#6 とりゃ! まりりんじゃ!

cpamonthly2000-06-11

巽孝之  って、今回はすごいタイトルですけど、これ最近、パニカメ周辺のメールあ い さつでちょっと流行ってるんですよね。

小谷真理 おー、そうでした。このあいだ4月25日に渋谷はブエノスでファンキーなラ イ ヴをやった堀口亜樹子ちゃんから来たお知らせで知ったんでした。使用例 : 「とりゃ ! みんみんじゃ!」(笑)。元気でますねぇ。ルーツは、5月なかばに一年間のニューヨー ク 大学留学へ旅立った西川朝子ちゃんらしい。

 研究室宛のメールでも「前略お久しぶりです (とりゃ!あこじゃ!とは書けませんので)」という書き出しなんですよ。元気いっぱいなのはとってもいいことですね 。しっかしそれにしても今回の通信は、ほんらい一週間おきのはずが一ヶ月おきになり 、それもまた危うくなりつつあるという恐るべきスローペースで。

小谷 おおっとぉ。こりゃ、すまんです。ここんとこけっこうキンチョーする仕事がいっぱい入ってまして。

 小谷さんは絶版になった佐藤亜紀さんの『鏡の影』ヴィレッジセンター版の解説や山尾悠子さんの作品集成国書刊行会版の栞といった大仕事があったし。

小谷 それに、きなくさい本の書評とか、×××××(笑)とか。今年は、年頭から 笙野頼子さんの『ドン=キホーテの「論争」』の書評(<読書人>2000年2 月11日号)があ り まして、久々にクズSF論争にも言及したり。うーん。全体的に論争系統の仕事、増えてます。世の中が不況で妙にぴりぴりしているせいなのか。あんまし闘争的な性格じゃな いはずなんだけど、裁判中だからかな(笑)。まあでも、北田幸恵先生が『青鞜を読む 』(学藝書林)のなかでお書きになっていらっしゃるところによると、「(評論家は)専門 的な知的教養を背景に、物事の理非を明らかに、自己の見解を他に向かって提示し、時 には真偽をめぐって論争も辞さない」ものだそうですので(あーん、耳が痛いよ〜)、毎 日精進せねばと貧しい知恵をしぼっているわけです。ちなみに、あちきの最近の愛読書 は、亜紀ちゃんの仕事のことや『ベルセルク』や『天使禁漁区』の背景調査もあって久 々に出してきて読みふけったロッセル・ホープ・ロビンズの『悪魔学大全』。異端審問 、つまり魔女裁判のエンサイクロペディアなんだけど、今読むと集団ヒステリーのこと とかね、免罪符バブルによる経済破綻問題とか青少年犯罪とか、マスコミ批判や自主規制問題、それにセクハラといった現代の問題に実によくあてはまる事例がわんさかでて くる。論争的にはたいへん身につまされます。そういや、教授もここんとこ「殺」とか 「喧嘩」とかがタイトルに踊るぶっそうな新著『メタファーはなぜ殺される−−現在批評講義』(松柏社)と編著『日本SF論争史』(勁草書房)の二冊がたてつづけに出て、 たいへんだったんじゃない? 5月3日にはプロモーション企画で三年ぶりにSFセミナー( 於・お茶の水)にも出演したでしょ。

 そうですね、『メタファー』のほうは向山君やねこぞうたちスタジオ・エトセ トラの心あたたまるホラーなブック・デザインで、この凝りに凝った装幀を絶賛してく ださる礼状がどっさり来てます。ついでに中身のほうもみなさん、読んで下さるとうれ しいんですが(笑)。永野君や牧野君も仕上げには協力してくれて、ほんとうに助かり ました。5月20日と22日に立教大学で行われた日本英文学会全国大会の時には松柏社ブースでずいぶんタタキ売ったみたいで。

小谷 うん、あれはデザインに時間とアイディアがいっぱい詰め込まれている感じで、もの作ることの楽しさを大いに打ち出してましたね。

 一方、『論争史』の企画は、いやあ久々にセミナー出ると、あんなにネットで 反響が出るとは思わなかった。

小谷 うんうん、いっぱいレポートも出ましたし、なにしろ早い! SFセミナーも すっかりネット時代に入っていたんですね。わたしもネット読書人の方たちにナマゲン でお会いできて、すんごくおもしろかったです。やっと冬樹蛉さんにもお目にかかれた し。想像したとおり、ray of light(by Madonna)なお方でした。彼の声、低くて実にか っこよくてね。それに、森太郎さんがご紹介して下さったおかげで、くるくる回ってい ないu-ki総統とか、ザボンの平野さん、お豆の青木さん(名刺もらっちゃった)、安田マ マさん、溝口さんたちにお会いできて光栄でした。文章のイメージとの違いとかわくわ くしましたね。今のホームページの隆盛は、昔のファンジンのような熱気があるので、 四半世紀くらい昔だったか、まだ見ぬ 同人誌の人たちのことを想像しつつ、取り寄せた ファンジンをなめるように読んでいたころを思い出しちゃったり。

 初対面のあいさつも、むかしだったら「初めまして」とか「お名前はかねがね 」とかいうところを、「オフでは初めてお会いします」っていうんですね。

小谷 だから、ネットのホームページの人たちがSFセミナーを訪れているのも、ここ十数年ほどの大学SF研を中心とするSFファンとはちょっと違って、先祖帰りのような 現象なんじゃないかなって、妙に懐しかったんです。教授も今回久々の企画だったから 、見かけがまじめふうなのに、いってることがけっこうスキャンダラスなんてのを初めて見て、びっくりされた方もさぞかし多いことでしょう(笑)。論争のパターン分析が 一番ケッサクだったかな。

 ただね、わたしはたしかに論争のパターンとしてまずは当事者同士による「定 義応酬」「人格攻撃」、そしてそのつぎに第三者による「不毛宣言」が来る展開が多い とはいいましたが、このさいごの部分のニュアンスはやや誤解されたみたい。

小谷 論争やってるひとたちを見ると脇でもだんだんムラムラして、よく脈絡がわかってなくても必ず仲間入りしたい人が出てくる、そのときのパスワードが「この論争は不毛だ!」っていう例のアレ(笑)。ちゃんと読んでないってことがバレバレの、お調子モノ発言。まったく「テメーのおはやし自体が不毛じゃ〜〜」(笑)。そして、ト書き がこう入る。「…いまや論争も最高潮を迎え…」。不毛だなんて、ホントは毛がボ ーボーなんだよ (←下品)

 そう。壇上でもこういう意味でいったつもりなんですよ――仮に論争の 因果関係がよくわかっていなくても、はたまた論争の火種になったテクストに目を通すこと すらしていなくても、「この論争は不毛だ!」と宣言しさえすれば、誰でも論争に参加することができる、と。

小谷 そっかー、「この論争は不毛だ」って「ボクも仲間にいれて・よ〜」と翻訳 されるのか(笑)。

 だから不毛宣言は、じつは論争を終わらせるのではなくて、論争の エントロピーをますます増大させてどんどん収拾がつかないところまでもちこむための、 重要な儀 式なんです。なにしろ論争でいちばんおもしろいのはまさにそれが戦われている同時代 でしか意味をなさず、時代を超えては決して生き延びられなかった小競り合いの言説で すから。論争のための論争をもり立てるお祭り大好き人間っていうのは、絶対必要なん ですね。さて、ちなみにこの5月には、きわめて論争的な演劇がふたつありました。

小谷 野田地図の『カノン』(5月11日、於・三軒茶屋)と月蝕歌劇団の『家畜人 ヤ プー』(5月22日、於・大塚)。前者は、カルメン的な女性、つまりファム・ファタール を中心とする新作。後者は、ナゾの大作家によるマゾ養成SF。両方とも、キイワードは 、「オンナはコワイ〜、でも、快楽〜」といった倒錯的な内容。『カノン』の方は、手塚とおる氏にばかり目がいってしまい、『ヤプー』のほうは、ポーリーン役の川上史津 子ばかり見てしまい(笑)。ミーハー根性直ってね〜な(笑)。『カノン』は、『パンドラ の鐘』にひきつづいて、女王的な女性像のイメージがもっと強くなってきた。
ヤプー 』は家畜人たちのデザインがけっこうえげつないのよー。もっといろんな種類、見たか ったなぁ。

 野田地図は、こないだ天皇制やったからこんどは民主主義なのかなって思いま した。このつぎは共産主義になるんだろうか。月蝕歌劇団は、昨年初めて観たんだけど 、あのときはゲッベルス役の女優・宇井千佳がすごくよくて、今回も同様の役で出てま したね。高取英さんて、とにかく文学的趣味が澁澤龍彦寺山修司沼正三、と来るわ けですから趣味的にはぴったりなんです。『ヤプー』は九十年代にも続編が書き継がれ てものすごく長い話になってますから、あそこまでまとめるだけでもたいへんだったで しょうね。でもたしかに、せっちんや子宮畜だけではなくて、翻訳畜とかも見たかった な。あれって高度資本主義下の日本的おたく文化に対する痛烈な風刺でしょう。最近も 新島進君の入魂の翻訳でフランス人評論家エチエンヌ・バラールの『オタク・ジャポニ カ』(河出書房新社)が出て読みごたえじゅうぶんだったんだけど、そうそうおたく的 キャラといえば--

小谷 待ちに待ったウイリアム・ギブスン『フューチャーマチック』(浅倉久志訳 、角川書店)でましたね。テクノロジーが勝手に起こす、誰も知らない変革の話といっ た『ニューロマンサー』のころからのテーマを継続している印象なんですが、いかがで したか、教授は。

 原書 All Tomorrow's Parties は昨年11月に東京堂で入手して、すぐ読みま した。ちょうど『JM』DVD版に解説頼まれてたんで、そのためにも。ところが、ひとつ 聞 くも涙の話があるんですよ。たまたまパトナム版のハードカバーもヴァイキング版のペ ーパーバック版も両方店頭に出ていて、それぞれブックデザインがちがうんで二冊とも 買ったわけ。それでヴァイキング版の方から読み始めたら二九章あたりで以前のと同じ エピソードが繰り返されるんで、最初、これはまた何と意味深な語りのアヴァンギャル ドかと思ったんですが、何のことはない、じつはたんなる乱丁(笑)。しかたないので 、まさにその乱丁部分からあとはパトナム版へ移って読み続けたんですが、わたしはと にかくあの橋上文化は大好きですから、もう雰囲気だけで許してしまう。ああいうのは 、ほんとにギブスンにしか書けない。くわしくは、解説を読んでほしいけど。

小谷 今回、サンラフンシスコのベイブリッジの文化(サブカル)村を描いた『ヴア ーチヤル・ライト』と、問答無用のハイテク都市・東京の生み出すアイドル産業を描い た『あいどる』をそのままひきついで、この二方向の未来に起きる変貌を描いているん ですよね。わたしがけっこう印象的だなと思ったのは、変革を予測できるようになって しまったレイニーと、レイニーの後追いをして変革後も支配権をふるおうとするハーウ ッドの、カルチャー的な対立なんです。サブカルチャーで蓄えられた文化的な蓄積を、 そのまま資本主義のレールに置いて金をもうけようとする巨大広告代理店のメディア王 の話って、なんだか今の時代にモノを作るとはいったいどういうことか、つまり創造性 と芸術性のありようを問いかけているような気がしたんですね。なんでもかんでも金の 問題にしてしまう世界でのサブカルチャーの意味って、はたして「カネになること」だ けの問題として片づけていいんだろうか。そういう意味では、朝日新聞<一冊の本>20 0 0年6月号の特集「文学とおカネ」は、いいとこ突いてる。笠井潔金井美恵子・車谷長 吉・笙野頼子・久間十義・松浦理英子丸山健二といった超豪華なメンツのゼニやんエ ッセイ。迫力あるよ。なんつたって物書きの生活がいかに逼迫しているかについて、赤 裸々に、しかし軽やかに考察しているんだもん。真のリアリズム系文学にふれたみたい 。感動してしまった。『フューチャーマチック』最大のサブテキストとして、これは大推薦しておこう。

6/11/2000