#2 いまどきのカリスマ

cpamonthly2000-02-24

巽孝之 第一回は練習の段階で送ったらいきなりアップされてしまって、びっくり。管理人の並々ならぬ手腕というべきでしょうか。で、あんまり驚いたので私は次の日、試写会ふたつハシゴして。

小谷真理 優雅じゃのう、わしは仕事がすまんかったんじゃー。

 そう、小谷さんが行けないというので、アトム・エゴヤン1999年度の新作『フェリシアの旅』のほうはひとりで。エゴヤンというとね、『エキゾチカ』の印象が強くて、ただの援交趣味じゃないかと思ってる人もいるかもしれないし、げんに今回にしても、まずまちがいなく新潟の女性監禁事件を連想させるキャプティヴィティ・ナラティヴなんですが、でもこの人の、画像を積み重ねてキャラの来歴をじわじわと描き込んでいく手法、個人的には好きなんですよ。で、夜は黒沢清監督1999 年度の新作『カリスマ』を。

小谷 観に行きましたね。キミ好みの新作でしたね、明らかに。

 うん、ああいう、ミイラ捕りがミイラになるっていう構図は、安部公房からポール・オースターまでありふれてはいるんだけれど、好みの類型ってのは、あるものだし。ひょっとして、またまたつまらなかったの?

小谷 まだ慣れないんですよねえ、ゴダールとかオースターとか、実存主義的な主題とか、その系統の作品は。ハリウッド映画中毒患者なので、これ系はいくら遭遇してもとまどってしまう。
 こういうのを克服しようと『おこげノススメ』(青土社、絶賛発売中!)をまとめたのに、いまだに、「おーい、こーいう観方でいいのかよー」と夕陽に向かって叫びたくなる。たとえばね、『カリスマ』はカリスマという毒素を放つ樹をめぐる森の人々の話なんだけど、カリスマに家父長制の象徴をいろいろ代入してみる、とか。カリスマにスマスマを入れてみる、とか。

 スマスマ美容師だからね。

小谷 森のなかに『ビューティフル・ライフ』の木村拓哉が、ハサミ男になって立ってるとか(笑)。試写会のあとで、社会学者の宮台真司氏と黒沢監督の対談がありましたが、宮台氏がレイ・ブラツドベリの「大鎌」をひきあいに出して解題していたのが、少しおもしろかった。ただし、映画の印象はやっぱりおフランス系の展開なんじゃない? 黒沢監督はハリウッド映画フリークと仰っていたけど、アウトプットがああいうよじれ方をするのは、どういうことなのかな。

 いろんな要因があるとは思うんですよ。仮に植物の怪物ということだったら、ウィンダムの『トリフィドの日』だって映画化されてて、あの怖さっていうのは同じ63年公開のヒッチコックの『鳥』に近いんだけど、でも仮に樹木としてのカリスマが増殖して暴走するという設定だったら、予算も死ぬほどかかるうえにB 級の烙印を押されるでしょう。
 だから敢えてカリスマは一本にして、象徴的意味合いだけを高めていくというのは、手法としてはありがちでも、低予算で高級芸術的触感を与えるにはいちばんの近道だったんじゃないか。クラークの小説版『2001年宇宙の旅』ではモノリスがそれこそ種族みたいにいっぱい地球へ降ってくるけど、キューブリックの映画版では場面ひとつにたえずモノリスひとつと限定して象徴性を高めていたのを、連想しました。カリスマには、オウムとか天皇制とか資本主義とかいろいろ読み込めるけど、当然ただのモノリスを代入してもいいわけ。

小谷 森にモノリスが立ってたら、こわいよー。まわり全員が知性化されたりして。

 いまどきのカリスマって大量生産できるらしいし。

2/24/2000