店に入ったら、そこにさりげなく置いてありましたね。いやあ、この企画はほんとうに時間がかかった。なにしろこの雑誌の方針で、ひとりの作家につき、インタビューだけじゃなくて作品も併載しなくちゃなりませんでしたから。
 いちばん最初に企画がスタートしたのは1992年で、あのふたりがたまたま夏休みのあいだ、わたしの恵比寿の実家に滞在していたんですね。それで、高橋源一郎島田雅彦笠井潔大原まり子のインタビューを取るところから始まった。バブルのピークを迎えて健在だったAZZLOの山崎夫妻や上々颱風とも会ってるんですよ。ラリイもシンダも凄くエンジョイしていて、すぐにもアメリカで雑誌特集号を出そう、ということになったんです。まだ学部生だった大串尚代君や山口恭司君も、積極的にテープ起こしをやってくれて、ラリイが「サンディエゴ州立大学の学生より上手い!」とびっくりしていたっけ。1994年暮れにサンディエゴで開かれたMLA大会では、じつは版元であるダーキー・アーカイヴ社の面々にも紹介されて、正式の打ち合わせもすませていたし。

小谷 あのときって、その直後にサンディエゴからロサンジェルスへクルマを飛ばして、1995年の新年早々、ハリウッドに住むスティーヴ・エリクソンのインタビューも取りに行ったよね。あのころの彼はまだ結婚前で、映画の『バートン・フィンク』とか『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』なんかに出てきそうな、何ともゴシックなマンションに住んでたなあ。
 それにしても、あのときの旅といえば、教授とふたりそろって珍しく、すっげーインフルエンザにかかっちゃって、ホテルの年末カウントダウンのビッフェで、ものすごくゴージャスなディナーを、吐き気こらえながら食べなきゃならなかった記憶がある。うー。あのときのロブスターとデザート、あんなに美味しいのに、あんなに食べられなくて往生したのは、わすれられないー。
 インタビューとれたのは、よかったけど、つらかったね。

 まあ、それが決め手になって1995年の夏には筑摩書房の『アヴァン・ポップ』がようやく刊行されるわけで、ラリイ夫妻の再来日となり、こんどは筒井康隆笙野頼子といった面々に引き合わせたんですね。筒井さんは断筆中で、神戸まで新幹線で行ったのを覚えています。さらにそのあとには、1997年以降、ブラウン大学にて在外研究中だった成蹊大学の宮脇俊文先生のご協力で、ボストンにいる村上春樹にもインタビューができた。これらすべて、ひとまず英語に起こしたインタビュー草稿を日本語に訳して作家たちに手をいれてもらい、さらにそれをもういちど英語に戻して再編集するという、気の遠くなるような作業を経ているんで、いったいのべ何人の方々のご協力を得たのか、わからないぐらい。作品の英訳に関しては、カズコ・ベアレンズや栩木玲子の諸氏がやってくれた初稿を最終的にマイケル・キージングが全面的に調整してくれて、ようやく一段落ついたのが1998年の暮れ。その翌年1999年の春には、たまたま小谷さんがアジア研究会議でアニメのパネルに出ることになったため、サンディエゴに赴いて、みんなで全原稿の再チェックというのをやって、それをいったんぜんぶ版元に叩き送ってる。

小谷 あのときね、『聖母エヴァンゲリオン』の余波で、リヴィア・モネさんと少女論のパネルに引っ張り出されたんですね。当時、斎藤環さんの「戦闘美少女論」がおもしろくて、あの理論の話で、向こうでは盛り上がってたなあ。「戦闘美少女」に"Fighting Beauty"という訳語をあてたりして。フェミニズム的に「戦闘美少女」をどう解釈していくかが、フェミニスト批評家の関心だった。こっちは、裁判とアニメでおおわらわ。教授は、それを後目に「日本文学特集」で多忙。日本文化論が世界的に拡がっていけばいいなぁと思いつつ、ひーひー言いながらこなしていた時代です。

 ところが、やっぱり翻訳作品のすべて、インタビューのすべてを載せると長すぎるという回答が返ってきたんで、大至急、簡略版を作ったりしなくちゃならなくて。この問題は今回、インタビュー部分全文は同社のウェブサイトにアップするというかたちで解決を見ることになりました。とはいえ、アメリカの<ユリイカ>にあたる同誌がそもそもアジアの文学を扱うこと自体が初めてだったらしいし、それを同社のアヴァン・ポップ路線にふさわしく日本のスリップストリーム文学を中心にした構成で組むことができたのは、苦しいけれど楽しい十年間でしたね。

小谷 表紙にも掛け軸の「文」の一文字が躍ってる。でも、最初は達筆すぎて、あたしはシンダに「女」って漢字だよ、って説明しちゃったよー。最近は、郵便ポストを見てもジェンダーになっちゃう、という(笑)。
 だけど何といっても今回ヒットだったのは、たまたまウェブでホテル情報調べていて、評判がいいんで泊まるのに選んだラマーダ・インの所在地ウェスト・ハリウッドが、何とロスからはじつは独立したゲイの町だって、あとからわかったこと。道理で、プールサイドにいると、ハンサムな男の子たちがイチャイチャしてたはずだわ。あのオトコ女王蜂、かっこいいというか、美しくて、つい、ゲイでなくても目がそっちいっちゃう。朝、ホテルの一階のスタバでご飯をたべていると、まわり中、男性カップルばかり。あたしたち、きっとおばかな日本人観光客にみえてんだろうなぁと想いつつも、いやあ眼福、眼福(笑)。

 小谷さんにホテルの予約頼むとそういうことなるんじゃないかと、最初から思ってましたよ。

小谷 わざとじゃないですー。偶然ですー。

 ロスじゃ小谷さん、駐車したら、ランチのあと駐禁票貼られちゃったけど、そのあとロサンジェルスからかのモハーヴェ砂漠をクルマで五時間踏破してラスヴェガスへ逃亡した、というか移動したんですね。

小谷 シンダのいうとおりのところに停めて、駐禁票もシンダのいうとおりネグろうかと思ったんだけど、あたしは四角四面ですから(笑)、ラスヴェガスでクルマ返すときに詳細を聞きました。喰らった罰金40ドル、現金じゃだめなのね。小切手を作って送らないとダメなのね。とほほ。
 でも、モハーヴェ砂漠踏破はまさにロード・ムービーみたいで凄かった。テルマ&ルイーズごっこ、というか(笑)。あそこは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアがまだアリス・ブラッドリーだったころ、妊娠中絶に失敗しながらも出血にあえぎながら踏破した場所でもあるんで、どうしても体験しなければ、と思ったの。いやー凄かった。それで行く前、砂漠踏破やったことのあるいろんな友達に話すと必ず「大量の水を持ってけよ」っていわれて、これがなぜなんだかよくわからない (笑)。でも、友達のいうことなので、出がけにコンビニ、つーかドラッグストアで大量の水を買って出かけたら、全行程のうち最後の二時間ぐらいにさしかかったときだっけ、教授が道路脇の「エンストを避けたいならエアコンを切れ」っていう黄色い標識に気がついた。

 それまでにも路肩にエンストしてるクルマが死屍累々で、やきもきしてたんだけど、あのときエアコン切らなかったらこっちも危なかった。
それで、当然ですけどエアコンを切ると熱風しか出なくて、猛烈にのどがかわくわけです。ところが冷凍バッグとか持ってこなかったから、持参した水はたちまち沸騰しちゃって------お湯ですよ、お湯。だからはるか彼方にラスヴェガスが見えたときは、ほんとに砂漠のオアシスみたいに思ったものです。アーサー ・C・クラークの『都市と星』に出てくるダイアスパーですね。

小谷 座っているところだけが、ぐっしょり汗でぬれているけど、他はからからに乾いているから、脱水症状に気がつかない。そういう危険性があるわけですよね。定期的に水、いやお湯をガンガンとって。ラスヴェガスが見えたときには、歓声が…。初めてなんですよねー。泊まったホテルは、海賊船ショーで有名なトレジャー・アイランドといまいちばん話題のピラミッド型でスフィンクスが出迎えるルクソール。ふだんふたりだけだと、くたびれて寝コケてるだけなのに、こんどは元気いっぱいのオタクイーン野田令子さんがいましたからね。彼女が見るべきショウやライドをはしからリストアップしてくれて。

 そうそう。わたしはじつはラスヴェガスは三回目で、1976年と1987年。べつにギャンブルやるわけじゃないんだけど、以後、1990年代にがらりと変わったというので、来てみたらびっくり。以前はカーペンターズやエンゲルベルト・フンパーディンクなんかがこぞって出演するディナー・ショウ付き豪華ホテル群という感じだったのが、いまやユニヴァーサル・スタジオもびっくりの絶叫マシーン満載テーマ・ホテル群なのね。エッフェル塔自由の女神やピラミッドのレプリカが無差別にひしめいてるところは、まさにシミュレーション文明の極致。

小谷 クラークに「申し分なく発展を遂げたテクノロジーは魔法と区別がつかない」って名言があるけど、それを言い換えたら、さしづめ「申し分なく発展を遂げたシミュレーションは現実と区別がつかない」ってことにでもなるのかな。ルクソールで、ツタンカーメンの博物館のレプリカがあったりするんだけど、安っぽくないんですよね。どこもかしこもお金をふんだんにかけて、重厚な世界を作っている。「たくさんのお金をかけたシミュレーションは、現実と区別がつかない」というか。なんか食べきれない餌を与えられたというか、シャブ打ちながら全力疾走で遊ぶというか。もーへろへろになるまで遊んで、睡眠不足が極限に来ると記憶力と視力がやられるというのを体験しましたね。吸血鬼みたいな街だね(笑)。ラリーとシンダがなにかっていうとラスヴェガスに遊びに行く気持ちが、よおくわかった。ニューヨーク大学の映画研究家・宮尾大輔君と容子さんがこの街で結婚式したわけも、よおくわかった。

 シーザース・パレスには、古代商店街のレプリカだけじゃなく、天井には青空のレプリカまであるものね。ラスヴェガスのテーマホテルには、虚構と現実だけじゃなくって、内部と外部の区別もない。この狂気の沙汰ともいうべき光景をまじまじと眺めていると、そもそもネヴァダ州というのはたえず核実験やってて人類壊滅の恐るべき危機を内包しつつも、まったく同時に、シミュレーション文化を促進して人類文化の安らかな保存をも完遂しようとしている、きわめてアンビヴァレントにしてユニークな州に見えてきますね。この街自体が地球のレプリカ、というか。

小谷 いちばん衝撃だったショウは、トレジャー・アイランドでやってたシルク・ドゥ・ソレイユの「ミステア」と、エクスカリバーでやった「トーナメント・オヴ・キングス」かな。
 前者は、サーカスというにはあまりにも絢爛豪華な総合演劇で、とにかくダンサーたちの肉体のアクロバットがものすごくしなやか、寺山修司とか暗黒舞踏なんかの要素も入って、和太鼓も駆使してたしね。でも、一番ゾクゾクしたのが、ディアギレフの要素がふんだんに取り入れられているところ。興行師ディアギレフがあの世でなんて言っているでしょう。ニジンスキーが生きていたら?--なんて考えた。オペラ的だし、バロック的だし。
 後者は、ヒロイック・ファンタジー好きには、こたえられない、チャンバラよ!(笑) なにしろ手づかみで鳥の唐揚げやら野菜やらを食いながら、馬上槍試合をみるのさ(笑)。剣劇はあるし、馬は走り回るし、アタマん中にあるものぜえんぶ視覚化してくれた、という感じで、殺陣なんかものすごい迫力。怒号で応援しました(笑) 行く前にボブ・エグルトンが推薦してくれただけのことはある。あとでワールドコンで会ったときに「キミの推薦してくれたところ全部行ったら、楽しかったよ?」と言ったら、「クーーーーールッ」と、いつもの調子で笑ってたけどね。

 うん、「ミステア」は音楽もプログレッシヴ・ロック顔負けですばらしかったですね。ライドだと、ボブ・エグルトンがデザインしたっていうヒルトンの「スタートレック・エクスペリエンス」もよかったけど、シーザース・パレスでやってた「アトランティスへの大航海」も気に入りました。ここの仮想空間は、それこそイエスなんかのジャケットでおなじみのロジャー・ディーンばりなの。でも、ディーン本人の製作ではないらしいけどね。それで中一日割いて、いよいよ小谷さんのリベンジであるグランドキャニオンへ行って。

小谷 モハーヴェ砂漠からラスヴェガスって、火星からダイアスパーって感じなんですけど、グランドキャニオンは、レッドマーズからグリーンマーズって雰囲気。でも、サンセット・ツアーでは、バスが名所を何カ所か回ってくれて、あの大峡谷がいかにいろんな顔をもったカラフルな場所であるかを、思い知りました。崇高 (サブライム)を彷彿とさせるゴシック的な景観。谷と言うより、幻想的な城や要塞みたいにみえるんですよね。しかし、野田さんは、「大地が受けで、コロラド川が攻めですよね?」って、なんだそりゃ(笑)。乙女は橋がころげても地球が滅んでも、やおってます(笑)。彼女若くて、元気いいから、サンライズ・ツァーにも出かけていきました。年寄り二人は寝てました(笑)。  
 でも、歴代大統領やポール・マッカートニーが泊まったというエル・トーヴァ・ホテルもよかったし。野田博士(注: 彼女は分子生物学の博士号保持者でバリバリのハードSFおたくなんです)は、ここでは完全にわたしらふたりの実の娘だと思われたのか、お酒を注文したら、すかさず写真つきID見せろと言われてしまった(笑)。
 ともあれ、荘厳な風景の中で、もう俗世のしがらみをいっさい洗い流して悪いことなんか絶対しません、と深く反省したんですが…しかし翌朝にはすぐラスヴェガスに戻って、もとのもくあみ…(笑)。

 そのあと9月26日の早朝にサンフランシスコ経由でサンホゼへ向かって、第60回世界SF大会コンノゼに出席。以前、カズコ・ベアレンズさんが住んでいたトレーラーハウスに一泊して以来ですね、この街は。今回は、いま小谷さんの仕事を英訳しているスタンフォード大学大学院博士課程の中村美理さんが、クルマを出してくれて大いに助かりました。わたしも、コーネル大学時代の同級生でいまカリフォルニア大学バークレー校で教えるメルヴィル学者サミュエル・オッター夫妻と、旧交を温めることができて。ハワイのメルヴィル会議で合流しよう、なんて話になっちゃった。

小谷 サムの奥さんキャヴェリーはアジア美術史の専門家なんですね。日本語もうまいんでびっくりしたあ。むかし成城に住んでたとか。
 中村さんもやさしい方で、なにからなにまでお世話になりっぱなし。本当に感謝してます。素敵なカフェに連れて行っていただいて、楽しかったですね。ブランチ、美味しかったなぁ。
 そういえば、今回の旅行、メシに、はずれがなかったですね。ロスで食べた謎の和食お寿司の天ぷらとか、ラスベガスのパフェとか、エル・トーヴァ・ホテルのイタめし、サンホゼ一の古いホテルで食べたドリア、タイ料理、シーフード・レストランで舌鼓をうったオイスターにカリフォルニア・ワイン。そういえば、野田博士は、本当によくお飲みになる方で、今回はワインのかぶのみツァーとまではいかなかったけど、けっこう呑みましたね。本屋めぐりもよかったけど、飯が酒が…ああ…(涎)。

 中村さんのおかげで、これまで行ったことのなかったスタンフォード周辺の書店にも足を延ばせたのも、収穫でした。さて、今回の大会では小谷さん、パネルが三つもあったわけですけど。

小谷 へっとへとにくたびれましたよ、もう。女性ヒロインのパネルとフェミニストユートピアのパネルと、それに日本SF紹介のパネルと。最初はほとんど英語を忘れ果ててぼけーっとしてたんだけど、ディスカッションが進んでくると闘争モードに入ってね。女性ヒロインパネルでは、バフィやジィーナといった九十年代のアメリカのテレビのヒロインが戦闘美少女なのかどうか、意見を聞いたり。あのふたりのヒロインは、フェミニストにもめちゃくちゃ人気があるので、いろんな反応が出ておもしろかったです。とくにフェミニストユートピアでは、ロイス・マクマスター・ビジョルドやキャサリン・アサロといった女性ハードSF作家たちと一緒で、議論が一元化しかけたので「デイヴィッド・ブリンの『グローリー・シーズン』をどう思うか、本人はフェミニストSFのつもりで書いたようだけど」って質問を投げかけたら、けっこう紛糾しちゃって。教授も三つ、あったよね。

 ええ、ひとつは歴史家のリチャード・ダッチャーやイギリスの新鋭アレステア・レナルズなんかといっしょに『2001年宇宙の旅』について語るやつで、ここではまだまだ、1968年初演のときの「何じゃこりゃ?」ショックから立ち直ってない人たちが多いみたいだったな。モノリスは電脳空間の走りである、というわたしの仮説も、ずいぶん新鮮に映っていたようだし。もうひとつは、画家ボブ・エグルトンや作家ジェイムズ・パトリック・ケリー、それに学者作家トマス・ホップらといっしょに「なぜわれわれは恐竜を愛するか」という思いのたけを語り倒す、というやつで、とくにホップは科学者として本気で動物化ならぬ知性化を考えている点で、啓発される点が多かった。アート研究の河合康雄さんや画家の田中光さん、コンタクト・ジャパンの大迫公成さん、翻訳家の岡田靖史さんなんかとやった日本SFパネルのほうは、個人的には例年よりもオーディエンスの関心が高まってる感じがありましたね。

小谷 うん。全体に今回のコンノゼは、確実に新しいものが生まれている雰囲気があった。ヒューゴー賞長篇部門でニール・ゲイマンの『アメリカン・ゴッド』、ノヴェレット部門でテッド・チャンの「地獄とは神の不在」が受賞して、それから何といっても、これまでえんえんとガードナー・ドゾワが独占していた編集者部門を、いまオンライン・マガジンやオリジナル・アンソロジーで活躍中の、かつてのサイバーパンクの女王エレン・ダトロウが受賞してるのは、ひとつの変化の兆候かなあ。エレンはかつてギブスンをデビューさせて、つぎはチャンを見出してるんだから、ほんとうの目利きだと思う。
 受賞作を並べると、どこか「神」がかった印象もあるし、1980年代初頭、サイバーパンク出現以前にファンタジー汚染論争がわきおこったときの状況を彷彿とさせるんだけど、むかしわたしが<SFマガジン>で特集した「テクノゴシック」にはまっている感じがして、不思議だった。「テクノゴシック」は、早すぎた特集だったのかな?(笑)。
 パット・マーフィーがトールキンに挑戦したスペースオペラ『ノービットの冒険』が星雲賞受賞したのも、当然だと思う。ゴシックというコンセプトをSFとファンタジーが共有しているような状況があって、全体的にファンタジー色が強まっているんだよね。ただし、そのゴシック的な要素は、むかしの英国の白人ゴシックというより、エスニック色が強くなっていると思う。

 いまならスリップストリームとか変流文学といった範疇で解決することもできますからね。 
 それはそうと、今回、たまたまテッド・チャンの第一短編集Stories of Your Life and Others (New York: TOR,2002)が出たんで、旅行中ずっと読んでたんですが、代表作の「七二文字」や書き下ろしを含む収録作八篇はすべて、読みごたえがありました。一定の設定から出発して、ほとんど省略することなくさまざまな論理的可能性をじっくり吟味するかのように展開していく手つきは、いってみればじつに伝統的な「外挿法」(エクストラポレーション)のおもしろさなんですね。書き下ろしの「見えるものを愛すーーひとつのドキュメンタリー」なんか、容貌差別を解決する装置が開発されて、それが社会運動になっていくときの希望と絶望があらゆる可能性を考慮して論理的につきつめられていく。たとえていうならチャペックとかシェクリイとかハインライン、それに小松左京といったオーソドックスきわまる定型はすぐに思いつくにもかかわらず、じつはそこには PCや9.11以後の状況に対する痛烈な一撃も随所に刷り込まれていて、一気に読ませてしまう。ニューウェーヴサイバーパンクの時代も経ているだけに、外挿法を用いても古めかしい感じがしないし、どれも高度に思索的なんです。執筆順でいうと第一作は邦訳もあるハードボイルド調の超人もの「理解」になるけど、トマス・ディッシュに見出されてエレン・ダトロウが買った1990年の実質的なデビュー作「バビロンの塔」なども、今回のヒューゴー賞受賞作「地獄とは神の不在」へと連なる聖書批判ものであり、基本的にファンタジーとの境界領域だと思う。<ネイチャー>誌に出た小品「人間科学の進化」に至っては、短いながらもレムとの類縁も感じさせる。
 ところがじっさいに会ってみたら、大会に参加しているにもかかわらず星雲賞ヒューゴー賞授賞式の壇上に上がるのがいやで、すべて担当編集者まかせという、おそるべきシャイ(というかヒッキー?)であるのが判明したんですけど。せっかく、小谷さんや野田さんがプレゼンターとして、ゴージャスな着物姿で壇上に上がっていたのに、ねえ。

小谷 バーで会ったときは、手なんてふっていたのにね。壇上にあがるのは「やだ」とか言っちゃって。自分の賞を代理人に取りにいかせてる。個人的には写真もとらせるし、自分はそのへんをふらふら歩いている、という(笑)。しょーがない子ねぇー(笑)ってエレンが困ってました。
 そういえば、ロサンジェルスではサンタモニカの映画館でディック原作、スピルバーグ監督の最新映画『マイノリティ・リポート』観たけど、すっごくよかったっす。どこがよかったかっていうと、ぜんぜんディック的じゃないところが、ホントーによかった。基本的にわたしは、教授とちがってディックが超苦手なので、イヤイヤ見に行ったんですが。ホホホ。すばらしかったです。ファンタジーです。スピルバーグのセンスのよさがよくでていた。映画作りが、やっぱりすごい。映画の文法そのまま。基本がよくできていて、もー、すごい。『ブレードランナー』をギンギンに意識した一見シリアスな作りながら、基本がギャグ。ジャック・フィニィが泣いて喜ぶような「絵」なんですよねー。

 トム・クルーズは『ヴァニラ・スカイ』で何かをつかんだわけでしょう。一応、ディックを貫いてる「記憶」のモチーフは健在なんですが、これがぐっと50年代SF風の処理になってるうえに、ほんらいシリアスな存在のはずの予知能力者が恐怖におののけばおののくほど笑えてくるという、なかなかにブラックユーモアあふるる展開になってる。小谷さんもいうとおり、エンタテインメントとして基本に忠実、ともいえるし、昨年度の『AI』での失敗をふまえた敗者復活戦、いわばキューブリックやスコットへのリベンジとも受け取れる。

小谷 おもしろいのは、ヴェテランであるマーフィの『ノービットの冒険』にしても、新人であるチャンの『あなたのための物語』にしても、巨匠スピルバーグの『マイノリティ・リポート』にしても、SF内外、文学内外を問わず広くおすすめできそうなことですね。そういう作品がいまたくさん作られてるというのは、とってもいいことなんじゃない?

 9/9/2002